難局を乗り越える力を与えた言葉
アプリ販売開始後、App Storeのトップページにアプリが紹介されたこともあり、出だしは好調だった。周囲の予想が500~1,000本程度の売上本数だったのに対し、『ウィズダム英和・和英辞典』は単月で約5,000本の売上を記録したのである。
しかし、その流れは長くは続かなかった。iPhoneユーザーは増加する一方で、アプリの売上は急減。ライバルの出現とともに、同社のアプリも過当競争に巻き込まれてしまった。
廣瀬氏は難局をどう乗り切ったのだろうか。それは意外にもアップルがデベロッパー向けに発行していた冊子に掲載されていた言葉がきっかけになったという。その言葉とは、アップルのピーター・ビックフォードが記した「あなたの製品がその分野でもっとも良いものなら、ユーザーはそれだけを使い続けるだろう」。廣瀬氏は、「別の冊子でも彼は繰り返し、製品の素晴らしさが重要だと語っていた。当たり前のことなのですが、ウィズダムの魅力はどこにあるのだろうと考えるきっかけになりました」と話す。
再度「ウィズダム英和・和英辞典」と向き合った。そして、その強みが豊富な用例にあると想定した。用例を検索できる辞典に改良したり、解説文中の単語にリンク機能を設けたり──3カ月をかけて機能の充実化を図った。それをアップデート版として無償で配布したところ、廣瀬氏の読みが見事に的中した。売上は回復していったのである。
日本語の美しさと奥行きに対するこだわり
もう一つの事例についても見てみよう。同社は2作目のアプリとして国語辞典の『大辞林』を2008年12月にリリースした。制作にあたって目標にしたのは、iPhoneの代表的なアプリを作るということだった。
インタフェース、デザインなど細部にこだわった『大辞林』 |
iPhoneの持つマルチタッチ、グラフィックス、タイポグラフィを活かして、iPhoneならではのアプリに仕上げようと力を注いだ。そのために廣瀬氏は「コンテンツをデータとしてとらえたり、文字を検索できるだけではなく、紙媒体の魅力、日本語の美しさや奥行きをデジタルの世界で楽しめるように表現しました」という。
その考えをもとにして、生まれたのが「インデックス」というインタフェースだった。iPhoneの操作性を活かし、用語のスムーズなスクロールや拡大・縮小を可能にした。フォントやタイポグラフィにも凝り、iPhoneならではの国語辞典に仕上げたのである。
結果として、同アプリは「グッドデザイン賞2009」で受賞、「電子出版アワード2009」で大賞を受賞するなどの成果を収めた。売れ続けるアプリとして、現在、累計販売本数は10万本を超えているという。廣瀬氏は成功の要因について次のように分析する。「日本語の美しさや奥行き感など、これまでデジタル媒体が取りこぼしてきた要素を取り入れ、なおかつiPhoneならではの機能を活用できたからではないでしょうか」。
アプリ開発に向けた姿勢
廣瀬氏は物書堂のコンテンツ選び、収益配分の考え方についても軽く触れた。
まず、コンテンツの選定について、「ニッチなものにターゲットを絞っています。企業規模の大きな会社が手がけそうなメジャーなテーマは勝負できませんし、たくさん売れる最大公約数的なアプリよりも、一人ひとりのニーズを満たしていけるようなコンテンツ作りをしていきたい」と述べた。
一方、今後もiPhoneアプリ開発を継続していくうえで、デベロッパーは、コンテンツメーカーへの収益配分についての考えも重要だと述べる。
同社ではリリース中のアプリの平均で収益の25%を受け取り、アップルに30%、コンテンツメーカー等に45%を配分し、なるべくコンテンツメーカーに配慮した比率にしているという。「もっと低い配分でコンテンツを買い叩くところもありますが、コンテンツの作り手がやる気を失ってしまうと、そのうち作り手がいなくなってしまいます。新しいアプリを創り出していくには、採算性のとれた健全なサイクルにしてくことが大切になるのではないでしょうか」(廣瀬氏)。