徳生氏は2005年にグーグルに入社した。社会人デビューは当時の郵政省(現・総務省)。その後、製造技術スタートアップで3年、過ごした後、グーグルに入社している。
「兄が2002年にグーグルに入社しており、インターナショナルのプロダクトマネージャーの募集があるから受けてみないかと誘われた。当時のグーグルはGmailとか Google Earth の提供を開始したばかりで、中を覗いて見たいとも思った。まだ世界でも7000人、日本拠点も数十人しか居なかった」(徳生氏)
入社後はYouTubeのプロダクトマネージャーとなり、アメリカでYouTubeのモバイルや字幕機能などを開発。その後、日本に帰国したのちにグーグルを一度辞めている。
「もともと小さい会社で働きたいというのがあった。グーグルのなかでは、面白い仕事がみつかったり、アイデアを持ち合って、人が集まり、自然発生する仕事もあれば、そうでない時もある。その時、ちょうど、自分の仕事として区切りのいいタイミングがやってきた。ここは外に出る機会だと思って飛び出した」(徳生氏)
外に飛び出してベンチャー企業の経営に携わったのち、再びグーグルで働くことになる。
「以前はYouTubeだったが、今度はプロジェクトが異なり、グーグル本丸の検索の仕事だった。検索自体も音声認識やナレッジグラフなど、2010年当時には想像もしなかった進化をしていた。日本のグーグルも組織が大きくなり、数百人のエンジニアがいて、大きな事ができる素地が備わっていた」(徳生氏)
立ち位置が変化したGoogle、求められるもの
わずか数十人しか居ない頃からグーグルに入社し、一度、外から俯瞰した後、再び、グーグルに戻った徳生氏。日本でもグーグルが大きくなっていく中、社会的責任をひしひしと感じるようになったという。
「昔は半ば、無邪気に新しい技術に注目して製品を作っていれば良かった。しかし、何十億人という人が使うようになったら、ユーザーやパートナー、Webサイトに対して不公平な扱いがあってはいけない。YouTubeの削除ポリシーをやっていたときも、どんな動画がよくて、何がダメなのか、それを我々が判断していいのかなど、一つ一つの製品判断が複雑化していった」と徳生氏は振り返る。
製品開発に「社会的責任」が重くのしかかってくる中、そうした問題の複雑さや難しさは徳生氏のようなプロダクトマネージャーやエンジニアにとって、楽しく働くためのやりがいでもあるという。
「多くの人が使うGoogleのプロダクトで難しい課題を解決できれば、非常に大きなインパクトにつながる。課題解決には新しい技術が必要かもしれないし、地道な最適化かもしれないし、時には何かを見出すための地道な分析作業かもしれない。ただ、日々の問題を手直しするのではなく、正しく大きく解決する方法を考えることに、みな喜びを感じるし、成功すれば評価につながる。細かいタスク管理ではなく、Google のミッションに沿ったインパクトが出せるか、そういう意味では仕事のゴールははっきりしていて、エンジニアの満足度が高いように思う」(徳生氏)
「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする」というグーグルのミッションは、ネットユーザーだけでなく、グーグルで働く人にとっても、有益なもののようだ。