「クソ野郎」
生きていれば他人に対しこのような感情を抱くことも1回や2兆回はあるだろう。
しかし、それを面と向かって本人に、それもお客や上司という目上の人物、もしくは蝶野正洋のように明らかに自分より強そうな人間に言ったことがある、という人はどれほどいるだろうか?
先日、それに近い事件があった。言っておくが「自分より強い相手に勇気を出して立ち向かった」という少年ジャンプ的な話ではない。
これはアナログ版バカッター事件だ
とある一般の人が某ドコモショップに出向いた際、対応した店員が手続きに入ってしまって暇だったため、対応中に手渡されていた書類になんとなく目を通してみると、その裏に「親が支払いしている」「つまりクソ野郎」などというメモが書かれていたそうだ。メモは当然、店員がそのお客との対応中に書いたものである。
店員がどうしてもその客に「クソ野郎」と伝えたかったわけではない。その書類は本来お客に渡すものではなく、たまたま誤って渡してしまったことにより「親に支払いしてもらっているクソ野郎が偉そうにスマホ契約しにきやがりましたわ」と思いながら接客していたことが判明した、という次第である。
店員が客の悪口をSNSに書いて炎上というのは珍しいことではない。そんなデジタル炎上全盛の中で、紙に手書きし、さらに手渡し、というアナログここに極まった手法で燃えるのは「雅」と言っても過言ではなく、受け取った者の心を大きく打ったことは想像に難くない。
「履歴書は手書きの方がやる気が伝わる」という信仰には否定的であったが、少し考えを改めなければならないかもしれない。
だが、当然燃えたのはその「文(フミ)」がツイッターにアップされたからだ。やはりアナログはデジタルに移行しなければいけないということである。
当初、そのドコモショップの店員及び店長はヘラヘラ謝るばかりで、本部に連絡したいと言ってもカスタマーセンターしか教えてもらえなかったりと、完全な「逃げ切り体勢」を見せていたようである。しかしネットで大きく話題になったせいか、後日になってやっと正式な謝罪があったという。
無関係の人が激怒し事が必要以上に大きくなる、というのはツイッター炎上の悪しき点だが、それが「もみ消し」を防ぐ場合もあるので、一概に悪いとは言えないところもある。
ドコモだけじゃなく世の常なんじゃないか
ともかく、アナログ版バカッターのおかげでイメージを大きく損なったドコモだが、果たしてこれはこの店員の個人プレイだったのだろうか。例えばどこのコンビニでもバイト間で、客にあだ名をつけるという遊びは行われているものだ。
それと同じノリで同店舗では「ボケ老人 最高額プランでオプションをクソほどつけろ」「戦闘力5のゴミ らくらくフォンでもくれてやれ」等、客を侮蔑したやり取りが日常的に行われていた可能性がある。少なくともそう思われても仕方がない。
だが、同時に「そう思われてるんだろうな」という予感もあった。私も平日の真昼間に美容院など行くと「無職が美容院に来るな、養羊場に行け」と思われているのでは、という気がしていた。しかし、実際そう言われない限りはただの被害妄想である、しかし本件により、妄想ではなく「マジでそう思われている」ということが立証されてしまった。
もちろん全員がそう思っているわけではないだろうが「思っている奴が実在する」のは確かということだ。我々立場にあまり自信がない人間は余計外に出るのが怖くなり疑心暗鬼になるという、辛い事件である。
実際、ドコモではないが、このニュースを見て私も機種変を保留にしてしまっている。どれだけ自分で「俺あのコンビニでからあげ棒って呼ばれているんだろうな」という自覚があっても、本当に店員に「棒野郎」と呼ばれたら、そのコンビニには二度と行かないだろう。
どんな時代でも対策は「思っても表に出さない」こと?
事件があった店舗では、店を閉めて緊急社員研修が行われるそうだ。
だが研修と言っても「お客様をクソ野郎などと思うな」というのは無理がある。クソ職場もあふれる昨今、働いていると良いお客様だろうが悪いお客様だろうが関係なくクソ野郎に見えてしまう精神状態の時だってある。どれだけ語彙に自信があってもクソとしか表現できないお客様がいらっしゃるのも事実だ。目の前にいる犬を猫と思うのが無理なように、クソ野郎を前にクソ野郎と思わないのは不可能だ。
だが、お客に対し、どれだけここでは書けないような感情を抱いてもそれを表に出さないのが接客業というものである。
本件から学ぶことは、たとえどんな時でも、そしてどんなクソがやってきても、もうクソと思うのはいいが、その悪口、情報その他を絶対「具現化」してはならぬ、ということに尽きる。 具現化とは「他人の目からも見える形」である。文書でも、メールでも、ラインでも目に見える形になったら、流出や拡散の恐れが出るし、当然本件のように「本人の目に触れる」という事態も起こり得るし、当然それが動かぬ証拠にもなる。
「そんなのチラシの裏にでも書いておけ!」と昔はよく言ったが、それも写真を取られてネットに上げられたら同じことだ。
客の悪口は心の内で留める、もしくは誰もいない山中に穴を掘ってその中に叫び可視化させない、それが何でも記録、拡散される世の中における炎上対策だろう。