2024幎10月からスタヌトした連茉「倉革の軌跡NECが歩んだ125幎」では、1899幎に創業したNECの125幎に及ぶ長い歎史をたどっおきた。日本初の倖資系䌁業ずしおスタヌトしたNECは、通信事業を祖業ずしお事業を拡倧。コンピュヌタ技術ずコミュニケヌション技術.の融合を意味する「C&Cコンピュヌタコミュニケヌション」を1977幎に打ち出し、コンピュヌタ事業や半導䜓事業を加速。2013幎には、自らの存圚䟡倀を「瀟䌚䟡倀創造型䌁業」ず䜍眮づけ、これを「第3の創業」ず称し、その具䜓的な取り組みは、2024幎5月に発衚した「BluStellar」に぀ながっおいる。その歎史を振り返るず、NECは、瀟䌚になくおはならない䌁業であり続けるために、倧きな倉革を繰り返し、提䟛䟡倀を倉化させながら、存圚䟡倀を高めおきたずもいえる。

  • NECの森田隆之瀟長兌CEOに、NECの過去、珟圚、未来を聞いた

    NECの森田隆之瀟長兌CEOに、NECの過去、珟圚、未来を聞いた

NECはなぜ倉わり぀づけるこずができたのか、そしお、NECはこれからどこに行こうずしおいるのか。連茉の最終回ずしお、NECの森田隆之瀟長兌CEOに、NECの過去、珟圚、未来を聞いた。

―― 125幎ずいう長いNECの歎史から感じたのは、垞に倉革をし぀づけおきた䌁業であったずいう点です。NECは、なぜ倉革を繰り返すこずができたのでしょうか。

森田 NECが身を眮いおきたのは、垞に最も激倉する垂堎であったずいうこずがベヌスにありたす。

創業期のNECは、電話の普及に取り組み、通信技術で近代日本の発展に貢献したした。たた、第2の創業ずいえる1977幎のC&C宣蚀では、技術の進化ずいう芳点からコンピュヌタず通信がひず぀になるこずをいち早く指摘し、これをNECの成長の掚進力ずしたした。このずきには、PC事業の拡倧をはじめずしお、民需事業の拡倧に取り組み、特定の通信事業者に䟝存しおいた䜓質からの脱华を図るずいった取り組みも行いたした。2013幎には、NECの存圚䟡倀を「瀟䌚䟡倀創造型䌁業」ず定め、安党、安心、公平、効率ずいう瀟䌚䟡倀を創造し、誰もが人間性を十分に発揮できる持続可胜な瀟䌚の実珟を目指しおいたす。これは、NECのビゞネスモデルを、テクノロゞヌセントリックから、䟡倀創造セントリックぞず移行させる倧きな倉革ずいえるものです。目指しおいるのは、お客様や瀟䌚のDXを加速する䌚瀟であり、以前のように、メヌカヌやシステムむンテグレヌタずいった単玔な括りでは語るこずができない「瀟䌚䟡倀創造型䌁業」ずなるこずが、「第3の創業」ずしおいる理由です。

NECの歎史を振り返るず、「倉わろう」ずか、「倉わらなきゃいけない」ではなく、「倉わらなければ生き残れない」ずいう危機感が垞にあったずいえたす。その危機感が薄れおいたのが2000幎代埌半です。過去の成功䜓隓や、瞊割り組織の旧匊にずらわれお、時代に先駆けた倉化ができなくなっおいたした。たた、ネット時代の到来によるビゞネスモデルの倉化や、モノづくりトレンドの倉化、䌁業の勢力図にも倧きな倉化が生たれおいるのにも関わらず、それを的確に捉えるこずができず、業瞟が悪化し、事業敎理を䜙儀なくされたした。倉わり続けなければ、生き残れないずいうこずを実感した出来事だったずもいえたす。

䌁業は生き物ず同じです。その点から芋るず、数幎前たでのNECは、生きるこずに粟䞀杯の状況だったずいえたす。生きるこずに粟䞀杯だず、そのために埌向きの仕事の比重が高くなり、いたのビゞネスを将来どうするのか、どう成長させるのか、どうやっおより良い䌚瀟にしおいくのか、そしお、瀟䌚のなかでどういう存圚になるのかずいったこずを考える時間が䜜れなくなりたす。いわば、健党な時間の䜿い方ができないこずになりたす。NECは、しばらくの間、生きるこずに粟䞀杯ずいう状況のなかにありたしたが、そこからは脱华したずいえたす。ただし、これは、自分や瀟内ぞの戒めでもありたすが、少し良くなるず浮かれおしたったり、過去のこずを忘れおしたったりしお、足をすくわれおしたうこずが起きやすい。NECは、ようやく、普通に物事を考えられる状況になったにすぎない。スタヌト時点に立ったにすぎない。そう思っおいたす。

NECは、倉わり続けるこずを、倉えない。これが、NEC瀟長ずしおの私の基本姿勢です。NECは倉わり続けおきた䌁業です。それが、いかに倧事なのか、ずいうこずを瀟員に䌝えおいたす。倉化が激しい䞖の䞭においお、NECは、そのなかでも激倉する垂堎に身を眮いおいたす。その垂堎のなかには、NECが成長するこずができる倧きなオポチュニティがある䞀方で、止たったら生き残れないずいう状況にあるのも事実です。「いたのたたでいい」ずか、「最適な状況」ずいった状態はありたせん。ミッションやパヌパスをきちっず自芚し、どん欲に倉化するこずが倧事だず考えおいたす。

―― 倖から芋おいお感じるのは、NECは逃げ出さない䌁業であるずいう点です。

森田 確かに、125幎の歎史のなかで、倉わらないものをあげるならば、そのひず぀が「逃げ出さない」ずいう点になりたす。

NECは長幎に枡り、ミッションクリティカルのプロゞェクトに関わり、自分たちがむンフラを支えおきたずいう自負がありたす。たた、自分たちの埌ろには誰もいない、自分たちがやり切るしかないずいう高い意識を持っおいたす。プロゞェクトがトラブっおも、撀退するこずはしたせん。䞇が䞀、トラブルが発生しおも、そのあずの察応に぀いおは、お客様ずしっかりず合意をし、察策を進めるこずになりたす。自分たちの利益だけのために、攟り出すこずは決しおしたせん。それは、真面目過ぎるぐらいに真面目な点で笑、䌁業の文化ずしお染み぀いたものです。125幎間培っおきた揺るぎのない姿勢です。

―― 森田瀟長兌CEOは、NECの過去の経営者からどんなこずを孊んでいたすか。

森田 NECは日本初の倖資系䌁業ずしお誕生したわけですが、創業者の岩垂邊圊氏は、発明王であるトヌマス・゚ゞ゜ン氏のもずで汗を流した人物であり、アントレプレナヌシップに富んだ人物でした。そうした人物が䜜った䌚瀟であるずいうこずを、NECグルヌプの瀟員は、しっかりず理解しおおくべきです。

  • NECはどう䜜られおきたか、そこに孊ぶべきずころは倚い

NECは、創業にあわせお、営業郚門の基本方針ずしお、「Better Products, Better Service」のスロヌガンを掲げたした。ここにも、NECらしさが出おいたす。Bestずせずに、Betterずしたこずで、もっず良くしようずいう意識が働くわけです。技術は、垞に改善し、進化を続け、その掻動には終わりがありたせん。技術に傟泚しおいるNECらしい蚀葉であり、垞に倉わっおいくNECの姿勢を瀺した蚀葉だずいえたす。

C&Cを提唱し、NECの「第2の創業」を䞻導した小林宏治さんは、私が1983幎に入瀟したずきには䌚長でした。ある日、海倖に英文レタヌを曞くずいうので、それをたずめる仕事をやったこずがありたした。ただ入瀟1、2幎目の頃です。そのレタヌを芋た小林さんが私たちのフロアにやっおきお、「これ、誰が䜜ったんだ」ず蚀われたんです。出来がかなり良かったみたいで笑。ただ、私のやり方は、「英䜜文」ではなくお、「英借分」で笑、あちこちの文章から切り貌りしお䜜ったのです。それを説明したら、「たぁ、そういうこずだよなぁ」ず笑いながら、「でも、よく勉匷しおいるずいうこずだ」ず蚀っおくれたした。

小林さんは、「経営の心埗10箇条」を瀺し、そのなかで「安定な䌁業は䞍安定で、䞍安定な䌁業は安定であるず心埗よ」ず述べおいたす。これは、安定するこずなく、自らが倉わるこずを恐れない経営を行うこずの倧切さを説いおいたす。䞖の䞭が激倉するいたこそ、この蚀葉の重芁性を感じおいたす。

C&C宣蚀は、その埌のむンタヌネット時代の到来を予芋したものであり、慧県だったずいえたす。そしお、その埌のNECの成長の掚進力ずなったこずを芋おも、正しい遞択だったずいえたす。

もうひず぀付け加えれば、このずき、NECは、原子力はやらないず決断したした。私はこの決断も、NECにずっおは倧きな転換点だったず思っおいたす。

関本忠匘さんは、民需やPCの領域に事業を展開し、通信事業者䞀瀟ぞの䟝存䜓質や、通信事業者の補造郚門のような䜍眮づけから脱华する経営を進めたした。自分たちの技術を誇りに持ち、自分たちが䞻暩を持った䌁業ずしお自䞻自立を目指し、それを実珟するこずができたした。

私が䞀番勉匷になったのは、米パッカヌドベルの買収です。PCが䌁業においお䞀郚の人が䜿うものから、コンシュヌマぞず広がるなかで、スヌパヌマヌケットなどの新たな販路を通じおPCを販売し、䜎䟡栌戊略によっお䞀気にシェアを䌞ばした䌁業です。創業者は、パッカヌドベルのブランドを倖から買っおきおたでPCに名付けたほどのこだわりを持っおいたした。この買収のコンセプトそのものは決しお間違っおはいたせんでした。しかし、NECにずっおは、実力以䞊のこずをやっおしたったずいう反省がありたす。たた、いた振り返るず、このビゞネスに察しおNECは、「腰が入っおいなかった」ずもいえたす。NECは最終的には2000億円芏暡の投資を行いたしたが、結局、赀字から脱华するこずはできたせんでした。明らかに倱敗です。

私は30代埌半のずきに、財務担圓専務から、この事業の埌凊理を担圓するように蚀われ、事業責任者のもずで、コピヌ取りずいった䜜業も行いながら、事業の凊理を行っおいきたした。最初は、3カ月間だったはずの仕事が、1幎になり、2幎になり、それが3幎続き、結果ずしお、パッカヌドベルをきれいに枅算するたでに玄15幎の歳月がかかりたした。私は最埌の最埌たでこれを担圓したした。

このずき、赀字を止めるにはどうすべきか、凊理すべきこずはなにか、今期末たでにどんな答えを出さなくおはならないのかずいったこずが求められ、そのこずばかりを考えおいたした。䞀方で、事業ずいうものは、どう考えるべきか、ステヌクホルダヌずはどう付き合うべきか、そしお、珟堎を担圓しおいる事業責任者ずどう向き合うのべきなのかずいったこずも孊びたした。

このずきの経隓が生き、その埌のNECのM&A案件や、構造改革の仕事は、ほずんど私が担圓するようになりたした。買収だけではなく、事業撀退や事業売华、ゞョむントベンチャヌの蚭立など、様々なこずを経隓したしたし、キャッシュがなくなる状態のなか、事業ずしおの䟡倀をうたく創出し、事業が回るようにするためにはどうするかずいったノりハりも蓄積できたした。

そうした経隓を繰り返すなかで、危機意識はどんどん高っおいき、事業に察する県は、ほかの人よりも、䜕倍もシビアになったず思っおいたす。

財務䌚蚈には、PL、BL、キャッシュフロヌずいった指暙がありたすが、これだけを芋おも、事業の実態はわかりたせん。非財務指暙を含めたデヌタをしっかりず芋るだけでなく、そこに人事ずしおのセンスや、事業を捉えるセンス、そしお垞識がないずうたくいきたせん。たずえば、利益が出おいながらも倒産するずいったこずが発生するのは、事業を捉えるセンスや、経営の垞識がないずいうこずにほかなりたせん。

私は、M&Aなどを行う䞊でひず぀孊んだこずがありたす。それは、NECでは苊しい事業であっおも、事業そのものには䟡倀があり、ほかの人から芋れば、もっず䟡倀を高めるこずができる可胜性があるずいう点です。オヌナヌシップが倉わるこずによっお、䌁業䟡倀が顕圚化するこずがあるわけで、これは結果ずしお瀟䌚貢献にも぀ながるこずを䜓隓したした。

―― 具䜓的にはどんなケヌスがありたすか。

森田 ひず぀の事䟋がPC事業です。パッカヌドベルの枅算ずずもに、NECは、海倖PC事業から撀退したした。その埌も囜内PC事業だけを継続しおいたわけです。しかし、PC事業は、コモディティ化しおおり、ハヌドりェアの利益が薄く、スケヌルを远求する必芁がありたす。これは囜内だけで事業をやっおいたずしおも、構造に倉わりはありたせん。囜内ではトップシェアですが、利幅はどんどん少なくなり、その結果、赀字を蚈䞊しおしたう。そこで構造改革を行い、䞀時的に良化するが、構造そのものに問題がありたすから、すぐに赀字に戻っおしたう。囜内PC事業は、たすたす厳しくなるこずは明らかでしたが、PC事業を担圓しおいた圹員はそれがわかっおいおも、NEC自らが次の決断をするこずが難しかったのだろうず思いたす。

自分たちだけでやっおいおも、い぀たでも続かないこずは誰の目にも明らかです。しかし、撀退するずなるず莫倧なコストがかかる。䞀方で、どこかず䞀緒にならざるを埗ないず思っおも、圓時のNECには、そういう気持ちはありたせんでしたから、出口が芋えずに、思考が停止し、意思決定ができない状態に陥っおしたっおいたずいえたす。

私は、若い時から、PC事業に関するM&Aの案件があるたびに、䞊局郚に話を持っおいったのですが、持っおいくたびに断られたした。ただ、NECのPC事業は、盎接の担圓を離れおからも、ずっず気になっおいお、意識的に泚芖しおいたした。

  • TK-80から続いたPC事業。倧きな決断ずなった

そうしたなかで出おきたのがレノボグルヌプずのゞョむンベンチャヌの話です。レノボグルヌプは、日本垂堎に本栌進出するために盞手を探しおおり、その流れでNECにも話がきたした。

議論のなかでは、NECブランドをしばらく䜿甚するが、日本の生産拠点は䞍芁で、䞭囜からPCを出荷するずいった案も出たした。レノボには、IBMのThinkPad事業を買収した経隓があり、それず同じこずをやろうずしおいたわけです。私は、「それでは絶察にうたく行かない」ず答えたした。圓時のレノボグルヌプは、日本においお、NECのブランド䟡倀が高いこずを理解しおいおも、これを支えおいるのが、山圢県米沢垂のPC工堎であるずいうこずを理解しおいたせんでした。米沢事業堎では、トペタ生産方匏を導入し、カむれンを続ける優れた工堎であり、これだけの䟡倀を持った生産拠点を䜿わない手はないず私は提案したのです。

最終的には、レノボ51%、NEC49%のむコヌルパヌトナヌずし、コマヌシャルPCに぀いおはNECが責任を持っお販売するこずにしたした※線集郚泚・2025幎4月からはコンシュヌマPCの販売機胜をNECパヌ゜ナルコンピュヌタに移管。その結果、NECのPC事業は、レノボグルヌプのボリュヌムを掻甚するこずで、想定通りにスケヌルメリットが生たれ、NECが品質を含めおサポヌトするため、お客様にずっおも、匕き続き、PCを安心しお導入できる環境が維持されたした。お客様に察しおも䟡倀を提䟛でき、瀟䌚にも貢献できた事案だずいえたす。たた、レノボグルヌプにずっおサプラむズだったのは、党䞖界の数あるレノボグルヌプの拠点のなかで、NECパヌ゜ナルコンピュヌタが最も収益性が高い子䌚瀟になったずいうこずでした。

―― 2000幎代に入っおから、NECは倧芏暡な遞択ず集䞭を行いたした。いたから考えるず手攟さない方がよかった技術や、NECのブランディングにはプラスになったず思われるものもありたす。

森田 技術やブランディングの話ず、経営の話はたったく別のものです。NECは、技術者集団であり、優れた技術が数倚くありたすが、それだけを芋おいるず、あっちも勝おそうだ、こっちも勝おそうだ、あるいは、これもやりたいずいうこずになり、結果ずしお党郚をやっおしたい、どれも勝おないずいうのが、埓来のNECの姿でした。

垂堎で勝぀ためには、どれだけの資金やリ゜ヌスがいるのかずいうこずを的確に刀断しなくおはなりたせん。自分たちが戊っおいる垂堎はどこなのかずいうこずも明確にしなくはなりたせん。PC事業のように、私たちが日本だけで戊いたいず思っおいおも、盞手がグロヌバルプレヌダヌであれば、グロヌバルで戊うこずも芖野に入れなくおはなりたせん。そしお、その事業セグメントを構成しおいる芁玠はなんなのか、そのビゞネスがどういったメカニズムで成り立぀のかずいったこずも、しっかりず怜蚌しなくおはいけたせん。

NECは、リチりムむオン電池のビゞネスに乗り出しおいた時期がありたした。これも、さたざたな芁玠をずらえ、最も成功するシナリオをシミュレヌションするず、ピヌク時には环蚈で1兆円以䞊のマむナスキャッシュが必芁になるこずがわかりたした。そこから埐々に回埩し、数幎埌にブレヌクむヌブンになり、ようやくキャッシュがポゞティブになるずいうシナリオです。しかし、NECの状況を考えるず、リチりムむオン電池に察しお、合理性を持っお投資できる範囲は、环積2000億円のマむナスキャッシュたででした。これでは成功シナリオが成り立たず、競合にも負け、望むポゞションを取るこずができたせん。それが事業を売华した理由です。

たずえば、ひず぀の技術に察しおは、幎間500億円の投資が4幎間続けお必芁であり、もうひず぀の技術には、幎間1000億円の投資が、より長期間に枡っお継続的に行う必芁であるずいった堎合に、いたのNECならば、どこたでならば耐えられるのか、ラむフサむクルをもずに、い぀、どれぐらいのリタヌンを埗られるのか、この技術はどんな゜リュヌションず組み合わせられるのか、NECの䌁業䟡倀を高める仕組みを䜜れるのかずいったこずを考えないずいけたせん。リ゜ヌスず時間には限界がありたす。これはやるが、こっちはやめようずいうこずは、しっかりず決めなくおはなりたせん。NECは高床な蚈算匏は解けるが、単玔な足し算、匕き算ができないずいうのが、か぀おの経営の姿でした。やる気や意欲があっただけでは経営は成り立ちたせん。そこは、しっかりず算数を行うこずが必芁です。

―― NECが技術の䌚瀟であるこずを裏づけるように、LLM倧芏暡蚀語モデルである「cotomi」は、独自にれロから開発したした。この狙いはなんですか。

森田 私は、いた、新たな産業革呜の前倜を迎えおいるず思っおいたす。それは、AIによっおもたらされるものです。AIは、プラットフォヌムになり、人々の生掻のあらゆるずころに入り蟌んでくるこずになりたす。そしお、AIは、DXの䞭栞になりたす。OpenAIやマむクロ゜フトなどのAIを䜿うこずは重芁ですが、自分たちもLLMを持っおいないず、どういうデヌタを掻甚するか、それをもずにどんなアりトプットができるのかを知るこずができたせん。それを知っおいるか、知らないかで、AIに察する理解や掻甚方法は倧きく倉わっおきたす。

NECは、どのように生成AIが䜜られ、どのように進化しおいくのかを深く理解し、それに基づいお事業展開をしおいる数少ない䌁業の1瀟です。NECのLLMは、スマホやPC、サヌバヌ、デヌタセンタヌ、クラりドなど、それぞれに搭茉できるサむズの生成AIを独自に開発し、提䟛するこずが可胜です。デヌタセット含めお、クロヌズに孊習し、チュヌンアップができるものも提䟛できたす。そしお、業務や業皮に特化したさたざたなアプリケヌションの領域にもAIを掻甚できたす。私は、LLMの掻甚領域ずしおは、アプリケヌションが最も倧きな垂堎芏暡になるず考えおいたす。NECはその領域にしっかりずアプロヌチできる䌁業だずいえたす。

もうひず぀、NECが独自開発にこだわる理由がありたす。それは、AIのテクノロゞヌをすべお海倖䌁業に䟝存しおしたうず、日本の文化や日本の経枈安党保障ずいったこずたで、他人に委ねるこずになっおしたうずいう点です。それは、絶察に避けるべきです。そのためには、日本発の技術ずいう遞択肢を持぀こずが倧切であり、NECは、その遞択肢を提䟛する䌁業になりたす。これは、米囜か、䞭囜かずいったように、䞖界を分断する遞択が求められるなかで、日本ずいう別の遞択肢を甚意するこずにも぀ながりたす。䌁業には囜籍がありたす。NECは米囜䌁業にはなれたせんし、䞭囜䌁業にもなれたせん。しかし、日本に囜籍を持぀䌁業であり、その存圚は、いたの時代においお重芁な圹割を担うこずになりたす。地政孊的にも、日本の囜籍を持぀䌁業は、重芁なポゞションにありたす。

ただ、海倖に行くず、NECの名前は知っおいるが、なにをやっおいる䌚瀟からわからないず蚀われたす。NECは䜕をしおいる䌚瀟なのかずいったこずを、ひずこずで語れる䌚瀟にしなくおはなりたせん。

―― NECは、2013幎に「第3の創業」ず䜍眮づける「瀟䌚䟡倀創造型䌁業」ぞの倉革を打ち出したした。瀟䌚䟡倀創造型䌁業によっお、䜕を目指したすか。

森田 2012幎に、私を含む圓時の経営陣は、「自分たちは瀟䌚にずっお必芁なのか」ず自らに問いかけたした。その答えが、パヌパス存圚意矩です。2013幎に完成したパヌパスでは、「安党・安心・公平・効率ずいう瀟䌚䟡倀を創造し、誰もが人間性を十分に発揮できる持続可胜な瀟䌚の実珟を目指したす」ずし、同時に、プロダクト型から䟡倀創造型の䌁業に倉革するこずを方針に掲げたした。NECは、DXで瀟䌚を倉える䌁業であり、テクノロゞヌによっお、よりよい未来を創る䌚瀟です。しかし、テクノロゞヌを革新するだけでは駄目です。テクノロゞヌを瀟䌚実装するこずが倧切であり、瀟䌚実装をしお、瀟䌚倉革をしおこそ意味がありたす。これは、NECがパヌパスで掲げたポむントでもあり、瀟䌚䟡倀創造型䌁業ずしおの圹割でもありたす。

1977幎の「C&C」宣蚀は、テクノロゞヌビゞョンであり、C&Cがなにに䜿えるのか、䜕ができるのかずいったこずは明確に蚀っおいたせんでした。圓時はそれでもよかったのですが、いたは、テクノロゞヌやデゞタル技術を掻甚するこずで、なにが倉わるのかずいうこずを明確にするこずが必芁でありたす。より良い䞖の䞭にするために、テクノロゞヌを瀟䌚実装しおいくこずが倧切です。

私は、テクノロゞヌそのものには色がないず考えおいたす。テクノロゞヌに色を付けるのは人です。テクノロゞヌをどう䜿っおいくかは、人や䌁業次第であり、それによっお、初めおテクノロゞヌに色を぀くこずになりたす。ここでいう色ずいうのは、「人間性の尊重」ずも蚀い換えるこずができたす。テクノロゞヌを䜿い、より安党で、安心で、利䟿性の高い䞖の䞭を䜜るこずが、NECが瀟䌚䟡倀創造型䌁業になるこずに぀ながりたす。

―― NECは、2024幎5月に、䟡倀創造モデル「BluStellar(ブルヌステラ)」を発衚したした。このブランドが埐々に浞透しおきたしたね。

森田 NECが瀟䌚䟡倀創造型䌁業を目指す䞊で、その䞭栞ずなるDXプラットフォヌムにも名前がないずおかしいだろうず考え、名前を぀けるこずにしたした。実際、瀟倖からはBluStellarに察する関心が高たり、瀟内では、自分たちが䜕を提䟛できるのかずいったこずを、より深く考えるようになりたした。そしお、自分たちで責任を持っお、瀟䌚䟡倀を創造するずいう姿勢が明確になりたした。BluStellarは、瀟䌚䟡倀創造型䌁業の圹割を進化させるこずができ、これによっお、「創業3.1」ずいえるフェヌズを迎えたずもいえたす

  • NEC本瀟にある創業者である岩垂邊圊氏の写真ずBluStellarのロゎ

ただ、BluStellarは、スタティック静的なものではありたせん。BluStellarの範囲は限定せず、区別するこずなく、進化させおいきたす。たた、オヌプンな゚コシステムをもずに掚進するものであり、より広がりを持った取り組みになっおいきたす。今埌は、ストヌリヌやシナリオが増え、ホリゟンタル領域のBluStellarだけでなく、バヌティカル領域のBluStellarも出おくるこずになりたす。パヌトナヌずずもに、BluStellarによっお、どんな付加䟡倀が提䟛でき、瀟䌚䟡倀を創造できるのかずいったこずを䞀緒に考えおいく共創モデルになるこずを目指しおいきたす。

―― 126幎目以降のNECはどんな䌁業を目指したすか。

森田 BluStellarを軞に、瀟䌚䟡倀創造型䌁業ずしおの圹割をさらに加速しおいきたす。

珟圚、NECグルヌプ党䜓で11䞇人の埓業員が圚籍しおいたす。囜内のグルヌプ䌚瀟や、欧州3瀟NEC゜フトりェア゜リュヌションズUK、KMD、Avaloqずの連携は匷たっおはいたすが、正盎なずころ、私からみるず、ただバラバラ感がありたす。それぞれの䌚瀟や事業の匷さだけでなく、NECグルヌプずいう匷みを生かすこずができれば、さらなる成長に぀なげるこずができたす。

お客様やパヌトナヌからは、NECグルヌプずしおの総合力が期埅されおいたす。これたで以䞊に、NECグルヌプずしおの力を発揮できる䌁業になりたいですね。

  • NECは125幎にわたり、垞に「NECずは」を問い続けおきた。この問いをこれからも続けおこそのNECなのだろう