高性能ミラーレス「α」シリーズを引っ提げ、ここ数年のカメラ業界全体をけん引してきたソニー。同社が初めて“フラッグシップ”と銘打った高性能モデル「α1」がいよいよ登場しました。これまで数多くのミラーレスや一眼レフを使いこなしてきた落合カメラマンも、フラッグシップの名に恥じない唯一無二の実力を体感できたようです。
あらゆる点で一眼レフを超えたっ、かも!?
こりゃ参ったね。ソニー「α9」シリーズ以上の高速性を身につけながら画素数を5010万画素に大幅アップ、青筋立てつつ青息吐息で追いすがろうとしている競合機種たちを半笑いで引き離しにかかっているんだもん。コワいね。コワすぎます。
しかも、実勢価格が他社の某フラッグシップ一眼レフとガチでぶつかる数字になっていたりもする。これは「製品名に『1』を冠した意味をドウゾ深読みしてください」と言っているようなモノでしょー。いやはや、ソニー「α1」、もうチョー余裕っすね。ベンチマークだった(?)某一眼レフ「1」すらも追い越そうとしているんですから。コ、コワイヨー。
んで、実際に使ってみたら、もうね、最初から最後まで口角が上がりっぱなし。当たりまくるから撮っていてスゴく楽しいのだ。「オレ、写真が巧くなったんちゃう?」って思い込ませてくれるなんて、ついこの間まで営業自粛に追い込まれていた楽しいお店みたい(笑)……という例えが適切であるかどうかはさておき、動体に対する適応能力は、もう完全にフラッグシップ一眼レフに比肩するレベル。いや、測距点分布(実質、画角内のどこでもピントが合わせられるようなもの)や、それを活かしてのトラッキングAFが大幅な実力向上を感じさせる仕上がりになっている点を鑑みるならば、一眼レフをカンペキに超えてしまったと言っても差し支えないだろう。
最高30コマ/秒のブラックアウトフリー連写は、その秒間コマ数からも分かるとおり、もはやほとんど「動画切り出し」の世界。「写真」にとってそれは正義なのか、という議論はあってしかるべきとは思うけれど、プロセスはどうあれ仕上がりのクオリティがすべてとの考えを押し通すのであれば、とりわけ動体撮影において30コマ/秒の連写による「分解能力」が有利に働くのは自明の理。動体に対峙している場合の明確なシャッターチャンス、すなわちベストな瞬間は、多くの場合、事後のセレクトで発掘されるものであり、だとするならば、素材は細かく分解されたものが数多く揃っている方がベターであるとの発想だ。
さらには、その「スピード」が5010万画素という高解像度で活かせる点が異次元の利便性を生むことにもなっている(α9シリーズは2400万画素)。これもまた議論の余地を残している(と思いたい)話になるのだけど、α1のスピード性能とタッグを組むトリミング耐性の大幅向上には、とてつもなくキケンな魅力が備わっていると思うのだ。こりゃ、動体を愛する写真家&写真愛好家は骨抜き必至。レンズのスペック不足をも補える“余裕”まで備わってしまったのだからタマりません。
疑似シャッター音やファインダー内で明滅する「撮ってますよサイン」からスピードの向上を感じることは、少なくともα1の単独使用ではなかった。しかし、仕上がりを見れば、α1が飛び抜けたものを持っていることが一目瞭然となる。撮っている時の「よし、バッチリ撮ってくれているようだな」という、ほとんどカメラまかせの頼もしい手応え(正確には、精細なファインダー表示が撮影中、視覚に伝え続けてくれる、手応えならぬ“目応え”をありがたく受理するような感覚)と、家に戻って仕上がりをチェックしたときに判明する「撮れ高(この場合は“使える”カットの量)」で二度おいしい、アーモンドグリコのような味わい。それは、現状α1だけが発揮しうる先進の使用感だ。
バッテリー持続力も実用性十分、「ミラーレスの欠点」はいずこへ?
短期間の試用では、マイナス面をあまり感じることはなかったのだけど、唯一、アイセンサーの位置変更(EVF接眼部の下部に移動し少々、上向きになっている)によるものなのか、右後方から低めの太陽光が差し込んでくる時にモニター表示とEVF表示が切り替わらず難儀した(シャッターチャンスを逃した)ことが複数回あったのが気になっている。従来のアイセンサー位置では、雨粒が付着した時などに動作が阻害されることはあったけれど、光の差し込みで切り替わらなくなることはなかったんじゃないかなぁ。
参考までに、連写しまくり&再生チェックそれなりの使い方だと、今回は1500コマ撮影でバッテリー残量50%、3000コマ撮影でバッテリー残量40%の2パターンを記録。この動力性能ならば十分に納得の燃費性能も有しているといえるだろう。そもそも全方位に隙ナシだったα9シリーズをもっともっと切れ味鋭く磨き込んだα1。ミラーレス機がついにここまで来た!(いや、そんなところまで行っちゃった!!かな?)という意味において、歴史に名を残しそうな気配、濃厚でありました。