パナソニックは、2013年12月までに、プラズマディスプレイパネル(PDP)の生産を終了し、プラズマテレビ事業からも撤退すると発表した。2014年3月末までに、兵庫県尼崎市にあるPDP生産の第3工場、第4工場、第5工場の事業活動を停止する。

パナソニックは1996年に、世界初のプラズマテレビとなる「プラズマビュー(TH-26PD1)」を発売。2000年には松下プラズマディスプレイ製造(現・パナソニック プラズマディスプレイ)を設立し、2001年6月からPDPの国内での量産を開始。それ以来、プラズマテレビ市場をリードし、日立製作所やパイオニアがプラズマテレビ事業から撤退しても、国内では唯一、プラズマテレビ事業を継続してきた。そのパナソニックが、遂にその事業に幕を下ろすことになった。  

兵庫県尼崎市にあるPDP工場。手前から第5工場、第4工場、第3工場

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パナソニックは、2000年以降のデジタルテレビ普及期において、プラズマテレビを軸に事業を推進してきた。

プラズマテレビは、大画面化に優位であること、黒の表示能力が高いことから自然な表現が可能であるといった点が評価されたものの、その一方で、液晶テレビの大画面化と低価格化が一気に進展。当初は、大画面はプラズマ、中小型は液晶という市場の棲み分けがあったものの、次第にその区別がなくなり、大画面化の流れのなかで液晶テレビが一気に存在感を高めていった。

パナソニックの津賀一宏社長

パナソニックの津賀一宏社長は、「プラズマテレビは大型化に強いということを標榜してきたが、最近では液晶テレビも大型化し、低価格化してきた。プラズマでなければ、大型のものはできないという時代からは大きく様変わりしている」とする。

実際にパナソニックでも、当初は32型までは液晶テレビ、37型以上はプラズマテレビという切り分けをしていたが、徐々にその線引きを大型方向にシフト。最終的には線引きを取り払った。

量販店の店頭においては、液晶テレビが画面表示の明るさで集客しやすい状況を作っていたのに対して、プラズマテレビはその表現力を最も訴求しやすい「家庭内の明るさ」を再現。その明るさが店頭展示の場を暗く感じさせてしまい、逆に集客しにくい環境を作り出してしまったという、販売現場の課題も微妙に売れ行きを左右したといえる。

当初は日立製作所、パイオニアなどがプラズマテレビを発売し、海外ではサムスンやLG電子もプラズマテレビを発売していたものの、国内では、日立やパイオニアが、2008年以降、プラズマテレビからの撤退を発表。プラズマテレビ陣営が減少したことで、売り場でもプラズマテレビの展示スペースが縮小してしまったことも、マイナス要素に働いたといえよう。

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