コンテンツ作成のポイントは「浸透度」
VRコンテンツは、押さえるべきポイントをいかに身につけるかを重視して開発された。企画の立ち上げとコンテンツの開発に関わった企画部 兼 オープンイノベーション推進担当 主任 沙魚川久史氏は、VRコンテンツの特徴をこう話す。
「単に没入感があるというだけでは教材としての意味がありません。訓練の内容が定着しやすいよう第三者の目線で一緒にストーリーのある映像を見て体験するという形にしました。映像の中では、要所要所で音声と文字でメッセージが流れます。その際、失敗例、成功例、まとめという3つのステップにすることで、現場で何をすればいいか、何をしたらいけないのかを覚えやすくしています」
例えば、火災発生時の避難誘導なら「ドアの前に立ったらまず何をすべきか」「ドアを開けたら何をすべきか」「救助したらどう避難させるか」がポイントだ。そこで最初の映像では、ドアをいきなり開けたり、取っ手をつかんだりする失敗例を提示し、本来はどうすべきだったかを問いかける。続いて、ドアを小さく開けて煙の有無などを確認する模範映像を流し、正しい対処方法を教える。最後に、ポイントをまとめて提示し、記憶への定着を図る。
実際に体験してみると、首を振ったり、身体をかがめたりするのに合わせて映像の視点が切り替わるため、テレビに映像を映すのと違って、災害が起こった現場にいるような感覚に陥る。研修センターでは、教官の指導の元でチームの7人が同時にヘッドマウントディスプレイを装着し、コンテンツを視聴するが、VRコンテンツを初めて体験する人の中には「臨場感がありすぎて怖い」と感じる人も少なくないという。
コンテンツは、VR/ARソリューションを展開するITベンチャーのカディンチェと共同で開発した。実際の訓練を見てもらい、その訓練内容にもとづいてVR映像を作成、教官や受講者の意見を参考にブラッシュアップを重ねていった。
「研修用の教材ですから、これで完成という姿はありません。内容の改善とコンテンツの拡充は今も続けていて、より理解しやすく、定着しやすいコンテンツにしていこうとしています。常に改善していくのは、継続ビジネスであるサービス業として当然のことです」(沙魚川氏)
「顔つきが変わる」ことの重要性
では、VRを使ったセコムの研修プログラムは一体どんな成果を上げたのだろうか?
齋藤氏はまず、理解度や浸透度の向上を挙げる。代表者1人が体験する従来の訓練方法では、実際に体験している人と体験していない人の理解度や浸透度にばらつきがあった。VR導入後は、全員がほぼ同一の判断で行動できるようになったという。
「理解度が向上したこともさることながら、目に見えて変わったのは受講者の顔つきです。今までは口頭でポイントを教えていましたが、理解した気持ちになっていても、実際は理解できていなかったことを忘れてしまっていたことが少なからずありました。VRを導入してからはそういうことがなくなり、ヘッドマウントディスプレイを取り外すと、真剣な眼差しで教官に再確認の質問をするなどして、納得できたことでスッキリした笑顔を見せるようになりました」(齋藤氏)
2つめの成果は、訓練の均質化と効率化だ。今までは同じ環境の現場を作り出すことが難しく、状況に合わせた指導を行っていたため、指導内容もチームによってバラツキがあった。VRを導入してからは、繰り返し同じ状況で指導できることから、ポイントを網羅した教育が行えるようになった。また、数十分かかっていた準備作業が一切なくなり、1日に何度も訓練ができるようになった。また、チームごとの理解度のバラツキもほとんどなくなった。
「高所からの避難では、実際に高所で避難器具を用いて落下する訓練があり、危険も伴います。そうした訓練を最小限にとどめ、同じ体験をVRで実施することで、安全に効率よく訓練を実施できるようになりました」(齋藤氏)
3つめは、VRを横展開するための雛形を開発できたことだ。もともとVR活用は「セコムオープンラボ」の取り組みをきっかけに始まった。「セコムオープンラボ」は、少し先の未来の社会課題について分野や業界を越えた多くの参加者が集い、共同して新しい価値を創出していこうという取り組みだ。
2016年4月に第1回ワークショップを開催したのを皮切りに、計9回実施した。この「セコムオープンラボ」の中で出た議論から、VR活用のプロトタイプ製作につながり、それに適した現場として最初に適用されたのが研修センターだったというわけだ。
「まずはVRに適した研修コンテンツを充実させていきます。そのうえで、研修センターでのVR導入の成果を、他の研修プログラムや他部署でのVR活用に生かしていきます」(沙魚川氏)
セコムのVR導入が成功した理由は?
VRに対しては高い期待が集まる一方、現場ではまだまだ使えないという厳しい評価もある。セコムはなぜVRで成果を挙げることができたのか。
まずは、VRを既存の研修プログラムの置き換えにしなかったことがポイントだ。実は、VRを適用した2つの研修プログラムは、従来から行っている研修に追加する形で実施されている。まず、煙が充満する中での避難誘導や避難器具を使った研修をリアルに体験し、そのうえでVRを使った仮想体験で知識や経験を補完・定着するという体制だ。
「VRはあくまで浸透度を向上させる追加のカリキュラムです。VRだけでは、手で避難器具を操作したり、人の身体を支えたりといった体験はできません。一方で、VRがなければ、受講者全員が研修内容を自分自身の知識としてしっかり定着させることはできません。それぞれの良いところをうまく使い分けることが重要です」(齋藤氏)
企画や経営を含めた全社的な取り組みとしたこともポイントだ。VRを活用するにあたっては、セコムのさまざまな部署に集まってもらい、「VRがどう活用できるか」についてアイデアを出してもらった。アイデア出しの結果、最初のプロジェクトとして選ばれたのが研修センターだったわけだが、アイデアを考える過程で、VRを活用していくという意識が全社的に醸成された。そのうえで、経営トップがVR活用推進を全面的にバックアップした。
「実際に体験しないと、新しい価値は伝わりません。『セコムオープンラボ』が開催されたあとすぐにVRのプロトタイプを製作して、経営トップにも体験してもらいました。企画から半年ほどで、研修がスタートできたのも、そうした意思決定の速さがあったためです」(沙魚川氏)
最大のポイントは、新しい技術を活用し、改善を続けていこうというセコムの企業文化だろう。セコムには、1962年の創業以来培われたセコムの行動原理をまとめた「セコムの要諦」がある。「安全文化を創造する」「常に新しく革新的である」「自らの手で自らを変化させ、誰もが変革の担い手である」「よく考える集中力と、より早く行動する習慣を育む」「強靭な意思と明快なシステム思考を重視する」などといった10個の要諦だ。
「セコムは常に革新的でなければならず、保守的な考えは持ちません。常に最高の結果を出すために考え抜き、即行動に移す。そうしたサービス業としての改善に取り組む文化がセコムにはあります。研修についても同様で、常によいものにしようと改善を続けています。VRもそうした改善の取り組みの1つなのです」(齋藤氏)
セコムでは現在、新しいVR研修プログラムの開発に取り組んでいる。コストとスモールスタートを意識して、ヘッドマウントディスプレイ単体で動作するコンテンツから導入を始めたが、今後は、ヘッドマウントディスプレイ単体では実現が難しい、サーバ配信型のコンテンツの開発などにも取り組んでいく予定だ。サーバ配信型にすることで、複数拠点で同じ研修を受けるといったことも可能になるという。また、VRを他部署で活用するための取り組みも始まった。
「VRを活用することで、社員一人ひとりのスキルアップを図り、サービス品質の向上につなげていきたい」と齋藤氏と沙魚川氏は口を揃える。自然災害や事故、テロの脅威など、安全に対する消費者の意識はかつてないほど高まっている。セコムのVR研修が真価を発揮するのはこれからだ。