年を取ると時間の流れ方が雑になってくる。
老が「最近」と言うので、1週間前ぐらいの話かと思って聞いていたら3年前だったというのはよくあることだ。
なぜ老と若で時間の感覚が違うかというと、人間はある程度年を取ると肉体的に成長が止まる上、人生に起伏と区切りがなくなるせいではないかと思われる。
子供のころの6年間と、中年になってからの6年間では濃さがまるで違う。小学校入学時にはまだ昆虫に近かった生物が、卒業するころには立派な昆虫になっているのだ。
だが中年になると「ずっとそこにいる何かのさなぎ」と化し、なんの変化もないため、自分でも何年ここにぶらさがっているのかわからなくなってしまうのだ。
そういう私も今年四十路であり、特にここ数年はコロナに便乗し部屋のゴミで作ったさなぎから頑なに出なかったので、時間の流れがかなりあいまいになってきている。
老にとってはつい最近、若から見たら「レトロ」な平成
よって「平成レトロ」という言葉を初めて聞いたときは、「平成はまだ最近じゃないか」と思ってしまった。
しかし、よく考えれば平成が死んでからもう4年である。自分をアラサーと呼んでいた26歳が逆に言わなくなるぐらいの年月が経っている。
ちなみに私が考えるレトロは「大正」だ。
だが、今のティーンから見れば、平成初期など僕たちが生まれるずっとずっと前である。そしてここでアポロ11号が月へ行きだすのが平成をフルで生き抜いた老兵の特徴だ。
そんな平成前半を知らない若者の間で、当時流行った文化がまた流行っているらしい。
タピオカが何度も蘇るように、流行りというのはループするものである。流行の服を見た祖母が「懐かしい」と走馬灯を見るような目で言い出すのは死期が近いからではなく、実際それが昔流行っていたからだ。
それを考えると、流行の輪廻転生から完全に消し去られている「バブルファッション」の異常性がより際立ってくる。
それとも、万が一日本がまた好景気になったら再来するのだろうか。もし景気がよくなっても、今度はもう少し冷静にいきたいところだ。
流行している「平成の象徴」は?
では具体的にどのような平成文化が流行っているかというと「ルーズソックス」が流行っているらしい。
そういえば先日、今の若者の間で何が流行っているのか調べてみようと「若者 人気」という中年しか入力しないワードで検索したところ確かに「ルーズソックス」が出てきた。
せっかく若者の流行を知ろうとしたのに、自分が若者のころ流行っていたものが出てきてしまうという無為な時間を過ごしてしまった。
ルーズソックスとは、非常に長いソックスをたるませてはくファッションのことである。ツノがでかい雄の方が強いのと同じように、当時のギャルは靴下がたるんでいればいるほど強かったのだ。
ただ、現在のJKの間で再度ルーズソックスが普段使いされているわけではなく「昔のギャルのコスプレ」という感覚で流行っているらしい。
私はまさにルーズソックス全盛の時に現役JKだった世代である。では今のルーズソックス再ブームについて走馬灯を見るババアの目で見ているかというと、そんなことはない。
なぜなら当時のJKでも、ルーズソックスをはいていた者とはいてない者がいたからだ。
ルーズソックスはスクールカースト中位以上がはくものであり、それより下位は普通の白ソックス、下位の中でも強い奴はくるぶし白ソックスを履いていた。決してスニーカーソックスではないのがポイントである。
私は当然はいていない側なのでルーズソックスを見ても何の思い出も蘇らないし、いまだにはき方も知らない。
よって今の若人は安易に「お母さんも昔はいてたの?」などと言ってはいけない、母親の開けてはいけない扉、もしくは古傷を観音開きすることになる。
そして、女子の間でまた「プロフィール帳」が流行っているそうだ。
プロフィール帳とは、友人らなどに書き込んでもらった「プロフィール用紙」を綴じておく手帳のことだ。
用紙には名前やアドレス、好きな食べ物、将来の夢など細かなパーソナリティを書き込む仕様になっており、令和版ではFAX番号が消えたかわりにSNSアカウントや「推し」を書く項目が増えているらしい。
卒業文集同様プロフィール帳には痛いことを書きがちなので、ブーム再来によりカサブタが爆発してしまった元女子小学生も多かったようである。
私も爆発したかというと、そもそもカサブタがない。プロフィール帳は「これ書いて」と用紙を渡してくれる友人がいなければ発生しない思い出なのである。
今流血している人も、開く古傷やカサブタがあるだけマシと思っていただきたい。