コンピューターというハードウェアを活用するために欠かせないのが、OS(Operating System:オペレーティングシステム)の存在です。我々が何げなく使っているWindows OSやOS XだけがOSではありません。世界には栄枯盛衰のごとく消えていったOSや、冒険心をふんだんに持ちながら、ひのき舞台に上ることなく忘れられてしまったOSが数多く存在するのをご存じでしょうか。「世界のOSたち」では、今でもその存在を確認できる世界各国のOSに注目し、その特徴を紹介します。今回は日本国内でも400万本、全世界で1億本を出荷したOS「Windows 3.1」を取り上げましょう。

Windows 3.1をブレイクに導いたDOS/Vの存在

1992年4月6日。約二年の月日を経てWindows 3.1がリリースされました(日本語版は翌年の1993年5月12日にNEC版、同年5月18日にMicrosoft版をリリース)。これまでの命名規則に基づき、マイナーバージョンアップ版を意味する小数点第一位を増加した同OSは、Windows 3.0で確認された不具合を改善しつつ、MS-DOSからWindowsへのプラットフォーム移行をうながしました。

Windows 3.1が普及した最たる理由は、高速化を理由にリアルモード(Intel 8086/8080プロセッサー)をサポートせず、スタンダードモード(Intel 80286プロセッサー)およびエンハンスドモード(Intel 80386プロセッサー)に制限したからです。前バージョンであるWindows 3.0の時代は既にIntel 80286プロセッサーを搭載するコンピューターが増えており、この選択は必然でした。なお、Windows 3.1日本語版は前述のとおりリリースタイミングが約一年遅れたことを踏まえ、エンハンスドモードのみサポート。この他にもGDIヒープメモリー領域の管理方法を改善し、Windows 3.0で多発していたハングアップの軽減など、Windows 3.1には、内部的な改善が多数盛り込まれています。

このWindows 3.1は脇英世氏の著書「Windows入門」によると、「初日の出荷本数が100万本を超え、その後一カ月ごとに100万本ずつ、以後のある時点からは1日に10万本ずつ売れた」そうです。最終的には次バージョンとなるWindows 95がリリースされる1995年8月の時点で、1億本を売り上げました。別の資料によると、日本国内でも最終的な出荷本数は400万本に達しています。全世界には、それだけ多くのWindows 3.1ユーザーが存在し、ライセンス販売は数年前となる2008年11月まで続けられました。Windows 3.0の全世界における総出荷本数は約300万本とも約900万本とも言われていますが、いずれにしても、当時の"熱"を感じられるでしょう(図01)。

図01 Windows 3.1のスプラッシュスクリーン

日本国内おけるWindows 3.0の総出荷本数は不明ですが、Windows 3.1が国内で大きく受け入れられた理由として、当時のコンピューターを取り巻く環境が大きく影響しています。そもそも1980年代後半からNEC PC-9801シリーズの寡占体制にあり、PC-9801シリーズとワープロソフトである「一太郎」の組み合わせはデファクトスタンダードとして広まり、社会現象まで起こしました。この現状に対抗するため、NEC、東芝、富士通を除いた各電気機器メーカーが協議会を共同設立し、コンピューターを世に送り出します。それがPC/AT互換機にハードウェア的アプローチで日本語に対応したAX(Architecture eXtended)というコンピューターです。

海外のソフトウェア資産を活用するというアプローチはよかったものの、グラフィック機能はEGAモード(640×350ピクセル)を基に日本語表示を行うために拡張したJEGAモード(640×480ピクセル)を採用。これが後に自身の首を絞めることとなりました。初のAXマシンは三洋電機のMCB-17シリーズでしたが、前年の1997年にはIBMがPC/ATの後継機としてPS/2を発表。同コンピューターはグラフィック機能としてVGAを採用し、その後のPC/AT互換機にも大きく普及しています。その後、VGAをサポートするAX-VGAの仕様を確定したものの、"時すでに遅し"でした。

AXマシンを消滅の道へ至らしめた存在は、1990年に日本アイ・ビー・エムがリリースした「DOS/V」です。正式名称「IBM DOS J4.0/V」となるDOS/Vはソフトウェアベースで日本語の表示を可能にし、それまでのPC-9801シリーズ一本調子だった国内のコンピューター市場に少なからず影響を及ぼしました。AXマシンの消滅だけでなく、PC-9801シリーズの牙城を崩す一矢になったのは改めて述べるまでもありません(図02~03)

図02 手元に残っていた「IBM DOS J5.02/V」。通常のインストールを終えますと、GUI操作が可能なDOSシェルが起動します

図03 各バージョンのリリース時期は記憶していませんが、その後もバージョンアップが繰り返され、2000年問題に対応した「PC DOS 2000」までリリースされました

当時のPC/AT互換機=DOS/VマシンとPC-9801シリーズを比較しますと、PC-9801シリーズが衰退する理由は数多くあります。そもそも同シリーズは画面解像度が640×400ピクセルに固定されており、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)化が進むOSに追従できませんでした。単純に比較するとPC-9801シリーズ上でWindows 3.0/3.1を実行しても、80ラインも欠けてしまうため、大きなデメリットとなりました。もっともNECは、後に画面表示機能を強化したPC-9821シリーズを1992年にリリースしましたが、割安で購入できるDOS/Vマシンの勢いを覆すことは難しかったようです。

ちなみに、PC-9801シリーズのテキストモードは最大80桁25行でしたが、一部のパワーユーザーはソフトウェアで出力ライン数を480ピクセルに増加する「30行計画」を立案し、オンラインソフトとして配布されていたため、恩恵にあずかった方も少なくないでしょう。現在でも開発者の一人であるKEI SAKAKI氏のWebページで当時の開発経緯などを読むことができます。本題からそれましたが、あまりにも懐かしくて紹介しました。興味をお持ちの方は是非ご覧ください。

Windows 3.1に泣くPC-9801シリーズ

話をDOS/Vマシン vs PC-9801シリーズに戻しましょう。グラフィック描画能力とGUI OSの関係が重要なのは今も昔も変わりません。海外では前バージョンであるWindows 3.0の時点で各グラフィックチップメーカーから、さまざまなビデオチップが開発され、容易にビデオカードを換装することが可能でした。しかし、日本語版Windows 3.0は独自機能として「WIFE(Windows Intelligent Font Environment)」と呼ばれる日本語フォント管理機能を組み込んでいます。

そのため日本語表示にはWIFEに対応したビデオドライバーが必要となり、未対応の英語版ビデオドライバーをそのまま利用することはできませんでした。この問題を解決したのが、英語版ビデオドライバーと日本語版Windows 3.0の間にディスパッチャーを作り、日本語表示を可能にする西川和久氏作の「DDD(Display Dispatch Driver)」。当時から並行輸入されていた海外のビデオカードをコンピューターに組み込み、DDDを適用することで、高解像度環境を楽しめたそうです。Windows 3.1になりますと、英語版ビデオドライバーをそのまま利用可能になりましたが、DDDがDOS/Vマシンの普及に大きく寄与した存在であることに間違いはありません(図04)。

図04 「DDD」は手元に残っていませんでしたので、同氏らが開発を手がけた「DOS/Vスーパードライバーズ」を代わりに紹介。V-TextによりDOSの表示領域拡大を可能にしていました

その一方で日本語表示はDOS/Vマシンがソフトウェア、PC-9801シリーズがハードウェアで実現しているため、圧倒的に後者が上手でした。長年蓄積されたソフトウェア資産も相まって、Windows 3.1時代もPC-9801シリーズを愛用する方は少なくなかったものの、ハードウェアスペックの向上と、OSのGUI化が進むことでアドバンテージが薄まるのは改めて述べるまでもありません。また、ソフトウェアのラインナップや、国産デバイスの対応状況は大きな問題となりましたが、世界レベルの市場を背景にそのバランスは覆されました。

1991年以降のNECを除く各ハードウェアベンダーは、DOS/Vマシンをリリースするようになり、現在に至っています。特に1991年に日本法人を設立したCompaq Computer(現在はHewlett-Packardの1ブランド)がリリースしたDOS/Vマシンは、エントリーモデルが12万8,000円(標準モデルが19万8,000円)と圧倒的な安さを実現。同年にNECが発売したPC-9801FAというコンピューターは、HDD別売りのエントリーモデルで45万8,000円。100メガバイトのSCSI-HDD内蔵モデルとなると64万8,000円と比較することもできない価格差が生じています。

俗に「コンパックショック」と呼ばれた価格競争ですが、この海外ハードウェアベンダーの国内市場参入も日本国内でDOS/Vマシンが普及し、MS-DOSからWindows 3.1への移行をうながした一因と言えるでしょう。今にして思えば、前バージョンであるWindows 3.0の登場時点で、NECは苦渋の選択を迫られつつ趨勢(すうせい)を見極めるがために、現状維持を選択していました。しかし、この時点でPC-9801シリーズの終焉(しゅうえん)は始まっていたのでしょう。

1992年からは、Windows OSの利用を前提にグラフィック機能をVGA互換に変更したPC-9821シリーズを発表しました。従来のPC-9801シリーズを「98MATE」、新シリーズを「98FELLOW」に位置付け、前者をローエンドユーザー向けとして20万円台に価格改定。後者をハイエンドユーザー向けとして、31万8,000円~43万8,000円という価格設定を行いました。しかし、前述したコンパックショックによるユーザー離れに歯止めはきかず、2000年に発売した、デスクトップ型のPC-9821Ra43(98MATE R)とノート型のPC-9821Nr300(98NOTE Lavie)を最後にPC-9801/PC-9821シリーズの幕は閉じたのです(図05)。

図05 1994年末の某コンピューター雑誌に掲載された広告の一つ。PC-9821シリーズが主流ながらも大半が20万円オーバー。対するCompaq Computerは10万円台のマシンも存在しました

話は前後しますが、Windows 3.1が本格的に利用できるOSであるとユーザーから認識されると、特定のベンダー製コンピューターを利用するアドバンテージはなくなりました。最近は下火というべきか市民権を完全に得たというべきか迷うところですが、"自作PC"が持てはやされ始めたのはちょうどこの頃。DOS/VやPC/AT互換機をターゲットにしたコンピューター雑誌も多数創刊され、一大ブームが巻き起こりました。数年前はうん十万円という高額な支払いを経て手に入るコンピューターが、数万円のPCパーツを組み合わせることで作れるのですから、ブームにならないわけがありません。

筆者はちょうどその頃、某コンピューター雑誌にアルバイトとして参加していましたが、当時はコンピューターそのものに興味を持たず、そのブームを横目で通り過ぎるのを見ていたに過ぎません。初めてWindows 3.1に触れたのも、同編集部から使うように渡されたIBM PS/V Visionというモニター一体型のコンピューターでしたが、筆者にとって見れば単に雑務をこなすためのツールでした。一年ほど経つとコンピューターに対する興味も戻りましたが、後に執筆業に携わると知っていれば、もっとハードウェアやソフトウェアに触れておけばよかったと少しだけ後悔しています。次回はWindows 3.1の特徴をさらに追いましょう。

阿久津良和(Cactus

本稿は拙著「Windowsの時代は終わったのか?」を基に大幅な加筆修正を加え、公開しています。

参考文献

・A behind-the-scenes look at the development of Apple's Lisa(BYTE)
・Apple II(柴田文彦/毎日コミュニケーションズ)
・DIGITAL RETRO(ゴードン・ライング/トランスワールドジャパン)
History of OpenVMS
・History of Windows
・MS-DOSエンサイクロペディア Volume1(マイクロソフトプレス/アスキー)
・OS/2の歩みを振り返る(元麻布春男の週刊PCホットライン)
・Red Hat Linux 7.0 入門ガイド(Red Hat)
Windows Vista開発史(Paul Thurrott/日経BPITpro/)
Windowsの歴史(横山哲也)
・PC WAVE 1998年7月号臨時増刊 さらば愛しのDOS/V(電波実験社)
・Windowsプログラミングの極意(Raymond Chen/アスキー)
・Windows入門(脇英世/岩波新書)
・エニアック―世界最初のコンピュータ開発秘話(スコット・マッカートニー/パーソナルメディア)
・コンピュータ帝国の興亡(ローバート・X・クリンジリー/アスキー出版局)
・パーソナルコンピュータを創ってきた人々(脇英世/SOFTBANK BOOKS)
・パソコン創世記(富田倫生/青空文庫)
・ビルゲイツの野望(脇英世/講談社)
・月刊アスキー別冊 蘇るPC-9801伝説(アスキー)
・新・電子立国 第05回 「ソフトウェア帝国の誕生/NHK」
・闘うプログラマー 上下巻(G・パスカル・ザカリー/日経BP出版センター)
・僕らのパソコン30年史(SE編集部/翔泳社)
・遊撃手(日本マイコン教育センター)