「幸せホルモン」という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。そのホルモンは、人が「幸せだな」と感じているときに脳内で分泌される神経伝達物質で、「オキシトシン」と呼ばれるもの。オキシトシンは、大量に分泌されると愛情や仲間意識を生じさせるなど、人間と人間の相互作用を考えるうえで欠かせない物質です。

脳科学者の中野信子さんが語る、オキシトシンの正体とはどんなものでしょうか。

■幸せを感じると分泌されるオキシトシンってなに?

ここでは、「幸せ」というものを、生理的な現象として捉えてみたいと思います。

まず、人が美味しいものを食べたときや、好きな人と一緒にいて楽しいと感じているとき、人間の体にはいったいなにが起きているのでしょうか?

人が「幸せだな」と感じているときに、脳内で分泌される物質の候補として最有力なのが、「オキシトシン」という神経伝達物質です。人間と人間の相互作用を考えるうえで欠かせない物質で、オキシトシンが分泌されているとき、わたしたちは「幸福感」を感じることが明らかになっており、俗に「幸せホルモン」とも呼ばれています。

オキシトシンは、脳の視床下部でつくられ、分泌されます。その名の由来は「迅速な出産」という意味のギリシャ語からきており、文字通り出産を早めたり、射乳(乳房から乳汁が出ること)をうながしたりする働きがあります。そして、陣痛促進の働きのほかにも、オキシトシンの「良い効果」がたくさん調べられてきました。

まず、オキシトシンが分泌されると、認知能力が上がることがラットを用いた実験で明らかになりました。餌を置いた迷路にオキシトシンの分泌が高まった出産後授乳中の雌ラットと、そうではない雌ラットを入れたところ、前者のほうが迷路を解くスピードが上がったのです。人間もまったく同じといえるかどうかはわかりませんが、オキシトシンを大量に分泌したことがある個体のほうが、認知能力が上がることが報告されています。

一方で、オキシトシンが分泌されると、合理的な判断が苦手になるとする研究結果もあります。どういうことかというと、なにかを判断させたときに、「損得」のような合理的判断よりも、いわゆる「情」や仲間同士の「つながり」といった、社会性を重視した判断に偏ることがわかったのです。

これもラットを用いた実験で、オキシトシンを注射した個体を群れのなかに放すと、その後群れとして行動することが増えました。つまり、個体同士があまり争わなくなり、「仲間意識」を強めるような行動が観察されたのです。

面白いことに、このときラットに「匂い」を感じさせないように、嗅覚の受容体(※)を阻害するブロッカーを注射しておくと、群れに戻しても仲の良い行動は見られませんでした。ということは、オキシトシンは、仲間であることを嗅覚で認知する機構に関与している可能性があります。

あくまでラットの話なので、人間でもオキシトシンが嗅覚受容体に関与しているかどうかはわかりません。でも、もしかしたら人間の仲間行動も「匂い」によって媒介されていて、それにオキシトシンが関わっていると仮定できる発見といえます。

「あの人はわたしと同じ匂いがする」

人はときにそんな言い方をすることがありますが、案外理にかなった表現なのかもしれません。

※受容体  細胞の表面にあり、細胞外の物質や光を選択的に受容する物質の総称。ホルモン受容体、光受容体、抗原受容体などがある

■他者と地続きである感覚

では、オキシトシンが分泌され、「幸せ」であるようなとき、わたしたちは実際にどのような感覚を持つのでしょうか?

これについては、赤ちゃんを産んだあとの母親に聞くのがいちばんわかりやすいかもしれません。おそらくは、自分と子どもの体がまるで「地続き」であるかのような感覚なのではないかと、わたしは推測しています。

脳の頭頂側頭連合野の近くには、「角回」と呼ばれる、言語や認知に関する多数の処理を行っている部分があります。そして、この角回によって、わたしたちは自分の体と別の個体とのボーダーも認知しています。角回は、相手とのボーダーをつねにモニターしているため、まるでスリープ状態のパソコンのように、ふだんはその活動が落ちることがありません。

しかし、ある特殊な条件が揃うと、その活動が落ちることが明らかになっています。特殊な条件とはなにか? それは瞑想しているときや、一時的に虚血になったとき、また子どもができたときや、特別な関係のパートナーと性行動をしているときなどに、角回の活動が落ちて、ボーダーがなくなる感じがするといわれているのです。

「自分の体と周囲との境目が曖昧になっていく」
「自分の体が宇宙と一体になっていく」

瞑想状態になった人は、よくそんな言い方をします。わたし自身はその分野には詳しくありませんが、おそらく「自分はひとりではない」という強い感じがするのでしょう。

また、セックスのことを「ひとつになる」という言い方をする人がいますよね。充実した性行動のあとに、自分の体が相手とあたかも溶け合って、一体になるような感じがすることをいおうとしているのだと思います。 

そして、このような感覚のときに、人間の体内ではまさにオキシトシンが分泌され、強い影響を与えているのです。

■オキシトシンは情や仲間意識を生む

先に、オキシトシンがもたらす「仲間意識」について触れましたが、オキシトシンは個体の「識別」にも関係があるようです。

これもラットを用いた実験で、一対にしたラットの片方にだけオキシトシンを注射し、いったん群れに戻します。群れに戻してしまうと、ふつうは一緒にいた相手がわからなくなります。でも、オキシトシンを打ったラットは、一緒にいた相手を探し当て、近くにうずくまるといった行動が観察されたのです。つまり、オキシトシンは仲間と仲間ではない者を見分ける能力にも関わっているといえるのです。

自分の仲間を見分けられるということは、逆にいえば「仲間ではない者を排除する」ことにつながることがあります。オキシトシンの効果には、正負両面があるというわけです。

ここまでの話をまとめると、オキシトシンはわたしたち人間同士を結びつけたり、仲間意識を生み出したりする行動にも寄与していることがわかってきました。たとえば、恋愛感情がないままにお見合い結婚をしたとしても、ずっと一緒に過ごしていくことで、人は相手に深い親愛の「情」を持つことがあります。

ただし、オキシトシンが分泌されていると、「適切な判断」ができるかどうかはなんともいえない面もあります。不倫しながらも、「やっぱり家族は捨てられない」という情が生じて、曖昧な状態をずるずる続けているような人はたくさんいます。オキシトシンは、そんな「情」や「絆」といった部分を保持している物質だと考えることができるのです。

すると、情などにとらわれずあっさり相手を捨てて出ていく人は、オキシトシンや、アルギニンバソプレシンというホルモンが少ない人だと推測できます。アルギニンバソプレシンは、オキシトシンと構造が似たホルモンで、個体同士というよりも、すべての個体に対して親切行動を取るか取らないかということに関わっています。そして、このバソプレシン系の受容体が変異しているラットの個体は、特定の相手に対する親切行動を取らないのです。

さらに、人間でもこのアルギニンバソプレシンの受容体「AVPR」が少ない人は、特定のパートナーをあまりつくらなかったり、未婚率や離婚率が高かったり、不倫率が上がったりすることがわかり話題になりました。

■オキシトシンの受け取り方は後天的に決まる

このように、オキシトシンは人間の体にさまざまな作用をもたらし、とくに人間同士がお互いに感じる「愛情」に関わっていることが、複数の研究から明らかになっています。

よく「あの人は情に厚い」「あの人は情のない冷たい人だ」などという言い方をしますが、「情に厚い人」というのは、オキシトシンがよく分泌される人か、オキシトシンを受け取りやすい人ということになります。

ここで注目したいのは、受け取り手であるオキシトシン受容体の密度です。オキシトシンの分泌の度合いには個体差がありますが、実は受け取り手である受容体の密度は、幼少期の生育環境によってそれぞれ異なる傾向を持つようになることがわかっているのです。

たとえば、幼少期に虐待を受けるなど過酷な環境下で育った人の場合、オキシトシン受容体の密度が低かったり、逆に過剰になったりする場合があります。これはバソプレシンの受容体も同じで、子どものころに虐待などを受けると、バソプレシンの受容体の密度が非常に低くなることが知られています。

オキシトシンなどの受容体の密度が低くなると、人はどのような状態になるのでしょうか? 一般的には、「他人を信用できない」「愛情をあまり知らない」というような状態になりがちです。でも、より正確にいうと、この人たちは愛情を知らないというよりも、その受け取り手がないために「わかりようがない」のです。

たとえば、わたしたちが赤いりんごを見たときに、赤い色を認識する受容体がなければ、赤という色がどんな色なのかはわかりません。「みんなはこれを赤と呼んでいるらしい」としかわからないわけです。

それと同じようなレベルで、愛情というものがわからないのです。

「愛情ってなんだろう?」 「その人にとって損か得かという話かな?」

そんなふうに思ってしまうし、他者に対してもそのように振る舞います。愛情という曖昧なものよりも、むしろ「損得」のほうがずっとわかりやすいので、損得の原理に従って合理的に動こうとしてしまいます。

すると、一見、こうした人たちは共感能力に欠けるサイコパシーが高い人のように見えるのですが、実は後天的につくられた性質なのです。もちろん、もし自分がそのタイプかもしれないと思い当たったとしても、人は生まれ育つ環境は選べないわけですから、無用に自分を傷つけないでほしいと思います。

あたりまえですが、親は神でもなければAIでもないただの人間です。いうまでもなく、完璧な親などこの世には存在しません。たとえ外から見て非の打ち所のない立派な親でも、親子関係は主観でしかないため、自分にとっては完璧な親ではない場合がほとんどだと思います。

また、幼少期に親の愛情をたくさん受け取った人もいると思いますが、大切なのはオキシトシンの分泌が「適切な値」であること。愛情というものは、多過ぎても不都合なことがあるのです。

構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム)、辻本圭介 写真/塚原孝顕

※今コラムは、『引き寄せる脳 遠ざける脳——「幸せホルモン」を味方につける3つの法則」』(プレジデント社)より抜粋し構成したものです。