2022年最初の「カレー沢薫の時流漂流」は、年始に企業が発表する「年頭所感」をイメージした特別回。すべての業務を家の中で遂行することで知られる「株式会社無職およびひきこもり」のカレー沢薫・代表取締役社長に、新年のご挨拶と所信表明のコメントをいただきました。 |
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
弊社では昨年より「いかに外に出ず生きるか」をテーマとして、ライフスタイルの研究を続けてまいりました。
コロナウイルスの蔓延により、世界的に「ステイホーム」が叫ばれるようになりましたが、弊社ではそれをコロナが去るまでの一過性のものとは考えておりません。
私事ですが、先日運転免許の更新に行った際、多くの後期高齢者と思しき方達が、視力検査に合格するまでトライし続ける姿を目にし、改めて先人たちにネバーギブアップの精神を教えられると共に、これは早急に手を打たないと、我が村は近い将来「リアル怒りのデスロード」だと確信した次第です。
しかし諸先輩方は決して自分たちの運転能力を過信して免許死守太郎になっているわけではなく、車がなければ買い物はおろか病院にすらいけない村なため、死んでも免許は返さない、ではなく「返したら死ぬ」ため返すに返せないのです。
ですが、このような過疎地域に大都市のような交通網を張り巡らせる、あるいは全ての徒歩圏内に、病院などの施設を置くのは不可能と思われます。
そこでヒントとなるのが「病院の方が来い」という言葉です。これはネット上の主にオタクが、常軌を逸した人を目にした時によく使う言葉です。類似の例としては「教会の方が来い」という言葉もあり、こちらは主に推しカプが尊すぎる時に使われます。
つまり、生活に必要な物の方が家に来てくれれば、老も己と他人の命をかけたレースに出る必要はなくなるのです。
生活に必要なものはすでにあるネットスーパーなどを利用すれば良いと思われるかもしれませんが、世の中にはそれらすら配達圏外の「イオンにすら見捨てられた地」があることを知ってもらいたいと思います。
吉幾三御大のお言葉を借りるなら「ウーバーイーツは何者だ」であり、我が家が近隣商店のデリバリーの配達圏内になっているのは「花」のみです。
よって生鮮食品を調達するのにアマゾソで売られている謎の生肉を購入したりもしましたが、今より高齢になってからこれを口にするのは若干の勇気がいります。
また生活の全てをアマゾソに頼ると、「ダンボールがメチャ貯まる」という現実があります。いくら商品を外に出ずに手に入れられても、ダンボールを捨てに外に出なければいけなくなったら本末転倒であり、家のスペースにも限りがありますし、老はあらゆるものにつまずいて命を落とすので非常に危険です。
よって「お前が来い」だけではなく「自分で帰れ」というシステムも同時に考えなければいけません。
まだまだ課題は多いですが、我が村の未来を平和にするべく、今年もより一層家から出ずに生きる術を模索していければと思います。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。