アップルのMacは、映像や音楽などのデジタルクリエーションと相性が良いパソコンであると言われています。おもな理由は、制作に必要なアプリケーションや外部ハードウエアの種類がサードパーティ製も含めて充実していることと、その動作が安定しているからです。
アップル純正のデジタルクリエーション向けアプリケーションはMacだけでなく、iPadやiPhoneなどさまざまなアップルのデバイスで快適に使えるように最適化されています。代表的なものには、映像制作用の「iMovie」や音楽制作向けの「GarageBand」があります。
このたびアップルが、多くのプロクリエイターが愛用するアプリケーションの「iPad版」を発表したことが話題を呼んでいます。映像制作の「Final Cut Pro」と音楽制作の「Logic Pro」です。一般にはあまり聞きなじみのないアプリケーションかもしれませんが、デジタルクリエーションの入門者もiPadを使って直感的に映像・音楽制作を試せる“iPadアプリ”になりました。魅力を解説します。
プロも満足の映像・音楽制作アプリのiPad版、月額700円から試せる
筆者が本稿を執筆している2023年5月中旬現在、App StoreではmacOS版のFinal Cut Proが45,000円、Logic Proは30,000円の買い切り価格で販売されています。どちらのアプリケーションも、豊富な機能とMacに最適化された使いやすさを考えれば、価格はお買い得といえるのですが、iPad版は月額700円/年額7,000円のサブスク価格で登場しした。プロも満足できる充実したiPad向けのデジタルクリエーションツールを気軽に試せるように、1カ月間(Mac版は90日間)のフリートライアルも用意しています。
MacBookも十分にパフォーマンスが高く可搬性の良いクリエイター向けデバイスですが、画面タッチやApple Pencilを使って手作業のような直感的操作を実現するiPadは、映像・音楽のデジタルクリエーションの可能性をさらに拡大します。
最初に、Final Cut ProのiPad版を初めて試す人に、注目してほしい3つのポイントを挙げてみたいと思います。
映像制作向けアプリのFinal Cut Proは、M1チップ以降のAppleシリコンを搭載するiPadに対応しています。OSはiPadOS 16.4以上にアップデートが必要です。
12.9インチのiPad Pro(第5世代以降)はiPadの中で唯一、HDR(ハイ・ダイナミック・レンジ)に対応する高画質なビデオのクオリティを劣化させることなく表示できるLiquid Retina XDRディスプレイを搭載しています。iPad Pro、またはiPhone 14 Proシリーズで撮影したApple ProResコーデックの4K高画質ビデオを取り込んで、正確な色と安定した画質を再現できる「リファレンスモード」を有効にして、スタジオグレードの映像編集環境が持ち歩けることも12.9インチiPad Proの魅力です。
とはいえ、iPadのフラグシップモデルである12.9インチiPad Proは高価なデバイスです。M1チップを搭載するiPad Airは10万円を切る価格で購入できるので、まずは本機とFinal Cut Proによる映像制作環境を揃えるのも良い手だと思います。
iPadのタッチ操作、Apple Pencilを活かした「3つの特徴的な機能」
筆者が注目するiPad版Final Cut Proの特徴的な機能は3つあります。
ひとつは「ジョグホイール」という、画面のタッチ操作に対応するiPad版アプリのために新設されたユーザーインターフェースです。
アプリの画面左側、または右側をタップすると、半円形のジョグホイールが開きます。Final Cut Proのプロジェクトに取り込んだビデオやオーディオファイルのクリップを素速く任意の位置まで早送り・早戻ししたり、ホイールをゆっくりと操作しながらフレーム単位で任意の編集ポイントを正確に探せます。ジョグホイールの操作に慣れると、クリップのトリミングも正確にできるようになります。
ふたつめが、Apple Pencilに最適化された「ライブ描画」という名前の新機能です。クリップを選択してから、アプリの画面上部中央のアイコンをタップしてライブドローイングモードに切り替えます。すると、画面の下にツールパレットが表示され、スクリーン上にイラストや文字が書き込めるようになります。手書き風のタイトルや字幕を付けたい場面に最適です。
Apple M2を搭載するiPad Proなら、「Apple Pencilによるポイント」の機能を使ってペンシルをiPadの画面の上に浮かせるように操作しながら、クリップの再生・編集位置を移動することも可能です。
そして3つめとして、iPadは内蔵カメラでビデオを撮って、すぐにFinal Cut Proで編集作業に移行できるところがMacとの大きな違いです。Final Cut Proがあれば、iPadの高画質カメラを活用する機会がこれまで以上に増えそうです。
Final Cut Proを頻繁に使うようになると、iPadの内蔵ストレージの容量が不安に感じられるかもしれません。iPadOS 16.4は、USB HDDなど外部ストレージデバイスの接続にも対応しています。iPadOS標準の「ファイル」アプリを介して、Final Cut Proのプロジェクトをアーカイブして外部ストレージに保存したり、ビデオファイルとして書き出せるので、ストレージ不足は心配無用です。
iPad版Final Cut Proで制作したプロジェクトは、Mac版Final Cut Proに読み込んで作業をバトンタッチすることも可能です。注意したいのが、iPad版アプリのローンチ当初は、MacのプロジェクトファイルをiPadに読み込むことができません。アップルはアップデートによる対応を検討しているようです。
Logic Proがあれば、iPadが楽器や移動可能なスタジオになる
Logic Proは、A12 Bionicチップ以降を搭載し、iPadOS 16.4以上にアップデートを済ませているすべてのiPadで楽しめる音楽制作向けアプリです。
2020年に発売された第8世代の“無印”iPadも、動作環境要件を満たしています。ただ当然ながら、ハイパフォーマンスなAppleシリコンを搭載するiPadの方が作業はスムーズにできると思います。
Logic Proを使いこなせば、アプリに収録されている鍵盤楽器や弦楽器の多彩な音源、ドラムのリズムをタッチ操作で演奏しながらレコーディングができます。音源のミックス編集や書き出しまで、ポータビリティの高いiPadとLogic Proの組み合わせだけで音楽制作を完結できるので、ややもすればクリエイターにとって楽器やスタジオの概念を根本から覆してしまうアプリになるかもしれません。
iPad版Logic Proには、音楽クリエイターの期待に応える3つの特徴があります。順に紹介しましょう。
Logic ProをインストールしたiPadは、画面のタッチ操作によって楽器のように演奏できます。画面右側のキーボードアイコンをタップすると、画面の下側に「プレイサーフェス」と呼ばれるインターフェースが起動。プレイサーフェスはキーボードのほか、(ギターの)フレットボード、ドラムパッドなどが選べます。
もちろん、iPadのUSB-Cコネクターに外部のMIDIコントローラーを接続したり、デジタルオーディオインターフェースを経由して楽器やマイクを接続すれば、より本格的な演奏を録音することも可能です。
Apple Pencilによる操作で正確な楽曲の編集作業も行えます。任意のトラックに「オートメーション」を設定して、「ブラシ」ツールを選択してからApple Pencilでオートメーションカーブを描くと、音量のアップダウンやエフェクトを直感的な操作により変更できます。
多彩なサンプル音源を自在にカスタマイズできる
2つめの特徴は、Logic Proアプリに収録されている多彩なサンプル音源を、「サウンドブラウザ」というシンプルなインターフェースから素速く検索して設定できることです。
画面左下にあるアイコンをタップすると、画面の左側にはすべてのLogic Proのコンテンツにアクセスできる「サウンドブラウザ」が開きます。サウンドブラウザには「音源パッチ」「オーディオパッチ」に「ループ」「サンプル」「プラグインプリセット」など、サンプル音源のリストが並んでいます。それぞれを展開してプレビューを聴きながら、制作する楽曲に合った素材を選べるようにユーザーインターフェースが洗練されています。
楽曲にマッチするサンプル音源をベースに、タイミングやピッチをカスタマイズしてオリジナルのサウンドに仕上げられるプラグインも充実しています。Mac版のLogic Proからシンセサイザー/サンプラー/ビンテージEQ/コンプレッサーなど、100を超えるプラグインがiPad版アプリに移植されました。
アプリ画面の下側中央にあるコントロールアイコンをタップすると、選択したサンプル音源の加工に適したプラグインを並べて表示する「ミニビュー」が開きます。ビート作成を革新するユニークなツールの中には、任意のサンプル音源を切り貼りして新しい音源に作り替えられる「クイックサンプラー」、素速くリズムパターンやベースラインを作曲できる「ステップシーケンサー」、画面のタッチ操作でビートのタイミングとピッチを直感的に描き変えられる「ビートブレイカー」など、クリエイターをバックアップする強力なツールの数々があります。
コントロールアイコンの隣に並ぶミキサーアイコンをタップすると、フルスペックのミキサーツールが出現。サウンドを聴きながら、トラックの音量や定位の調整が画面のタッチ操作により素速く、正確に行えます。
アップルのクリエーションツールと高い互換性を確保
Logic Proのプロジェクトを保存すると、録音データとすべての変更内容がプロジェクトと一緒に保存されます。作業内容は自動でバックアップされるので、不意にアプリがシャットダウンしてしまった場合でも、その瞬間まで続けてきた作業の内容が失われることはありません。
そしてiPad版Logic Proの3つめの特徴は、アップルによる他のクリエーションツールとの高い互換性を確保していることです。iPadとMacとの間でラウンドトリップ互換をサポートしているので、Mac版・iPad版のLogic Proの間でプロジェクトの移動ができます。アップルによる音楽制作のための入門アプリケーションであるGarageBandのプロジェクトを、Logic Proで開くことも可能です。
Mac版のLogic Proには、2021年秋のソフトウェアアップデート以降から、ドルビーアトモスによる空間オーディオに対応する楽曲にミキシングして、Apple Musicに納品するマスターファイルを書き出せる機能が乗っています。iPad版アプリは、リリース当初この機能が搭載されていません。アップデートによる追加を期待しましょう。
一流クリエイターによる創作から学べる
デジタルアプリケーションによる音楽制作を体験したことのない方が、いきなり多機能を極めるLogic Proで自身の楽曲を作ることは難しいかもしれません。iPadにLogic Proをインストールすると、最初に3つの「基本サウンドと音源」が入手できます。
Logic Proの新規プロジェクト作成の画面「習得と探索」には、著名なミュージシャンが制作したデモプロジェクトやたくさんの「レッスン」が収録されています。プロが作成したプロジェクトを見て、楽曲の構成やプラグインの使いこなし方を学びながら、一歩ずつ慣れ親しむのがよいと思います。アプリの使い方を収録したガイドツアーや、ワークフローの紹介なども並んでいます。これらの有益なガイダンスを活用するとよいでしょう。
アップルの公式YouTubeチャンネルには、iPad版のFinal Cut ProとLogic Proの魅力を約2分にまとめたイントロダクション動画も公開されています。これからiPadによるビデオ・音楽の創作に本気でチャレンジしてみたい方はぜひご覧ください。