「Twitterでしか話題になっていない」という現象は意外と多いのだが、有線イヤホンを使っている奴は何やってもダメ論争のように「Twitter野郎はすぐどうでもいいことで揉めやがる」というわけではない。
確かにどうでもいいことで1日中燃えている日もあるが、大手ニュースが気づかないような問題にいち早く気づいている場合もある。
マックの導入報道で火が付いた紙ストロー批判
先日、Twitterのみんなが一斉に「紙ストロー」へ憤りだした日があった。
私は外食どころか家からも滅多に出ないし、外食したとしても出されたストローを無視して直呑みしてしまう無頼派なので、これはTwitterをやってなかったら見逃しちゃっている、ニュースである。
紙のストローで液体を飲んだら水分が染み出てしまうのでは、と思ったが、その理屈で言うと「紙おむつ」もジャンジャン漏れてしまうことになる。
街中でジャンジャン漏れている赤ちゃんやご老人を見かけることはあまりないので、おそらく紙ストローも機能的に大きな問題はないと思われる。
Twitter上で紙ストロー批判が巻き起こったのは、マクドナルドが全店舗で紙ストローを使用すると発表したのが原因のようだ。
しかし、いくらアンガーマネージメント機能がぶっ壊れているTwitter民でも突然紙ストローに怒りだしたわけではない。その怒りの背景には、先んじて紙ストローを使用していたスタバへの怒りがあったと見える。
まず、なぜスタバやマクドナルドなどが紙ストローを導入しようとしているかというと、プラスチック製品を削減して自然環境を保護するためである。
地球に住んでいるくせに地球を守る取り組みに怒りを露わにするなど、燃えている自宅の消火にきた消防隊に「水をかけるな、俺の家が濡れちゃうだろ」と激怒しようとしているようなもの、と思うかもしれない。
だが、駆けつけてきた消防隊が、ホースから黒蜜とかを発射しだしたらどう思うだろうか。
果たして、それは意味があるのか。俺の家が無駄にベトつくだけにならないかという疑念が湧き、さらに応援部隊が大量の黒蜜を積んでやってきたら「おい!いい加減にしろ!」と言いたくもなるだろう。
つまり、コンビニのレジ袋が廃止されたときのように、紙ストローに対する「それ意味あるのか」という疑念が払拭できていないのだ。実際、プラ容器をやめずにストローだけ紙にしても無意味という意見も多い。
自然環境問題や多様化などを、社会問題に対し率先して対策をする企業は世間からの評価も高くなる。
しかし、政策もそうだが、大して意味も感じられないのに「やってます感」をアピールするためだけに、ユーザーに不便を感じさるような施策は逆効果なのである。
紙ストローがスタバのオシャレとしてウケなかった理由
スタバの紙ストローが批判されたのは、これみよがしに紙ストローで自然環境に気を遣ってる感を出してきてしゃらくせえ、からではない。むしろスタバはしゃらくさくてなんぼである。
いかにもスタバとわかるしゃらくせえ紙ストローを出してきたら、ここまで批判されなかっただろう。逆に「自然環境に配慮しつつスタバでMacBookを開いている自分推せる」という気分になっていたかもしれない。
問題はスタバの紙ストローがスタバらしくなかったという点である。スタバの紙ストローを使った人曰く、スタバの紙ストローは「トイレットペーパーの芯」のようであり、一口すするたび、口に便所紙の芯を食っているかのような不快さを感じるらしい。
トイレットペーパーの芯を食ったことがある人間の方が少数派とは思うが、スタバの紙ストローを不快に思っている客が多いのは確かなようである。
スタバと言えば、他のカフェより割高なチェーンだ。とりあえず紙ストローにして環境に配慮してます感を出すために、わざわざスタバに来た客の気分を台無しにしているとしたら、環境よりまず客に配慮してくれと言う批判が起こるのは当然である。
どれだけ頑張っても便所紙の芯以上のストローを開発できませんでした!と進撃の巨人に出てきそうなおじさんに泣かれてしまったら致し方ない気もするが、ドトールやタリーズなどは、環境負荷が低く、使用感も良いバイオマスプラスチックストローを使用しているらしい。
それを使わず、あえて紙ストローを使用するのは、利権がなんだかわからないが利権では?と言う邪推にもつながってしまう。
このように、マクドナルドの紙ストロー発表により、今までスタバにモヤってた勢の怒りも爆発した形だが、一方で「不評を受けてすぐに紙ストローをやめたミスドは評価できる」と、ミスドの株は上がったようである。
燃えてしまったものは仕方がない。だが、今重要なのは、いかに早く、そして上手く消火するかである。