現在大ヒット上映中の『シン・ゴジラ』。公開3週目で動員は230万人、興行収入は33億円を突破した。これはフランク・ダラボン、デヴィッド・S・ゴイヤーらが脚本を手がけた2014年公開のギャレス・エドワーズ監督作『GODZILLA ゴジラ』の日本での興収を上回る数字で、まさに破竹の進撃を続けている。
シン・ゴジラ |
本作は怪獣映画、もっと言ってしまうと「ゴジラ映画」の様式/形式においては、オールドなファンに気を遣ってか、実験的なアプローチを採用せず、それよりも内容/主題に重きが置かれている。また本作をある種の寓話として捉えた場合、その解釈の方向はほぼ一通りしかないので、誰が見てもとても分かりやすい仕上がりになっている。IT業界で非常に高い評価を得ているのも頷ける、納得の出来栄えである。今年1本しか観ないならこれだというITジャーナリストも多い。
今回はPC/ITの情報収集に熱心な読者向けに、作品に対する批評は抜きで、制作現場で大いに活用されたというiPad Proにフォーカスし、全編、ITジャーナリストっぽい切り口でお届けする。
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まずは、本作のVFXプロデューサーである大屋哲男氏にお話を伺った。大屋氏は89年公開の『ゴジラvsビオランテ』など数多くの作品でCGや特殊視覚効果などVFXを手がけてきた。現在は、 2008年に設立した制作会社、ピクチャーエレメントの代表取締役であり、日本のVFX業界団体「VFX-JAPAN」で理事を務めてもいる。
『シン・ゴジラ』の制作現場で活躍したのは、独CinePostproduction社のツール「COPRA4」をベースに開発された「PE RUSH!(ピー・ラッシュ)」だ。撮影済みの素材、VFX、編集など、映画制作における全てのラッシュムービーをiPad Proでチェックできるというビューワーアプリである。アプリはもちろんApp Storeからダウンロードできる。実際の運用はピクチャーエレメントとサーバー利用の申込みが必要だ。
iPad Proを使ったこのシステム導入の最大のメリットについて大屋氏は、コストを下げられるといったことよりも「今までやれなかったことができるようになること」にあると語る。では、できるようになったこととは何なのか、具体的に紹介していこう。
筆頭に挙がるのは、ネットワーク環境があれば、いつでもラッシュをiPad Proでチェックできるところか。そもそも「ラッシュ」とは何かという話をしておこう。フィルムで撮影してた時代、素材を見るにはまず、ネガを現像しなければならなかった。そこからポジのプリントを起こすのだが、そのファーストプリントのことを「ラッシュ」と言う。「早く見たい」という意味が含まれており、その日に撮ったものであることから「デイリー」と呼んだりもする。フィルムカメラの時代は、このように翌日、ラッシュを見て、内容を確認しながら撮影を続けていたのだが、デジタルカメラの時代になっても、関係者が皆で最初に見る素材を「ラッシュ」と呼んでいる。
この「ラッシュ」をiPad Proですぐに見られるというのがPE RUSH!なのだ。ラッシュには他にも「VFXラッシュ」や「合成ラッシュ」のような編集作業途中のものもあり、PE RUSH!ではこれらのラッシュ群をひとまとめにしてチェックできるのである。
このようなシステムがなかった時代は前述のように、プリントを起こして試写室に関係者を呼んでという必要があったし、デジタル黎明期ではディスクに焼いて配布していた。手間も時間もかかっていたのだが、iPad ProとPE RUSH!を使うことで、そういった手間が省けるのに加え、確認する場所も、前述の通りネットワーク環境があればどこでもOKなのである。
PEクラウドに上げた素材は、テキストの注釈を入れたり、タグ付けで管理したり、手書きのメモを加えたりできる。関係者およびスタッフはこのようにして情報共有することで、円滑な作業が進められるというわけだ。これらの操作は基本的にiPad Proの簡単なジェスチャーで行える。手書きのメモはもちろんiPad ProならApple Pencilで入力できる。
また、フレーム単位での閲覧が可能なので、止めたコマをメール添付で送信することもできる。この機能、パンフレットや宣材のスチールを切り出すという場面でもの凄く便利なのだ。ディスクに焼いてた頃は、プレイヤーを止めて、その絵をキャプチャーするか、デジタルカメラなどで撮影するかどちらかで、まず、コマごとにセレクトするのが難しく、キャプチャーあるいは撮影した絵は劣化が激しく、判別がつかないということもあったと大屋氏は当時を振り返る。
さらに、セキュリティが高いiPad Proなら素材の流出のリスクも劇的なレベルで軽減できる。iPad Proからはパスコードを入れないと利用できない上、10回間違えると内容を消去する。もし、iPad Proを紛失した場合は、遠隔操作でロックできるようになっているという。なお、iPad Pro上で見ているものはプロキシデータで、基本的に本番レベルではない(といっても、かなりの高画質であるのだが)。ディスクで渡していた時代は悪意ある人物により、他人の手に渡ったり、コピーされて、それらが海賊版として出回るということがあったのだが、iPad ProとPE RUSH!ならそういったことが防げるのである。これについては、iOSのセキュリティの高さがポイントで、恐らくAndroidでは同じようにはできないだろうと大屋氏は強調する。クライアントの資産を守るという観点からは、この機能はとても重要なのだ。
大屋氏は、iPad Proの画質についても言及。12.9インチの大画面で見やすいのは言うまでもないが、そもそも画質のクオリティが高く、皆が同じ条件で閲覧するので、指示を出すのに齟齬がなくなるという点を指摘する。つまり、PE RUSH!とセットになることで、現場のコミュニケーションツールとして機能するのである。さらに、9.7インチiPad Proでは、デジタルシネマの規格であるDCI-P3に対応しているので、プロの目から見ても画質・画像のチェック環境として申し分ないということだった。
ここまで見てきて、「今までやれなかったことができるようになる」のはご理解いただけたと思うがいかがだろうか。続いて、公開直後に催されたApple銀座でのイベント「Meet the Filmmaker」の様子と、当日登壇した、『シン・ゴジラ』の監督・特技監督である樋口真嗣氏と、編集・VFXスーパーバイザーの佐藤敦紀氏のインタビューをお届けしよう。
当日、モデレーターを務めたのはエグゼクティブプロデューサーの山内章弘氏。製作の過程から、宣伝の手法、裏話まで、さまざまなエピソードが披露された。
最初にメイキングムービーが上映されたのだが、ここで撮影にiPhone、会議の席などでiPad Proが使われていたことが明らかになった。他のカメラで撮った場合より、iPhoneのほうがが力のある画が撮れることがあると、樋口氏はコメントする。また、ワンカット目がすでにiPhoneの絵であることを佐藤氏は明かしてくれた。
本作は、脚本が300ページあり、それを見た関係者全員が「絶対に3時間越えだ」と思ったそうだが、プリビズ用のセリフだけを録って粗く繋いだら1時間半で収まったそうだ。プリビズは、ラフなCGでカメラアングルを用意して、場面場面でどんな台詞が入るか構成するという、動く絵コンテをまとめたもの。セリフだけの状態で、絵が全く入っていなくても内容が理解できるものに仕上がっていたようだ。
続いてCG周りのメイキングムービーを上映。初公開の映像も含まれていたこともあって、場内のファンは固唾を呑んで見守っていた。ここではVFXがどのように仕込まれていったのかだとか、話題となった能楽師・野村萬斎氏のモーションキャプチャーの様子などが明かされた。TVCMで流れたゴジラが歩くシーンは、実は、クランクアップした後に追加撮影されたものだという秘話も。空撮シーンも実はCGであったりするそうで、実景とCGを複雑に組み合わせた絵作りになっているという話だった。
山内氏から、CGのチャレンジで一番難しかった部分は? という質問が投げられると、佐藤氏は「総監督の庵野(秀明)さんが何を考えているのか引き出すところ」と返答し、会場の笑いを誘う。そこに樋口氏が「好き嫌いが激しいですからねえ、食べ物なんかも」と被せると、場内は哄笑の渦に包まれた。
イベント終了後、樋口氏と佐藤氏からは、さらに詳しい話を伺うことができた。
現場ではやはり、iPad Proが活躍したそうだ。樋口氏は12.9インチのiPad Proを利用しているとのことだったが、佐藤氏が割って入り、樋口氏がこの前までノートブックを使っていたのが、今はiPad Proに殆ど代わったことを明かす。もちろん、前述のPE RUSH!を利用しているが、その他に、絵コンテ制作にスケッチアプリ「Procreate」を多用しているとのことだった。『シン・ゴジラ』のイメージボードも、iPad Pro+Apple PencilにProcreateという組み合わせで描かれているという。樋口氏は「どこでも作業できる」とiPad Proを高く評価する。
PE RUSH!について佐藤氏は「以前なら編集室に行って、例えばプロデューサーが真面目に撮ってるの? 見せてよみたいなことをしていたんだけど、これでiPad ProがあればOKってことになった」と、その利便性を説く。インターネットを活用して情報共有したり、クラウドを利用するという場面も多かったそうだ。
イベント中、iPhoneで撮影された場面が結構あったという発言があったが、実際のところはどうだったのかというと両氏からは「撮れる絵を何で撮るか、そのための機材は何なのか」というレスポンスが。iPhoneの何が良いかというと、机の面などに、そのまま置けば撮れるからだとのこと。カメラ本体のクリアランスのために穴を掘らないと設置できないような場合でも、ペタッと置けばOKとなるそうだ。とはいえ、メインのカメラは業界標準であるARRIのALEXAで、これが3台。他にキヤノンのXC10が3台、特撮チームのミニチュア撮り用にRed Digital Cinema Camera CompanyのRED EPICが2台、これらに加え、数え切れないほどのGo ProとiPhoneというセレクトで撮影が行われている。
筆者は残念ながら試写には足を運べなかったので、公開初日に本作を観たのだが、そこでひとつ思ったことがあったので、最後に訊いてみた。映画という表現において、「描写」と「説明」の割合はどうなっているのが理想なのだろう。
樋口氏は「無理を承知の理想は描写100%で、説明ゼロですね。心がけているのはそこなんです。ただ、そうすると、今度は『解らない』って言われるんで(笑)。大体、編集の段階で『解らない』って言われちゃう。結局のところ描写だけでは伝わらない部分をどうブレイクダウンしていくかってことになると、それは説明になっていくんですよね。でも、やっぱり理想は描写100%。可能な限り説明はしたくない」と、佐藤氏は「描写しながら説明できてるのが一番良いっていうのがあるかもしれない。よく、アクションやってる間はドラマが止まるって言うけど、最近では頑張ってる作品もあって、アクションやりながらもドラマがちゃんと進行してくる。そういう意味では、両者が別物ではなくて、実は一緒にできる瞬間があるはずなので、それが狙えるといいですよね」と、とても丁寧に答えてくれた。その狙いが実現されているかどうか、未見の方は、是非、劇場で確認してみてほしい。