【コラム】

記憶に残る宿のスペシャリテ

7 全部"花ちゃん"の言うとおり! 美ケ原温泉「旅館すぎもと」は個性が踊る

7/8

松本民芸家具を中心としたアンティークのインテリアを配したロビーでチェック・イン。JBLのスピーカーから流れるジャズを聴いていると、館主自らがおいしいコーヒーを淹れてくれる。そして、個性豊かな客室に通されて気持ちのいい肌障りの浴衣に着替え、ひとっ風呂を浴びた後、生ビールを一杯、一気飲み。

夕食では常識に囚われないオーナー独自の美食の哲学を堪能。旬の食材を好みのアルコールと合わせていただく。〆は夕刻、オーナー自らが打った蕎麦を味わい、その後は、宿自慢のバーでヴィンテージ・ウイスキーを体力の限界までいただき、いつの間にか夢の中へ。

「旅館すぎもと」は外観も古民家風で味わいがある

これは、長野県松本市・美ヶ原温泉「旅館すぎもと」で筆者が過ごす至福の流れだ。このように記すと、敷居の高い宿に思われるかもしれないが、常連客の多い、気さくな旅館である。和食の文化を追求する宿で構成される「日本 味の宿」という全国組織で中心的存在の宿だからであろうか、同業者の来訪も多い。

センスのいい、個性が強い"花ちゃんの館"

ロビーには暖炉がある。そして、アンティークな設えが和みの空間を奏でる。ロビーは「館主・花岡貞夫氏(愛称は花ちゃん)の部屋」とも呼ばれ、ここで館主自らがコーヒーを淹れ、宿泊客をもてなす。多かれ少なかれ、宿とは館主の哲学が投影されるものだが、まさに花ちゃんの趣向そのものの生き写しだといつも思う。

「館主・花岡貞夫氏(愛称は花ちゃん)の部屋」と呼ばれるロビーには暖炉がある

夕刻17時になると、花ちゃんは蕎麦を打ち始める。季節毎に蕎麦の産地を選び、打ち方さえ変えている。ぜひ、この蕎麦打ちを見学していただきたい。花ちゃんの名調子による「蕎麦学」を聞けば、蕎麦の深い魅力が実感できるはずだ。

客室は11種類(14室)。ロフト付き、囲炉裏付き、民芸調、隠れ家風など、どの部屋もそれぞれの個性を主張している。本人に確認したことはないが、きっと花ちゃん自身が住んで、泊まって心地いいだろうと思った客室を造り続けているのだと思う。

桂の間。他にも個性的な客室がいろいろ

十数年前、中庭にツリーハウス「登夢創屋(トムソーヤ」」を造った。ここはさすがに宿泊できないが、花ちゃんの遊び心を感じる施設だ。本物の木に乗っかっているから落ちて怪我をしないように気を付けながら、ビールを片手に秘密基地気分で遊んでみてほしい。

束間野会席では「馬刺しon雲丹」に感嘆

花ちゃんが好きなのは、おいしいもの、酒、車、オーディオ、温泉……と続くが、特に料理と酒に対する造詣が深い。筆者は酒宴を意識した創作料理(束間野会席=つかのまのかいせき)を堪能したくなり、仕事抜きで遊びに行くのだが、料理に合わせる酒は任せている。いわゆるペアリングなのだが、ワインや酒へのこだわりがまたすごいのだ。

オーディオが客室にも

ここの宿では、旅館料理という既成概念に囚われない、いろんな料理にありついた。例えば、12月に焼き筍。台湾産だそうで、この時期、台湾産の筍がおいしいのだとか。また、普通は海の青魚で造るなめろうを岩魚と信州味噌と薬味で食べさせる。

筆者がここのスペシャリテだと思うのは、名物料理の「馬刺しon雲丹」。カップリングは、唐辛子味噌で食べるときの馬刺しは赤ワイン、叩きワサビで食べる時と、合わせ盛りした雲丹を馬刺しに載せていただく時は、純米酒の無濾過原酒を薦めてくれる。一皿一皿ではなく、一口一口で酒を合わせる、花ちゃん。一皿の料理に酒が2種類というカップリングは後にも先にもここが初めてだったし、これがとても記憶に残った。

馬刺しon雲丹が"最初"のスペシャリテ

美酒に酔い、そのまま蕎麦まで言いなりが正解

料理を出す度に「どう? 永ちゃん」といつもうれしそうに感想を聞いてくる。本人、確信犯で「口に合わないはずはない」と思っているのだが、客が喜ぶことが、花ちゃんはきっと好きなのだと思う。あまりにうまいので、筆者はいつも言いなり。ただただニンマリしながら箸を進めるだけなのだ。だから、あまり詳しいカップリングのことは覚えていない。どんどんと至福の美食の世界に引きずり込まれ、気が付くと、〆の蕎麦が出ている。

花ちゃんのこだわりが詰まった蕎麦が"次"のスペシャリテ

蕎麦は別料金(税別1,200円)だが、ぜひとも注文していただきたい。もちろん夕刻、花ちゃんが打ったものを供される。ここでもお薦めの食べ方がある。まずはその時期の蕎麦自体の味を楽しむために、そのまま数本を指でつまんで蕎麦だけをいただく。次に、一味唐辛子を蕎麦にかけていただく。これがまた、うまい。このほか、塩や辛味大根、ワサビとつゆでもいただく。この蕎麦だけで来た甲斐がある。蕎麦好きな筆者にとっては、こっちがスペシャリテなのだ。

中央の薬味は一味唐辛子

蕎麦の後は、宿自慢のバーでヴィンテージ・ウイスキーを

貸し切り温泉、露天風呂、内風呂など、こちらの設えにも個性が光るが、泉質はアルカリ性単純温泉ととても肌に優しく、しつこくない。

男湯の露天風呂

ロビーから客室や風呂などに向かう途中は中庭になっていて、ここにも館主の手が加わっている。長年の積み重ねで、花ちゃんの理想を実現し続けている旅館すぎもと。とても手間とお金がかかっている分、宿泊客にとってはコスト・パフォーマンスが高いと思う。

好きになったら病みつきになる花ちゃんの個性こそ、この宿の真のスペシャリテなのかもしれない。

中庭にもこだわりが。こんなこだわりを随所に凝らす花ちゃんの個性こそが"真"のスペシャリテ

●information
旅館すぎもと
長野県松本市里山辺451-7
アクセス: JR東日本・アルピコ交通「松本駅」からタクシーで約15分。
1泊2食料金: ひとり税別1万7,000円~

筆者プロフィール: 永本浩司

通信社編集局勤務、広告ディレクター、雑誌・ビジネス書の編集者を経て、観光経済新聞社に入社。編集委員、東日本支局長などを歴任。2004年に転職を決意、外食準大手・際コーポレーションに入社。全国に展開する和洋中華350店舗128業態のレストラン・旅館の販売促進を担当。リゾート事業も担当、日本初、公設民営型の公共事業、長崎県五島列島・新上五島町にリゾートホテル・マルゲリータを開業させた。2015年、宿のミカタプロジェクトを設立。1軒でも多くの旅館・ホテルを繁盛させ「地域の力」を呼び覚ますべく旅館ホテル支援事業を展開。宿泊した旅館の数は全国で数百軒以上、年間の出張回数は150日以上、国内を中心に飛び回る日々。地域デザイン学会会員。

7/8

インデックス

連載目次
第8回 熊本地震から完全復活! 黒川温泉「黒川荘」で知る"肥後もっこす"の力
第7回 全部"花ちゃん"の言うとおり! 美ケ原温泉「旅館すぎもと」は個性が踊る
第6回 豪華な魚料理にも勝る"まご茶漬け"の深さ--伊東温泉「陽気館」の心配りの形
第5回 気取らぬ空間で気取らぬご馳走を--群馬「猿ヶ京ホテル」には驚きの懐石あり
第4回 "日本三大薬湯"をひく新潟県「玉城屋旅館」でイケメンが背負う看板の深さ
第3回 演出が"天草大王"を高みに運ぶ--天草の誇りを背負う熊本「五足のくつ」
第2回 棟方志功も愛した岡山県「奥津荘」で肉を知る--スパイスはph9.1
第1回 群馬県「辰巳館」の料理で人生観が変わる!?

もっと見る

関連キーワード

人気記事

一覧

イチオシ記事

新着記事