1967年10月2日にスタートしたニッポン放送『オールナイトニッポン』。2017年10月からの1年間は、“50周年イヤー”と題して、数多くの企画を実施してきた。そして50周年イヤー期間中には、『シブヤノオト』(NHK総合)や裏番組である『メガネびいき』(TBSラジオ)とのコラボも実現した。

『オールナイトニッポン』のプロデューサーを務める冨山雄一氏がこうしたコラボの裏側や、50周年イヤーを終えた今、改めて『オールナイトニッポン』をはじめとしたラジオの今後について語った。

NHKに新卒入社した冨山雄一

  • 『オールナイトニッポン』の冨山雄一プロデューサー

――まずは冨山さんの経歴からお聞かせください。ニッポン放送入社前は、 NHKに新卒で入られたんですよね。

そうなんです。もともとはラジオが好きで、ラジオ局に就職したいなと漠然と思っていました。ただやはりラジオ局への就職はかなり狭き門で、ニッポン放送は書類審査で落ちてしまいましたし、他のラジオ局も全く通りませんでしたね。

――NHKではどんなことをされていたのですか。

NHKにディレクター職で入局すると普通、地方局でテレビのディレクターとしてキャリアがスタートするのですが、「ラジオをやりたい」と研修レポートに書いていたら、何年かぶりに新人でラジオセンターというNHKラジオ第一を制作している部署に配属されてラジオディレクターになったんです。すごくレアなケースだと思います。

1年目は『NHKジャーナル』という夜のニュース番組のディレクターをやり、次の年は『土曜の夜はケータイ短歌』という若者向けの投稿するタイプのバラエティ色の強い番組のディレクターをしていました。その番組には、当時まだ大学生だった歌人で作家の加藤千恵さん(のちに『朝井リョウと加藤千恵のオールナイトニッポン0(ZERO)』も担当)が出演されていました。

――加藤千恵さんとは、その当時から関わりがあるんですね。転職のきっかけは何かありましたか?

入局して3年目からは新潟放送局に転勤して、テレビディレクターとしていろんなことをやっていました。ただ、やはりラジオ番組を作りたいという気持ちは残っていて、このまま年齢を重ねて後悔しないのかなと思うようになりました。

そうした中で当時、ニッポン放送で『ヤンキー先生!義家弘介の夢は逃げていかない』という、今は国会議員になられた義家先生が生電話で若者の相談にのる番組があってすごく良い番組だと感じてましたし、こういうラジオ番組を作りたいと強く思いました。そんなときに、たまたまニッポン放送が中途採用を募集していて、運良く転職しました。しかも最初に担当したのが、その義家先生の番組だったんです。

ディレクター、イベント担当、プロデューサーに

――ニッポン放送に入社後は、どんな番組を担当していたのですか。

2007年にニッポン放送に入社して、ディレクターとして最初に担当したのは、金曜日のバカボン鬼塚さんと土曜日のポルノグラフィティの岡野昭仁さんの『オールナイトニッポン』でした。その後は小栗旬さんの『オールナイトニッポン』や坂崎幸之助さんと吉田拓郎さんの『オールナイトニッポンGOLD』も長く担当していました。

以降もさまざまな番組を担当しましたが、2016年4月に『オールナイトニッポン』のチーフディレクターになった後は、星野源さんの『オールナイトニッポン』を立ち上げました。もともと何年も前から星野さんの特番を担当させていただいていて、どうしても自分がチーフのときにレギュラーとして担当していただきたいと思っていました。

――そして2016年7月に、エンターテインメント開発部に異動になるんですよね。

ずっとラジオの現場にいると思ったので、さまざまなイベントを担当する部署に異動したのはびっくりしました。ちょうど2回目の「岡村隆史のオールナイトニッポン歌謡祭」という岡村隆史さんの番組イベントの開催がすでに決まっていた時期で、僕がイベントのプロデューサー兼総合演出を担当することになりました。

岡村さんとは毎週、生放送の前にミーティングをしてどうやったらリスナーが面白がってもらえるのか、楽しんでもらえるのか、番組チームが一体となって打合せを重ねました。結果、1つのイベントを作りあげて、リスナーの皆さんが盛り上がってくれるというのはディレクター時代とは違った喜びを感じることができました。これが1つのきっかけとなって、イベントをつくるのが面白いというマインドになりました。

  • 「岡村隆史のオールナイトニッポン歌謡祭」 -ニッポン放送提供

――今年の4月からは『オールナイトニッポン』のプロデューサーとしてご活躍されています。

1年9カ月ひたすらライブイベントを作っていましたが、ちょうどニッポン放送社内の組織改編があって、編成部に新たに番組プロデューサーが作られることになって、夜の時間帯のプロデューサーに就任しました。

ディレクター時代に星野源さん、 AKB48さん、山下健二郎さんの『オールナイトニッポン』と『オールナイトニッポンサタデースペシャル大倉くんと高橋くん』を担当させていただいていて、エンターテインメント開発部では、ディレクター時代に接点がなかった岡村隆史さんやオードリーさんのイベントを担当していたので、そういう意味ではプロデューサーには適任だったのかもしれません(笑)。

Pが同期だったNHK『シブヤノオト』とのコラボ

――NHKとニッポン放送といえば、今年5月にNHK総合テレビの若者向け音楽番組『シブヤノオト』と『岡村隆史のオールナイトニッポン』のコラボ放送が話題になりました。このコラボはやはり、冨山さんのお力が大きかったんですか。

もともとNHKから「一緒に何かやりませんか」という話が来ていたんですが、ちょうど僕が異動したタイミングが具体的に話を進めようというときでした。『オールナイトニッポン』をテレビに映してもらえるなら、やはり岡村さんの『オールナイトニッポン』が一番インパクトがあるなということでコラボ企画が進みました。岡村さんの名物はがきコーナー「悪い人の夢」をテレビに映したのは初めてだったと思います。実は『シブヤノオト』のプロデューサーがたまたま僕のNHK時代の同期だったので、そこから一気に話が進みましたね。

当日は有楽町のニッポン放送のスタジオから生放送しているフリをしながら、実際にはNHKの社内にニッポン放送のスタジオをセットで完全再現してもらって、岡村さんが生放送中に壁をぶち破って『シブヤノオト』のスタジオに乱入するという仕掛けをしたのですが、非常にうまくいったと思います。

――昨年10月からは『オールナイトニッポン』の"50周年イヤー"として、「放送作家オーディション」など、さまざまな企画を行っていましたね。

そうですね。50周年イヤーの企画でも、僕は「ALL LIVE NIPPON」や「オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー」などイベントを主に担当していました。50周年イヤーでは日々の2時間の生放送は一生懸命やりつつも、それ以外になにか面白いことはできないのかなと、生放送とは違ったもう1つ、別の視点を持って取り組んだ気がします。