筑波大学は6月17日、米・テキサス大学との共同研究により、異なる2つの方法で睡眠を6時間妨げたマウスを用いた実験により、眠気(眠りへの落ちやすさ)と「睡眠デマンド」(深い眠りへの入りやすさ)は必ずしも相関せず、それぞれ独立に制御されていること、眠気は起きている間のさまざまな経験により変動することを立証し、さらに「リン酸化プロテオーム解析」により、眠気と睡眠デマンドにそれぞれ相関する中枢神経系の生化学的指標を同定することに成功したと発表した。

成果は、筑波大 国際統合睡眠医科学研究機構の柳沢正史教授、テキサス大サウスウエスタン・メディカル・センターの鈴木綾子氏、Christopher M. Sinton氏、Robert W. Greens氏らの国際共同研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、6月18日付けで米科学雑誌「米科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載された。

睡眠はヒトをはじめとする多くの生物にとって必須かつ身近なものであるが、その制御機構はまだまだ謎が多い。一般的には、直前の覚醒時間が長いほど眠気が強くなり、眠りに落ちるのに要する時間(睡眠潜時)が短くなること、ならびにより「深い」睡眠に入りやすくなる(睡眠デマンドが高い)ことが知られている。

この眠気と睡眠デマンドの違いは似ていてわかりにくいが、前者が自覚的にどの程度眠たいと感じるかということであるのに対し、後者は必ずしも自覚的でなく、脳がどの程度睡眠を必要としているかというものである。また測定の仕方は、前者は睡眠潜時が用いられ、後者はノンレム睡眠中における脳波の低周波成分量から推測する形だ。

また、睡眠と覚醒は、近い過去の睡眠履歴による「ホメオスタシス制御」により、個体の生理的必要性に合わせて精密に制御されていることや、体内時計による「サーカディアン(概日)制御」および覚醒経験による環境的な影響によっても制御される仕組みであることも知られている。しかし、覚醒中の経験の質が、その後の眠気や睡眠デマンドにどのような影響を及ぼすかの詳細についてはわかっていなかった。

そこで研究チームは、まず脳波に反映される睡眠デマンドが同程度であるマウス個体でも、眠気の程度は大きく異なることがあり得るという仮説を立てて研究を実施。同仮説の立証に向け、2つの方法を用いて、マウスが通常最もよく眠る時間帯の明期の始めに、6時間にわたってほぼ完全に断眠するという実験を行った。

その2つの方法とは、1つが眠ろうとするマウスに穏やかに触れて睡眠を妨害する「Gentle handling」手法で、嫌々起きている状態にするというもの。もう1つは、1時間ごとにケージ交換を行って新しい環境を探索させ、自発的な覚醒を惹起する(自発的に起きている状態)というものである。

結果、両グループのマウスとも同程度の睡眠不足の状態に陥っており、断眠終了後のノンレム睡眠中の脳波低周波成分は、同程度に増加していることが確かめられた(画像1)。前述のように脳波低周波成分は睡眠デマンドの指標であるが、眠気に関しては異なる結果が出たという。Gentle handlingよりもケージ交換のマウスの方がその後の眠りに落ちるまでの時間がかかったのだ(画像2)。すなわち、眠気の程度はケージ交換の方が低かったということを示すこととなった。

Gentle handlingと定期的なケージ交換で6時間断眠させた後に、30分ごとに計6回の測定がされた。画像1(左)が睡眠デマンドで、画像2が眠気。青線がコントロール(通常)、赤線がGentle handling、緑がケージ交換による断眠

さらに、脳におけるリン酸化タンパク質のプロテオーム解析により、これらの行動学的指標(睡眠デマンドと眠気)のそれぞれに関連する2つの新しい生化学的マーカーが発見された。なおリン酸化は、タンパク質の翻訳後修飾の内でも特に重要な要素である。またプロテオーム解析とはプロテオミクスともいわれており、特に構造と機能を対象とするタンパク質の大規模な研究のことをいう。つまりリン酸化タンパク質の構造と機能を対象として大規模な解析を行い、眠気や睡眠デマンドの程度によるタンパク質のリン酸化レベルの変化に関する情報がまとめて得られたというわけだ。

この結果、2つの生化学的マーカーが発見された。1つは、「dynamin1」と呼ばれる神経細胞のシナプス前突起に局在するタンパク質であった。もう1つは、「N-myc制御遺伝子2(NDRG2)」として知られる「グリア細胞」タンパク質であった。なおグリア細胞は、神経系を構成する神経細胞を支持する細胞で、最近になって、構造や代謝の維持だけでなく、神経活動の調節に関与していることも明らかとなってきている。

そしてdynamin1はマウスの眠気、NDRG2は睡眠デマンドの程度に応じて、それぞれリン酸化レベルが変動していることも判明。この発見により、直前の覚醒経験の質が、眠気の程度、また眠りにつくまでに要する時間に対して、顕著な影響を及ぼしていることが示唆されたというわけだ。

これらの結果を受けて研究チームでは、今後、dynamin1とNDRG2という2つの生化学的マーカーの詳細な解析を進めると共に、覚醒時の経験の質が、例えば記憶の固着化といった睡眠の機能にどのような影響を及ぼし得るのかを調べていく予定だとしている。また今回の成果は、不眠症などの睡眠障害に関しても重要な知見となり得ることが期待されるとコメントしている。