8月10日から東武鉄道でSL「大樹」の運行が始まった。列車の編成は蒸気機関車と車掌車、客車3両、ディーゼル機関車の順に並ぶ。車掌車は貨物列車に使われた車両だった。SL列車は蒸気機関車と客車だけで運行できるはずで、車掌は客車に乗務している。それではなぜ、車掌車が付いているのだろう。

8月10日にデビューした東武鉄道のSL「大樹」。蒸気機関車C11形207号機の後ろに車掌車が連結されている

報道記事などによると、ATS(自動列車停止装置)を搭載するためと説明されている。しかし、他のSL列車運行路線では蒸気機関車にATSが搭載されている。そして車掌車は連結されていない。車掌車の連結は東武鉄道だけ。どうやら特殊な事情がありそうだ。この疑問を解くために「ATSとは何か」を知る必要がある。なるべくわかりやすく説明しよう。

まず、ATSの基本的な役目は「運転士が赤信号を見逃したり、うっかりしたりしてブレーキをかけなかったりした場合、自動的に列車を停める」ことにある。そのための最低限の設備として、線路上に設置する「地上子」という機械と、車両に設置する「車上子」という機械がある。地上子が発信器、車上子が受信機の役割を持つ。

信号機が赤信号になり、信号機のそばの地上子が停止命令の電波を発信すると警報器が鳴る。運転士が5秒以内に確認ボタンを押さなかった場合には非常ブレーキがかかる。これが最も原始的なATSといえる。次に、確認ボタンを押しても列車が停止しなかった場合、所定の位置で非常ブレーキを作動させるシステムへと進化した。

ここまでは構造が単純なため、小さな車両でも搭載できる。蒸気機関車のように運転台付近が煩雑でも大丈夫だろう。ローカル線やローカル私鉄の蒸気機関車が搭載しているATSはこのタイプが多い。機関車に積んだ車上子やATS機器に電源を供給するため、ボイラー上部に蒸気タービン式の小型発電機を搭載している。

この段階のATSは「走るか停まるか」の選択肢しかない。しかし技術の進化にともない、ATSは多機能・高機能になっていった。速度照査とプログラムによるパターン制御によって、赤信号の検知から停止までを運転士のブレーキ操作に任せつつ、所定の減速パターンから外れたときに非常ブレーキをかける。また、停止だけでなく、速度制限も可能になった。急カーブなどで速度超過した場合にブレーキをかけられる。

このような高度なATSは、従来の「地上子」「車上子」「ブレーキ制御装置」の機械の他に、コンピューターを搭載した「車上装置」が必要になる。車上装置にもさまざまなしくみがあり、列車ごとの加速、減速性能を加味したブレーキ制御を可能にしたり、鉄道路線データをあらかじめ記憶しておき適切な判断をしたり、作動状況の記録を取ったりするなどの機能がある。鉄道事業者ごとに使える機能は異なるけれど、ATSは進化している。

東武鉄道は大手私鉄、しかも車両は電車ばかりだから、ATSも高度なタイプをほぼ全線にわたって採用している。鬼怒川線も例外ではない。電車、ディーゼルカー、電気機関車、ディーゼル機関車の場合は運転台が広く設置場所も確保できる。新型車両はあらかじめ車上装置の場所を設計に反映できる。

SL「大樹」も高度なATSを搭載するため、車上装置が必要となる。炭水車を連結した大型機関車であれば、炭水車側に設置できる。しかしSL「大樹」で使用するC11形のように、古い小型タンク式蒸気機関車には搭載場所がない。そこで、大型機関車では炭水車にあたる場所に車掌車を連結し、ここに東武鉄道の高度なATS車上装置を搭載した。機関車の先端の車輪近くに車上子を設置し、ここで検知した情報を車掌車に載せた車上装置に送信して処理するというわけだ。

したがって、SL「大樹」に使われるC11形207号機はつねに車掌車を連結した状態で走る。転車台にも蒸気機関車と車掌車が連結した状態で載り、回転させる。ちなみに、鬼怒川温泉駅に設置された転車台はJR西日本の三次駅にあった小型タイプ。機関車と車掌車が連結した状態で載せるには長さが足りなかった。じつは改造して長くしている。

C11形207号機はJR北海道が保有する蒸気機関車。JR北海道では函館本線や釧網本線でSL列車を運行していた。しかし函館本線などの幹線に新型ATSを導入するにあたり、改造できないという理由で休止扱いになった。釧網本線は在来型のATSだから「SL冬の湿原号」などは運行を続けられる。そこで余った1台を東武鉄道が借りたという形になっている。

今回、東武鉄道が車掌車に新型ATS車上装置を載せた。力技ともいえそうだ。あれ、もしかして、この方式なら函館本線でも運行できるのではないか。いまは余力のなさそうなJR北海道が復活したら、いずれ「返して」と言われてしまうかもしれない。

そのとき、SL「大樹」のためにこれだけの設備を整えた東武鉄道はどうするだろう。きっと別の蒸気機関車を譲り受けるか、JR東日本のように、どこかの公園の保存機を復活させるか……大丈夫だろう。どんな蒸気機関車だって東武鉄道は対応できる。「車掌車連結方式」は、苦肉の策のように見えて、じつはすごいアイデアだった。