2024年12月にユネスコ無形文化遺産に「伝統的酒造り」が登録されました。日本産酒類が国内外でますます注目されています。世界の人々に日本酒はどのように親しまれているのでしょうか。今回はマレーシア編をお届け。
禁酒のムスリムもいる国で少しずつ広がる、日本酒人気
多民族国家マレーシアは人口の約63%がイスラム教徒。彼らが禁酒を守る一方で、中華系やインド系……などの間ではお酒を楽しむ文化も根づいています。そんなマレーシアで、日本酒という異文化の魅力を伝え、地道にファンを増やしているのが、ダニー・レオン(Danny Leong)氏。
マレーシアで初めて「マスター酒ソムリエ(M.S.S.)」の称号を持ち、マレーシアで最も多くの酒類プロの資格を持つ、中華系マレーシア人の日本酒伝道師です。
彼は2018年からマレーシア各地で積極的に日本酒の普及活動を行っています。「ミシュランガイド」や「アジアのベストレストラン50」に選ばれた高級レストランで、日本酒ペアリングのイベントを開催したり、レストランの第一線で働くスタッフたちに日本酒の知識やサービスに関する研修を実施したりしています。
日本酒の楽しみ方の幅を広げるため、日本料理以外の料理、例えば中華、イタリアン、フレンチ、スリランカ料理、マレーシア料理‥などとのペアリングに特に力を入れています。「多様な料理に合う日本酒のエキサイティングな可能性を提案したい」とダニー氏は語ります。
最近では2025年4月に、首都クアラルンプールの「Pickle Dining」(ピクルスダイニング)にて、2日間にわたって特別な日本酒ペアリングイベントを開催しました。同店のオーナーシェフ Danial Thorlby(ダニエル・ソールビー)氏と、セレブリティシェフのDanielle Peita Graham(ダニエル・ペイタ・グラハム)氏、そしてマスター酒ソムリエのダニー氏がタッグを組んだ夢のコラボレーション。
シェフたちがアジア料理とヨーロッパ料理からインスピレーションを得た創作料理を作る一方で、ダニー氏はアミューズ・ブーシュからデザートまで4種類のペアリングをお客様たちに提案。すぐに満席となる盛況ぶりで、大成功をおさめました。
なぜ「獺祭」が人気? 視覚・発音・数字でわかりやすさを演出
マレーシアで圧倒的な認知度を誇るのは、やはり「獺祭」(旭酒造、山口)とのこと。
「獺祭は売り場で視覚的にとても訴求力のあるプロモーションを行っています。また"Dassai"(ダッサイ)という発音は外国人でも覚えやすい。商品名に精米歩合の数字が含まれているのもわかりやすくていい」
「獺祭 純米大吟醸45」(45%)は 2,183円→「獺祭 純米大吟醸 磨き三割九分」(39%)は 2,750円→「獺祭 純米大吟醸 磨き二割三分」(23%)は 5,720円→「獺祭 磨き その先へ」(非公開)は41,800円と、「精米歩合の数字が小さくなるにつれてお酒の価格は高くなる、つまり精米歩合が酒のクオリティにリンクしている、と外国人でも理解しやすい」とダニー氏は語ります。
(※値段は日本の獺祭のECサイトの販売価格)
他にアッパー層に人気のある高級酒は 「新政」(新政酒造、秋田)、「十四代」(高木酒造、山形)、「IWA5」(白岩、富山)など。そして中間所得層に人気なのが「作」(清水清三郎商店、三重)。
マレーシアの日本酒ビギナーが最初に味わう日本酒は、「獺祭」など香り高い吟醸系。香りに敏感なワインファンが日本酒を試してみることが多いため、華やかさが"日本酒道"の入り口になるそうです。
そして興味を持った層が、「生酛」「山廃」など昔ながらの伝統製法の日本酒や、低精米で複雑な味わいの酒にも興味を示し、ヘビーユーザーに移行していくといいます。
有望銘柄は「紀土 KID」、蔵の奮闘記が外国人の心も動かす
ダニー氏は「銘柄の違いを説明するよりも、酒や蔵の"背景"を語るほうがマレーシア人の心を掴むことができます」と説明します。例えば最近のスター銘柄として、欧州を中心に世界30カ国で愛されている「紀土 KID」(平和酒造、和歌山)を挙げます。人口のボリュームゾーンである一般層に支持される有望な酒蔵だそう。
「平和酒造の4代目蔵元、山本典正氏は、酒蔵では珍しく、大学生の新卒採用を行い、若手が躍動する革新的な組織づくりに取り組んでいます。昔ながらの蔵のしきたりや常識にとらわれず、杜氏に酒造りのノウハウを開示してもらって若者とも共有し、社員一丸となって改革。酒蔵の関係者全員が、現代の企業らしくフラットな関係で、意見を言い合えるすばらしい組織を作っています」と絶賛するダニー氏。
「酒蔵では昔から酒造りを学ぶのに何年もかかるものですが、若者はもっと早く学び・いろいろと経験したいと考えており、意思決定にも関わりたいと思っています。そんな若者を大抜擢する経営者の柔軟な考え方や、老舗酒蔵のスピード感ある改革にマレーシア人も感動してファンになるのです」(ダニー氏)。
ダニー氏は「紀土KID」を単なる"美味しい銘柄"としてだけでなく、「現代的な精神」を体現する、共感できるブランドとして、マレーシア人に紹介しているようです。ちなみにマレーシアで人気のある同蔵のお酒は、下の写真を左から順番に「紀土 純米吟醸」、「紀土 純米吟醸 カラクチキッド」「紀土 特別純米 雄町」、「鶴梅 ゆず」など。
さまざまな民族のルーツを持つ多民族国家・マレーシア人の舌は、まさに十人十色。日本酒の味の違いは繊細で、飲み慣れていないマレーシア人にはその違いが伝わりにくいこともありますが、その酒を醸した人の思いや蔵の奮闘記には世界中の人々が興味を持ってくれます。
「そこから"自分の1本"が始まる!」と、ダニー氏は根気強く日本酒の魅力を発信し、"マレーシア流"の日本酒体験を日々、創造しているようです。