――他に、印象に残る演者さんはいらっしゃいますか?

付き合いが長いのはV6ですね。『VVV6』という番組で、初めて男性アイドルとの仕事だったので、勝手な先入観で「ちょっと扱い大変そうだな」っていうイメージがあったんです。男性アイドルの扱い方ってどうしたらいいんだろうみたいな感じがあって、そんなスタンスで参加したものだから最初はお互いギクシャクして、仲は最悪だったんですよ(笑)。彼らはデビューして6年くらいで元気あり余っていて、時々趣旨と関係ないことを話したり遊び始めちゃったりして、さらに僕らもまだ若かったので余裕がなくて、ディレクターとして受け止める懐も、コントロールするテクニックが全くなかったんですよね。「ここはちゃんとやろうよ!」って1回注意したら、他のメンバーに「あの人にしゃべるなって言われた」みたいになっちゃって(笑)。ちょっと用事があって控室を開けると「何? なんの用?」って言われたり。

――ちょっとした学級崩壊状態ですね…。そこからどうやって関係を立て直したのですか?

プロデューサーの方が「これはマズい」ということで、話し合いの場を作ってくれたんです。メンバーから僕らへの不満を言ったり、僕らから「こういうときはこうしてほしい」と希望を伝えたりして、そしたらイノッチ(井ノ原快彦)が「これから、スタッフもうち(=V6)の控室使って、一緒に弁当食ったりしようよ」って言ってくれたんですよ。ただ最悪の関係性ですから、1回目に控室にお邪魔したときは、もう顔の筋肉が疲れるくらい作り笑顔してました(笑)

でも、それを繰り返していくうちに仲良くなって、食事に行ったり頻繁に会うようになったんです。突然「今日何やってんの?」って電話かかってきて、「家族でこれからご飯行くんだ」って言ったら、「俺も行っていい?」ってことになったり、お互いの家に行ったりするようになりました。この話ができるのは、今もメンバーと会って飲んだりすると「あの仲悪かった時期は何だったんだろうね」って笑い話になるからなんです(笑)

――当時は尖っていたということなんですかね。

「お互い子供だったね」みたいな話になるんですけど、今は本当に戦友に近い気持ちです。番組は10年くらい続いて終わるんですけど、その後他局の特番で一緒になったりとかお付き合いがあって、和田(英智)さんは最後の特典映像を撮ってましたけど、僕は20周年を担当させていただきました。エイベックスさんから「1時間のものを作ってほしい」と言われたんですけど、結果3時間になっちゃって、「そのままで行きましょう」とおっしゃっていただいて。うれしかったのは、ある日突然僕のTwitterに、ファンの方が「長沼さんの話をラジオでしてますよ」って教えてくれて、その内容を確認したら、「3時間の特典映像をチェックしてくれって言われたんだけど、作ってるの長沼さんでしょ? いいよ、チェックしないから」って言ってくれてたんです。

――これはうれしい言葉ですね!

だから、あの仲悪いときの関係を思い出すと、本当に笑っちゃいますよね(笑)。何年か前に、トニセンの舞台の東京公演に行けなかったので大阪公演を観に行ったんですけど、イノッチは親戚が来てて、坂本(昌行)くんもお客さんが来てるから飯に行けないんだという話をしてたら、グルメな長野(博)くんが「俺が店取ってあるから大丈夫」ってすごいマニアックなお店を用意してくれて。散々しゃべってホテルで別れたら偶然、そのタイミングでイノッチから電話かかってきて「今親戚と別れたから飲もうよ」って。

――トニセンではしご(笑)

そこからイノッチと朝まで飲んで。毎回イノッチと飲むと誰がお会計したかよく分かってなくて、翌朝メールで「昨日のお会計どうしたっけ?」みたいなやり取りをしてます(笑)

――それだけ深い関係になられたV6さんですが、11月1日で解散されました。最初にその発表を聞いたときは、どんな気持ちでしたか?

発表されたときは本当に力が抜けて、1日何もできないくらいショックだったんですけど、いつかこういう日が来るだろうなというのは何となくあったんです。(森田)剛くんの決断も本当に彼らしいなと思うし。だから、僕はすぐメンバーらに「正直、驚いたけど、僕は6人の決断を尊重し、これからも僕は6人を応援します」ってメッセージを送って、メンバーからはお礼や「驚かせてごめんね」という感じで返ってきました。

――これからも個々の皆さんとお付き合いが続いていくということですよね。

不思議なのが、メンバーによっては僕が一切絡んでない番組の相談もしてくるんですよ。「今度この番組に出るんだけど、どう思う?」とか「どんな話したらいいかな」って、夜中の2時に電話で僕がMC役になってトークの練習したりとか(笑)。そういう関係が続いていくんだと思いますね。

■ものすごいプレッシャーだった「ミスターかくし芸」担当

堺正章

――他に、思い入れのあるお仕事はありますか?

『新春かくし芸大会』(フジテレビ)で堺正章さんを担当させていただいたことがあって、これは自分の中でターニングポイントでした。あの番組ってリサーチャーが入らず、ディレクターが自分でネタを探して堺さんに提案するんですけど、堺さんも知識が豊富なので「これ知ってる」とか「これは他でやってたよね」ってなかなかOKが出ず、忘れもしないですが僕が提案した244本全部却下になったんです。12月の収録に向けて7月から会議が始まるんですけど、なかなか企画がハマらなくてだんだん会議が無言になっていって、あるとき堺さんが「ホールインワンに挑戦してみようか」っておっしゃったんです。でも、貸してくれるゴルフ場がなかなか見つからなくて。要は「入るわけがない」ということなんですよ。それでも、スタッフが頑張ってやっと許可が下りて挑戦することになりました。

一般の方のプレーが終わってから挑戦開始だったので、夕方から夜中の2~3時までやるんですけど、初日からすごい大雨が降って、またその中で堺さんの打つ姿がカッコいいんですよ。それでいい画が撮れたなあと思って余裕で構えていたら、堺さんが「長沼くん、無理かもな」っておっしゃったんです。僕にとって初めての『かくし芸』で、「あの堺正章さんがディレクター代わって失敗するかもしれない…」というのを考えたら、ものすごいプレッシャーが降りかかってきて。

――あのミスターかくし芸が…と、想像するだけで怖いですね。

それで2日目もダメで、もう入らないんじゃないかっていう恐怖がずっとあって。堺さんと「失敗したらどうしよう」という話もずっとしてたんで、僕はその頃ゴルフを始めたばかりだったんですけど、あのプレッシャーがあまりにも怖くて、ゴルフやめたくらいなんですよ(笑)

で、3日目にカップまで6cmというショットがあったんですけど、それで堺さんの心が完全に折れちゃったんです。「今のが入らないんじゃ、もう無理だ」ってなって、もう見るからにやる気のない打ち方に変わっちゃって。でも、見かねたトレーナーさんが「もうちょっとしっかり打ちましょう」と軽くアドバイスをしたら、その次の961球目で入ったんです。僕は中継車に乗ってずっと見てたんですけど、堺さんがこっちに向かって「長沼くん!」って呼んでくれて、僕も中継車から飛び降りて走っていって思わず堺さんに抱きつきました。これは放送には入ってないんですが、後で映像見たら僕が喜びのあまり堺さんの背中を叩きまくってて(笑)。皆さんから「おいおいおい」って怒られてしまいました。

――ゴルフ場は何日くらい押さえていたんですか?

3週間くらいだと思います。それくらいやるつもりだったんですよね。

――そこで3日で決めてしまうというのが、さすがですね。

でも、そこから編集も大変でした。僕、どんなにオフライン編集(=仮編集)をやるにしても2回くらいなんですけど、そのときは27回直しました。歴代の『かくし芸』ディレクターの諸先輩が見てくれて、「これで堺さんの気持ちが乗ってるのか?」とか「この効果音でベストなのか?」っていろんな方にチェックしてもらい、ずっと編集所にいましたね。あれを経験したことで、それ以降苦境に立っても乗り越えられるようになりましたし、ちょっとやそっとでは慌てなくなりましたし(笑)。すごく鍛え上げられた感じがあります。

――やはり『かくし芸』の中でも堺さんは特別でしょうから。

最初にお話を頂いたとき、『VVV6』のプロデューサーさんが担当で「10日間あげるから、よく考えて答えを出してくれ。その代わり、決めたら絶対に途中で投げ出さないこと」って言われたんですよ。そんな仕事の発注のされ方、今までなかったんで、これは相当厳しい世界なんだなと思いましたね。