大衆車としてかつての日本人の移動を支えた「ブルーバード」というクルマ、実は、イタリアと深い関係があったんです。2代目モデルの原案を出したのは、かの有名なデザイン工房の「ピニンファリーナ」でした。実物の写真を見ながら「ダットサン ブルーバード」(P410型)を振り返ってみましょう。
かなり小さいボディサイズに驚き
写真は1964年に登場した「ダットサン ブルーバード1200デラックス」(P410型)です。原案はイタリアの名門デザイン工房である「ピニンファリーナ」によるものでした。
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「オートモビルカウンシル2025」で撮影した「P410型ダットサンブルーバード1200デラックス」(1964年)。説明パネルには「日本で乗用車の保有台数が100万台を突破した1963年(昭和38年)の9月、ダットサンブルーバードは好評を博した初代から初のフルモデルチェンジで、2代目の410型へ進化しました。先進的なフラットデッキを持ったヨーロッパ調のスタイリングはイタリアの名門デザイン工房・ピニンファリーナ社の原案によるものです。機構面では「セドリック」に続いてモノコックボディを採用し、軽量化と剛性を両立していました。発売当初は1000ccと1200ccエンジン(最高出力55馬力)の2本立てでしたが、のちに「ブルーバードの伝統的なスポーティ仕様となる1200SS(スポーツセダン)、1300SS、1600SSS(スリーエス=スーパースポーツセダン)が追加設定されて、ブルーバードは徐々にスポーツセダンのイメージを強くしていきます。このクルマはマイナーチェンジ前の初期410型の1200デラックスです」とありました
「幸せを運ぶ青い鳥」のキャッチコピーで登場し、“大衆車”としての地位を確立した初代ブルーバード(310型)に続いて登場したのがこの410型で、ボディサイズの全長3,995mm、全幅1,496mm、全高1,470mm、ホイールベース2,300mmは、現代の目から見るとそのコンパクトさに驚かされます。
フロントに搭載する1,189ccのE1型直列4気筒OHVエンジンは最高出力55馬力、最大トルク8.8kgf・mを発生。フルシンクロメッシュの3速コラムシフトを介して後輪を駆動しました。前ダブルウィッシュボーン、後リーフリジッドの足回りは操縦安定性と乗り心地を両立したといいます。
意外なことにスタイリングは不評?
ピニンファリーナによるヨーロッパ調の美しいボディは今見ても新鮮で、庇(ひさし)のようにわずかに出っ張ったルーフ後端と下方に向かうリアのトランクラインとの組み合わせが特徴でした。ただ、当時の市場ではそれが「尻下がり」のスタイリングだと評され、残念なことに評判はあまり芳しいものではありませんでした。
それでも販売は好調で、例えば1960年代の東京の街の風景を写した写真の一角には、必ず410ブルーバードが走っている、というほどよく見かけるクルマでした。
「ダットサン」は1986年まで続いた日産自動車のブランドです。このブランド名には、逃げるウサギのように速く、「脱兎(だっと)のごとく」駆けたという意味もありますし、快進社の初期出資者3人の名字の頭文字を合わせた「DAT」に息子を意味する「SON」を組み合わせ、「SON=損」を嫌って「DATSUN」に改称したなど、さまざまな歴史があります。DATは「Durable」(耐久性)、「Attractive」(魅力的)、「Trustworthy」(信頼性)の頭文字だとする説もあるそうです。
米国では「日産(NISSAN)」よりも「DATSUN」(つづりの通り、向こうでは「ダッツン」と呼ばれました)の方が遥かに認知度が高かったのですが、1981年を機にそのブランド名が順次廃止されることになってしまったのは、大変残念な出来事でした。