• IFAの会場となるメッセ・ベルリン。26のホールから成り、総展示面積は160,000平方メートルにもおよぶ

IFAの前身となるラジオ展が1924年に初めて開催されてから、2024年でちょうど100年。今年のIFAではこれを記念して、会場となるメッセ・ベルリンの一角に、過去100年間のエレクトロニクスの歴史を振り返る特別プログラム「IFA 100」が設けられました。記憶に残る懐かしい製品も数多く展示されていたのでその一部を紹介します。

  • 特別プログラム「IFA 100」では歴史に名を残すデジタル製品が数多く展示されていた

ラジオ展から100年、歴史を今に伝える特別プログラムが熱かった

IFAの起源となる展示会は、1924年12月4日に「Große Deutsche Funkausstellung(大ドイツラジオ展)」の名称で始まりました。

現在IFA Managementは、イベントの正式名称に「IFA」を用いていますが、もともとこの呼び方はドイツ語の「Internationale Funkausstellung(国際ラジオ展)」を略して生まれたもので、今ではあらゆるエレクトロニクス製品を扱うIFAが、かつてはラジオ関連の展示会だったことを今に伝えています。

当時主に展示された製品は真空管式のラジオ受信機で、それに関連して蓄音機や録音装置なども出展されました。1924年の第1回の閉幕後、会場には電波塔の建設もスタートし、2年後の1926年にラジオ放送を開始。このベルリンラジオ塔は既に放送用のタワーとしての役割は終えていますが、今もメッセ・ベルリンの敷地内に残っています。

  • ドイツの家電ブランド・Loeweの真空管ラジオ「OE333」(Loewe Radio)。掲示の説明によると1927年から31年にかけて製造されたという

IFAの歴史での有名なエピソードとしては、1930年の第7回開催時、当時まだアメリカへの移住前だった物理学者のアインシュタインが開会スピーチを行ったことも挙げられます。今年開かれたIFA 2024では、会場となるメッセ・ベルリンの南側入場口に、アインシュタインの巨大ホログラム映像が流れていました。

  • 1930年、第7回ラジオ展でアルベルト・アインシュタイン氏が講演した記録も

IFA 100周年記念展示では古いラジオがいくつも展示されていましたが、中でもドイツの製品として歴史的にも有名なのは、ナチス政権下で開発された「国民ラジオ」でしょう。1933年に初代宣伝大臣に就任したゲッベルスは、国民を感化するにあたりラジオが強力な手段になると考え、受信機を普及させるため国策として低価格のラジオの開発・生産を進めました。IFAで国民ラジオが発表された後、ドイツ国内でのラジオの普及は加速しました。

  • 国民ラジオこと「Volksempfänger(フォルクスエンプフェンガー) 301」(VE301Wn)。1933年に登場

また、戦後になるとトランジスタが実用化され、ラジオはより小型で、デザインの自由度も高いものになりました。今回のIFAでは昨年創業100年を迎えたドイツの家電ブランド・Loewe(レーベ)が製造した、戦前および戦後のラジオなどを見ることができました。

  • Loeweが1960年に出したラジオ「Lissy Opta」(UKW 5940)。外装に皮が使われオシャレなデザインだ

テレビやオーディオにも歴史あり。初代ウォークマンの展示に感慨

ラジオに続いて、IFAで存在感のある製品となったのがテレビです。ドイツでは1920年代末に早くもテレビの送信試験が実験的に行われ、1930年代には国の放送協会がテレビ放送を開始しています。1939年に第二次世界大戦が始まると、IFAは1940年から1949年まで休止されましたが、1950年に再開されると、テレビは最も重要なカテゴリの一つになりました。

当初白黒だったテレビは、アメリカでは1954年にNTSC方式によるカラー放送が始まっていましたが、ヨーロッパではカラー化が遅れ、1967年になってPAL方式でのカラー放送が始まりました。ドイツにおけるカラー放送は、後に西ドイツの首相を務めるヴィリー・ブラント外務相がIFAで開始を宣言しました。

  • 1970年代に登場したフィリップスのカラーテレビ「Van Gogh D22K962」。外装ケースにはまだ木材が使われている

カラーテレビが普及した後にやってきたのが、家庭用ビデオテープレコーダーの覇権をめぐる開発・販売競争です。1970年代に入ると世界の主要電機メーカーからさまざまな方式が提案されましたが、その後ビデオ市場で勝利したのは、1976年に日本ビクターから初号機が発売されたVHS規格でした。

その前年にベータマックスを発売したソニーは、据え置き型デッキの規格争いには敗れましたが、ビデオカメラでは8ミリビデオ規格を採用した小型軽量なカメラを投入し、成功を収めました。

  • ソニーがベータマックス規格の家庭用ビデオデッキを発売した翌年の1976年、日本ビクター(海外では「JVC」ブランドを使用)は対抗となるVHS規格の初代機「HR-3300」を発売した。IFA会場に展示されていたのはヨーロッパ向け製品のひとつ「HR-3300EG」で、日本版ではダイヤルノブだったチャンネル選択がボタン式になっている

  • 8ミリビデオ規格を主導したソニーは、「パスポートサイズ」の家庭用ビデオカメラが大ヒット商品に。これは画質を向上させた上位互換規格Hi8(ハイエイト)を採用した「ハンディカム CCD-TR705E」

気軽に音楽を楽しめるオーディオ機器は、幅広い世代にとって最も身近なAV製品の一つでしょう。IFA 100周年の記念展示では、レコードや磁気テープからCDへの、音楽メディアの変遷を振り返ることができました。エポックメイキングな製品としては、1963年に発売された初期のカセットテープレコーダー、1979年の初代ウォークマン「TPS-L2」、CDをソニーと共同開発したフィリップスのCDプレイヤー「CD100」などが並んでいました。

  • フィリップスのカセットテープレコーダー「EL 3300 Kassetten-Rekorder」(掲示の説明によると1963年発表)。乾電池で動き片手で持てるほど小型。付属のマイクからカセットテープへ録音できる

  • ソニーの初代ウォークマン「TPS-L2」(1979年発売)。モノラルのポータブルカセット録音機「プレスマン」から録音機能とスピーカーを省き、代わりにステレオ再生機能を搭載した。録音できないカセットデッキの商品性には疑問の声があったというが、当時の盛田昭夫会長の号令で商品化し、今につながる携帯型音楽プレイヤーの市場を作り上げた。左奥の赤い製品は子供向けの「マイ・ファースト・ソニー」シリーズのウォークマン

  • 1970年代、デジタル録音の商品化に取り組んでいたソニーと光学ディスクを開発していたフィリップスが合流し、1982年にCDを発表した。同年、それぞれの初代製品となるソニー「CDP-101」、フィリップス「CD 100」(写真)が発売された

1970年代から80年代にかけて家庭用オーディオの中心だった「ラジカセ」は、日本の家電メーカーが強みを持っていた商品カテゴリーでした。特にアメリカでは大型のラジカセが好まれ、ヒップホップなどのストリート文化でも重要なアイテムとなっていきました。

IFAの展示では、説明のカードにラジカセを指す言葉として「Ghettoblaster(ゲットーブラスター)」と書かれていましたが、これはストリート文化の中心だったアフリカ系やラテン系などのアメリカ人が自身のマイノリティ居住地域をゲットーと称し、そこで音楽を発射するデバイスだったことから、英語での(大型)ラジカセの呼び方のひとつとして広まったものと言われています。

また、世界初の開放型ヘッドフォンと言われ、最近まで交換用イヤーパッドが供給されるなど長期にわたって愛されたゼンハイザーの「HD414」も展示されていました。

  • 1968年に発売したゼンハイザーの「HD414」(写真右)。世界初のオープン型ヘッドホンとして世界で1,000万台を超える売り上げを記録した。カラフルな交換用イヤーパッドも魅力

  • シャープが1982年に発売したラジカセ「GF-7500H」。カセットデッキ部に書かれた「METAL」の文字や、その右にある周波数特性のグラフなどが時代を感じさせる。(手前は現在もドイツで販売されているノーマルテープ)

  • シャープのラジカセ「GF-7500H」の説明書き。大型ラジカセ製品の多くに「Ghettoblaster」と書かれていた

  • 会場にはAppleの初代iPhoneやiPhone 3G(第2世代モデル)、任天堂のゲームボーイなど、通信やコンピューターに関するエポックメイキングな製品も多く展示されていた