ワインが大好きな方なら「デキャンタージュ」という言葉をご存知だろう。数年間、あるいは数十年間も熟成(エイジング)された高価な赤ワインを飲むとき、ボトルからガラス製の大きな容器にワインを注いで、空気に触れさせる(エアレーション)作業のことだ。ワイングラスにワインを注いでから、グラスを揺らして中のワインをグラスの壁に沿ってぐるぐる回すスワリングもこのエアレーションのひとつ。本格的にデキャンタージュをするときに使うのが「デキャンタ」という容器だ。

  • (c)BIRDY.

■ワイン愛好家の必需品

デキャンタはガラス製で、グラスメーカーがワイングラスと共にデキャンタも製造販売していることが多い。デキャンタはワイングラスよりずっと大きくて重く、さまざまなカタチがあるが、どれも底の面積が広くなっている。広くすることでワインと空気の接触面が増え、その結果、エアレーションが行える。

ところでこの「デキャンタ」という呼び名は、英語の「decant=(容器を)移し替える」という動詞から来ているという。その語源をさらにさかのぼると、なんと1630年代の錬金術がルーツなのだそうだ。「容器を傾けて清澄な液体をそっと注ぎ分ける」という意味だったらしい。

それにしても、ワインを飲むときになぜ「デキャンタージュ」が必要なのか。長い時間熟成したワインの場合、その中に眠っている本来の香りや味は、ボトルの栓を抜いただけでは味わえない。だがデキャンタージュをすることで、この閉じ込められていた香りや味が味わえるようになる。「味や香りが開く」とワインの専門家はいう。具体的には、香りがよりはっきりとする、味わいのバランスが良くなる、酸味がおだやかになるなど、味がまろやかになって味わいもより奥深くなる。渋みも心地よくなるという(もちろんデキャンタージュが適さないワインもある)。

熟成中のワインはボトルの中で、瓶とワインやコルクとのすき間にあるわずかな酸素と触れることでゆっくりと熟成していく。だが触れる酸素の量が少なすぎるとワインは「酸欠状態」になって、酸化による熟成が進まず、「還元臭」という不快な臭いを放つことがある。だがデキャンタージュをする、つまり酸素に接触させ酸化させることで、この還元臭も取り除くことができる。さらに、デキャンタに移して静かに置いておくことで、熟成中に生まれてワインの中に散らばっていた、飲むとザラザラする澱(おり)を沈殿させて取り除くこともできる。

デキャンタージュには、ワインの温度を上げる効果もある。ワインは冷えすぎていると本来の味や香りが出てこない。デキャンタージュすることで、冷えすぎだったワインの温度を上げ、本来の味や香りを楽しむことができる。

■掟破りの素材とカタチ、そして機能

そして、かつて在籍した雑誌で「ワイン特集」を担当してから、世界の主要なワインの名前やブドウの産地と品種くらいは知っている、海外でチャンスがあればワイナリーに行ったこともある“そこそこのワイン好き”の私も、「BIRDY.(バーディ)」というブランド名のデキャンタをひとつ持って使っている。

ただそれはガラス製ではない。ミラーポリッシュ仕上げされた、中央が細くくびれたステンレス製のカップだ。ガラス製で底が広いという「デキャンタの常識」とはまったく違う素材だしカタチ。でもこの素材とカタチにもちゃんと理由がある。

ちょっと風変わりなこのデキャンタ、ではどこがスゴいのか。なぜ購入したのか。それは「ワインのエアレーションが速い」から。しかもその「速さ」がハンパない。「爆速」という言葉がピッタリの驚きのスピードだからだ。

このデキャンタの中にグラス1杯分のワインを注いで、ワイングラスのように中のワインを内壁に沿ってほんの数回、時間にして数秒間だけ回転(スワリング)させる。するとあら不思議! 鼻を近づけるとなぜか「魔法のように」ワインの香りが立ち上がる。そしてワイングラスに注いで飲んでみると、ボトルから注いだものより、味も香りも明らかに豊かでまろやかになっている。

  • 内部には同心円状に凹凸のある細かい筋があり、この筋がデキャンタージュの秘密だ

さらにスワリングを続けていくと、ワインの香りと味がどんどん変わっていく。同じボトルの同じワインなのに、とてもそうとは思えないほど劇的に変わる。それも数秒間だけで。デキャンタージュをするワインといえば赤ワイン。だが、白ワインでもスパークリングワインでも、これを使えば、ふだんのものとはまったく違う香りと味が楽しめる。

実際に使ってみないと信じられないだろうが、これは「超ハイスピードなデキャンタージュ」ができて、「同じワインをいろいろな香りと味で楽しめる」革命的なデキャンタなのだ。

■作ったのは自動車部品メーカー

「DC700 デキャンタ」という商品名のこのステンレス製のデキャンタ。開発・製造しているのは愛知県豊田市にある横山興業。1951年創業の同社は独自のプレス加工技術を持ち、主に自動車関連部品を、同じ市内にあるトヨタ自動車をはじめとして国内の自動車メーカー向けに生産している従業員数200名の中堅企業だ。さらに建築資材の製造や太陽光発電システムの販売&施工も行っている。

実はこのデキャンタの秘密が気になって、記事を作るために5年ほど前に横山興業の本社を訪れたことがある。筆者は昔、雑誌の自動車担当だったし、国内外の大手自動車メーカーの工場現場をいくつも取材している。また自動車メーカーの広報誌やウェブマガジンにも自動車関連のマニアックな取材記事を書いている。だがその経験から考えても、なぜ自動車部品の会社から、こんな画期的なデキャンタが生まれたのか、わからなかったからだ。

  • 横山興業の工場

訪れてみるとそこは、当たり前だが、まさに自動車部品工場そのもの。プレス加工機や溶接ロボットが休むことなく自動車の金属部品を加工・製造していた。工場内には製造途中の自動車部品が並び、完成しだいトラックに乗せて運ばれていくのだという。

■秘密は「プレス加工の金型」づくりの職人技

この工場で「DC700 デキャンタ」は、どんな人の手で、どんな技術を使って作られているのか? 1本のワインでさまざまな香りや味が楽しめる「超ハイスピードなデキャンタージュ」ができるのはなぜなのか? このデキャンタの“要になる仕上げ”を行う工場の一角に案内してもらった。

そこでは熟練の作業者がひとつひとつ手作業によって、カップ内側の「バフがけ」を行っていた。バフがけは、プロが行う自動車のワックスがけなどでもおなじみの、円盤状の布などに研磨剤を付けて、モーターで回転させながら金属の表面を磨いて滑らかにすること。

ステンレス製のカッブの内側に、研磨剤を付けたバフを回転させながら適度に押し当てる。この作業を1個ずつ行っている。このとき、押し当てる時間や強さは作業する研磨職人のカンが頼り。このバフがけをすることで、カップの内側の表面に0.1ミクロン(1万分の1ミリ)単位の凹凸ができる。の凹凸を適度に残す“磨き分け”の技。そして生まれた表面の「適度な凹凸」が、ワインのエアレーションを促進してくれるのだという。

  • 熟練の作業者がひとつひとつ手作業で行う「バフがけ」の作業

こうして作られたデキャンタの中に、ワインをグラス1〜2杯分入れて中でぐるぐる回すと、凹凸のおかげでワインと空気中の酸素が細かく撹拌(かくはん)され、ミクロの分子単位で混ざり合う。この仕組みによって、爆速でワインのエアレーションが進むのだという。

「これは金属部品をプレス加工で作るときに、製品の母型になる金型を作る工程、つまり最後に金型を精密に仕上げるときに欠かせない技術、職人技です。当社でもこの“磨き”で適度な凹凸を作れるのはわずか数人しかいません。だから生産が追いつかず、一時的に品切れになることがあります。そのときは、申し訳ありませんがお待ち下さるようにお願いしています」と、横山興業 代表取締役社長の横山栄介氏は語る。

  • バフ掛け後(左)とバフ掛け前(右)のデキャンタ

  • 工場内を案内してくれた横山興業 代表取締役社長の横山栄介氏 ※取材は2017年12月

■わずか10年で世界的なブランドへ

「BIRDY.」ブランドは、もともとは2013年のはじめに、金型製作で培った金属研磨技術を活かそうとスタートさせた横山興業の新規事業。最初にこの技術を使って作られたのはカクテルを作るときに使う「カクテルシェーカー」だった。できあがったカクテルの味に自分たちがびっくりして、同年11月にカクテルシェーカーとミキシングティンという最初の製品を発売。

翌2014年には早くも世界に進出。世界的なバーテンダーとコラボレーションし、ロンドンの名門「サボイ・ホテル」のバーなどで採用され、業界で注目される存在に。そして画期的な「DC700 デキャンタ」が発売されたのは2017年3月のこと。それ以降、体験した人から口コミでその評判が広がっていったという。実は筆者もその評判を聞いたひとり。実際に体験してその機能に本当に驚いた。ワイン好きなら、ぜひ手に入れて、いつものワインをもっと楽しんでほしい。

取材・文・写真/渋谷ヤスヒト