iPad miniのデザイン刷新があったものの、主役のiPhoneに関しては目新しさに欠けるという評価が散見されたAppleの9月イベント。しかし、最大のユーザー層に訴求するラインナップであり、今年のiPhoneが売れることが2022年以降のAppleの下地作りになります。
SE以外のiPhoneが超広帯域チップ装備、その意義は?
Apple関連のリーク報道で知られるBloombergのマーク・ガーマン(Mark Gurman)氏が、Appleのイベント後にiPhone 13シリーズを「iPhone 12s」と評していました。
ほかにも目新しさに欠けるという評価が散見されましたが、スマートフォンは成熟期に入って久しく、毎年大きな変化は望めません。昨年のiPhone 12シリーズは前世代からSoCの性能が大きく向上、5Gに対応し、デザインも刷新されました。Appleは「iPhone XS」(2018年発売)を最後に、“s”を付ける製品名を使っていませんが、大きな変更に続いてそれに磨きをかけたモデルが続く製品サイクルに変わりはありません。今年はマイナーアップデートの年であり、今年のiPhoneが12を踏襲したような製品になるのは予想されていたことでした。それを踏まえた考察が、今年のiPhoneの評価ポイントになります。
今年の9月イベントを見て印象に残ったのは、これから成長するエコノミー(経済圏)を見据えて、iPhoneの買い替えを促すラインナップを揃えてきたこと。成長市場とは、5Gであり、MR(複合現実)やAR(拡張現実)であり、クリエイターエコノミーであり、新型コロナ禍を経て成長したフィットネス市場などです。「そんな話、してたか?」という声が聞こえてきそうですが、まずは下の今年のiPhoneのラインナップを見てください。
昨年699ドルだった「iPhone 12」が599ドルに下がりました。米国では、スマートフォンは600ドルを下回ると一般消費者の購買意欲に高まる傾向がここ数年見られていて、昨年599ドルに下がった「iPhone 11」も良く売れました。つまり、新機能よりも価格を重視する一般消費者に響く価格帯に、今年は5G対応iPhoneが降りてきました。5Gを大々的に取り上げた昨年に比べると、今年のイベントでは5Gの話題はわずかでしたが、昨年の5G対応以上に今年のラインナップは5Gの普及を加速させそうです。
そしてもう1つ、通常のiPhoneで最も安価な499ドルのモデルが、昨年の「iPhone XR」から「iPhone 11」に変わりました。それによって、iPhone SE以外のiPhoneがすべて、Ultra Wide Band(UWB:超広帯域無線通信)技術のU1チップ搭載モデルになりました。
UWBは、高精度な測距・測位を可能にする技術です。U1搭載で何ができるかというと、現時点ではApple製品間のワイヤレスファイル転送機能「AirDrop」で端末を向けた方向の相手を優先表示したり、紛失防止タグ「AirTag」の「正確な場所を見つける」などです。まだ用途は多くありません。でも、今後の可能性は広大です。
例えば、鞄やポケットに入れたまま解錠できるスマートキー、かざすことなく離れた位置から支払える非接触決済、そしてMRやARへの利用も期待されています。MR・ARといえば、AppleがMRヘッドセットやARグラスを数年内にリリースするという噂が飛び交っていますね。SoCの処理性能や搭載できるバッテリーが限られるスマートグラスに機能を持たせるなら、Apple Watchのようにスマートフォンとの連携が解になります。
この段階で来年以降のデバイスを予測しても詮無いことですが、U1でARグラスの可能性が広がるとして、肝心のU1搭載iPhoneがユーザーに行き渡っていなかったら「タマゴが先か、ニワトリが先か」の問題に陥ってしまいます。U1搭載iPhoneの普及は、ARグラスに限らず、今後のウェアラブルやスマートホームの可能性を広げる下地になるはずです。
来年15周年を迎えるiPhoneの歴史を振り返ると、大きな転機の1つが「iPhone 5s」の「A7」プロセッサ搭載でした。A7は性能面で向上した以上に、スマートフォンで初となる64ビットアーキテクチャへの移行で大きなインパクトをもたらしました。モダンなソフトウェア構造を取り入れやすくなり、それに刺激を受けた開発者によってiOSアプリの質や利便性が向上。アプリを用いたソリューションの幅が大きく広がりました。
iPhone 5sも“s”の年のiPhoneで、iPhone 5のマイナーアップデートだっため、発表後の盛り上がりは今一つでした。でも、成熟したモデルの完成度は高く、Appleは翌年以降もiPhone 5sを普及価格帯のモデルに据えて長く販売し続けました。そして、iPhone 5sが求めやすくなったことで、アクティブなiPhoneに64ビットアーキテクチャのSoCが広がりました。iPhone 5sは、それ自体は革新的なスマートフォンではありませんでしたが、モバイルアプリが人々の暮らしや社会を変える革新の下地になりました。
U1チップを備えたiPhoneが普及価格帯を含むラインナップ全体に行き渡り、買い替えが進むことが、コンタクトレス(非接触)や今後のウェアラブルやスマートホームの可能性を広げる下地になると期待したいところです。ちなみに、iPhone SEも第3世代モデルが来年にも登場するという噂レベルの報道があります。もしかすると、2022年に販売されるiPhoneは、すべてU1搭載になるかもしれません。
iPhone 13シリーズで強力なカードを切ってきたApple
イベントではiPhone 13シリーズに関して、カメラの向上のほか、バッテリー駆動時間の向上やストレージの容量アップをアピールしていました。
カメラの強化は毎年のことで、その他の改良点も保守的で小幅という声が聞こえてきますが、一般の消費者の視点で評価すると、今年の向上は買い替えを強く働きかける魅力的な強化です。
今年3月にBlinkAIが公開したスマートフォンコンシューマリポートによると、米国のスマートフォンユーザーが買い替える理由のトップは「長いバッテリー時間」(73%)、「プロセッサーの高速化」(43%)、「写真/動画品質の向上」(41%)が続き、「5G」(34%)を上回りました。
サーベイ調査はサンプルによって結果が異なります。BrinkAIはカメラ技術を開発する会社です。T-Mobileのような通信キャリアの調査では、5Gがトップになっています。どちらが正確なのか、ここ2年ぐらいのいくつかの調査を参照してみたところ、BrinkAIの結果が米国の消費者の一般的な意見に近いようです。例えば、USA TodayとSurveyMonkeyによる調査(2019年)でも「バッテリー時間」(76%)、「写真・動画の撮影機能」(57%)が5G(37%)を上回っています。逆に、iPhoneからAndroidに乗り換える理由でも、いくつかの調査でバッテリー時間がトップになっています。バッテリー時間は地味な向上に映りますが、買い替えの判断に最も影響する向上なのです。
半導体不足でパーツ価格が上昇しているため、iPhone 13は昨年より50ドル前後は高くなるという見方が発表前は優勢でしたが、ラインナップを通じて昨年と同じ価格に据え置かれました。しかも、例えばiPhone 13の場合、ストレージが「128GBから」になり(iPhone 12は「64GBから」)、ビデオ再生可能時間が最大19時間(同17時間)に、そしてA15 Bionicを搭載しています。同じ価格でバリューが向上しているのですから、実質的な値下げといえます。
技術や新機能への関心が薄い一般的な消費者に対しては、“お買い得感”が売れ行きのポイントになります。今年は普及価格帯だけではなく、最新のiPhone 13シリーズもお買い得感が伝わってくる構成と価格です。マイナーアップデートの年なので、昨年のモデルから買い替える人は少数になりそうですが、さらに前の世代から買い替えのタイミングを探っていた人達には、次に取り上げるカメラの強化と合わせて、買い替えのモチベーションを沸かせそうです。
iPhone “Pro”のターゲットユーザーは誰?
iPhone 13のカメラはセンサーサイズが拡大され、アウトカメラの広角カメラがセンサーシフトの光学式手ブレ補正に対応しました。iPhone 13 Proは3眼のカメラシステムが新しくなって、標準の広角カメラがピクセルサイズ1.9μmに大型化、超広角カメラがf1.8と大幅に明るくなり、新たに最短2cmのマクロ撮影に対応します。iPhoneで撮影できる表現の幅がさらに大きく広がりそうです。カメラ強化の詳細については、こちらでご確認ください。
カメラ強化というと、iPhoneの上位機種の名称に“Pro”が付いた際、iPhoneでProモデルは成立しないのではないか、という議論が広がりました。昨年・今年とAppleはProモデルの発表でシネマトグラファーやカメラマンがiPhoneのみで撮影した作品を紹介しています。しかし、撮影機材の1つにiPhoneを組み込んで活用していくプロが増えていくとしても、メインの撮影機材として使われるようになるかというと疑問符が浮かびます。プログラマーやデザイナーがメインツールとして使いこなす姿を容易に想像できるMacのProモデルと違って、iPhoneでProモデルはユーザーを想像しにくいと指摘されました。
ところが、新型コロナ禍から「クリエイターエコノミー」の成長が加速し、そうした認識がこの1年で大きく変わりました。Proモデルには、増加するクリエイターからの大きなニーズが存在します。
クリエイターエコノミーとは、ブロガー、YouTuber、イラストレーター、ライターなど、デジタル技術を駆使して創作活動を営み、組織などを介することなく直接稼ぐ人々を中心とした経済圏を指します。キュレーターやコミュニティ運営者、ソフトウェアツールやサービスを含めた巨大な経済圏が形成されています。
例えば、2020年にゲーム実況/配信「Twitch」のストリーマー数が倍増、アーティストやクリエイターの収益化を支援するプラットフォーム「Patreon」のユーザー(パトロン)が600万人を超え、インフルエンサーメッセージ動画「Cameo」の2020年の動画販売が100万本を突破しました。その市場規模は1000億ドルを超え、YouTubeだけで300億ドル超と試算されています。
クリエイターエコノミーで活動する人にはプロも含みますが、多くはプロとして活動していなかった人たちです。iPhoneのカメラは、撮影性能でコンデジを置き換える存在から、AIを駆使して、これまで高額なカメラと熟練した撮影技術や知識を必要としていたような作品を簡単に撮影できるカメラに進化してきました。本来は複雑な現像プロセスを要するような写真を、コンピュテーショナルフォトグラフィで自動的に生成してくれます。
プロユーザーの中には、AIの判断による最適化を良しとせず、すべてを自分でコントロールできる柔軟性を求めるユーザーが少なくありません。プロ用のカメラとして見たら、自動化に進むiPhoneのカメラ機能の進化は従来のプロの必要性と矛盾しているところがあります。
しかし、今クリエイターエコノミーの成長を支えているのは従来のプロだけではありません。従来のプロ用の機材は使いこなすのに努力と時間が必要で費用もかかりますが、カジュアルに創作活動を展開する多くのクリエイターのニーズにiPhoneのカメラが応えてくれます。モチベーションと創作意欲さえあれば、iPhone 13でも旧いiPhoneでも、クリエイターとしてのスタートを切れます。さらにプロに近づきたいクリエイターのステップアップをProモデルがサポートしてくれます。
コロナ禍、半導体不足、過熱するリークを乗り越えて安定の9月イベント
発表イベントはすべてApple Parkからではなく、サンフランシスコの科学博物館Exploratoriumで「iPad」と「iPad mini」、Big Surと思われる海岸で「Apple Watch Series 7」、サンディエゴのRady Shellシアターで「iPhone 13」、最後に夜のApple Parkで「iPhone 13 Pro」というように、カリフォルニアのさまざまな場所を巡りながらの発表でした。
Exploratoriumは、実験などを楽しめるファミリー向けの科学博物館です。Exploratoriumでのプレゼンテーションを通じて、普段学校で無印iPadを使う子供達の姿を想像できます。Apple Watchも屋内より屋外からの方が、外に出てアクティビティを楽しむためのデバイスの特徴が伝わってきます。iPhone 13シリーズの発表は、どちらもシアターの雰囲気でクリエイティビティを演出していました。今回は各製品の特徴を活かす用途にフォーカスした演出で分かりやすく、特にカリフォルニアを知っている人には楽しめるプレゼンテーションでした。
半導体不足の影響で供給が制限される可能性が危惧され、9月イベントの発表はiPhoneとApple Watchのみというリーク報道がありましたが、iPad miniも発表するというサプライズ。しかも、Apple Watch Series 7以外は遅れることなく、例年通りの予約開始と出荷スケジュールです(Apple Watch Series 7は秋後半に販売開始予定)。
リーク報道といえば、今回は「リークの大外れ」が話題になりました。過去に数々のスクープをものにしてきたリーカー達が、Apple Watchがフラットなデザインに刷新されるとしていました。ところが、発表されたApple Watch Series 7はこれまでと同じ丸みのあるデザインでした。
リーク情報が多くの人の注目を集め、AppleがApple Watchのデザイン刷新を予告していたわけでもないのに、リーク情報通りにならずに動揺が広がりました。時に情報の盗難や不適切な金銭の授受があったり、リーク報道がエンターテインメント化して根拠のない情報まで半ば事実のように拡散するなど、強い影響を持ち始めたリークの功罪が指摘され始めています。iPhone 13の発表イベント前には、直前のタイミングを狙ってiPhone 14のリークニュースが出てきました。このままリーク・カルチャーが過熱していくと、今後フェイクニュース問題と絡めた議論に発展する可能性があります。
ちなみに、今回Apple Watchのリークが外れたことについて、ここ数年リーク情報で注目を集めているジョン・プロッサー(Jon Prosser)氏が自身のリーク情報をフォローアップして、デザイン刷新が見送られたという説を唱えています。新デザインが製造過程で基準を満たせず計画通り量産に移れなかったというNikkei Asiaの記事を引用し、またイベントのビデオでApple Watchの発表の部分だけトランジションが不自然で直前に差し替えられた可能性を指摘。直前の新デザイン見送りがApple Watch Series 7の量産開始の遅れにつながったとしています。
閑話休題、この厳しい状況においてAppleは電子部品の不足問題をうまくコントロールしているようです。今年もオンラインイベントになりましたが、COVID-19という言葉をまったく使わず、コロナ禍前と同じように製品を発表し、半導体不足のリスクの影を感じさせない9月イベントを実現しました。発表イベントからApple株は下落が続いていますが、半導体不足の影響が読み取れるような内容だったら大幅下落もあり得ました。iPhone 13シリーズをはじめとする今年のiPhoneは、次の時代へ進む準備となる成熟したラインナップになっています。これからライバル企業によるモバイル・PC関連製品の発表が続きます。今年のホリデーシーズンの製品供給状況が明らかになるに従って、穏やかな9月イベントを実現したAppleの強さが見えてくるのではないでしょうか。