日産自動車とイタリアには、けっこう深い関係がありました。その関係を物語るのが、写真の「プリンス・スカイラインスポーツ クーペ」です。1960年の「トリノ国際自動車ショー出品車」に出展されたショーカーが、今でもこんなにきれいな状態で保存されていたとは驚きです。
ミケロッティが手掛けた美しいデザイン
プリンス・スカイラインスポーツのデザインを手掛けたのは、イタリアの著名なデザイナーのジョヴァンニ・ミケロッティです。トリノ国際自動車ショーには青のクーペ(写真の個体)と白のクーペを出展。現地では驚きを持って迎えられたそうです。
「オートモビルカウンシル2025」で撮影した「プリンス・スカイラインスポーツ クーペ」。説明パネルには「デザイン先進国イタリアの著名デザイナー、ジョヴァンニ・ミケロッティのスタイリングによるスカイラインスポーツは、1960年(昭和35年)にトリノ国際自動車ショーでデビューしました。それまでの国産車にはない高級スポーツクーペで、イタリアのデザインによる初の国産車としても知られます。1.9Lの直列4気筒エンジンおよびシャシーはグロリア用を流用し、トリノショー出品車は現地イタリアの工房の製作です。この車はそのショーカーそのもので、のちに日本で製作される生産型とは異なり、1960年のローマオリンピックにちなんで五輪のシンボルの入ったインサイドミラーや、バッヂ・エンブレム類に生産型との微妙な差がみられます。ショー会場には、この青のクーペと白いコンバーチブルの2台が登場し、現地で驚きを持って迎えられました」とありました
その美しいボディは全長4,650mm、全幅1,695mm、全高1,385mm、ホイールベース2,535mmとなかなかのサイズ。フロントには当時のミケロッティらしい吊り目型の4灯ヘッドライトを採用していて、ベースとなった「スカイラインセダン」に比べて“スポーツ”らしいシャープな顔つきになっていました。
リアウインドー下端が丸くキックアップしてリアライトまで長く伸びていくスタイルも独特です。このあたりのデザイン、後に(1964年に)登場するフォード「マスタング・ハードトップ」にそっくりですね。フォードのアイアコッカ副社長が「トリノで見たスポーツカーはみな口が尖っていた」と話していたといいますから、ひょっとして、彼が見たのはこのスカイラインスポーツだったのかもしれません。
今でいえばGT-R NISMOクラス?
エンジンは1,862ccのGB4型直列4気筒OHVを搭載。スカイライン用エンジンの圧縮比を上げたもので、性能としては最高出力94馬力、最大トルク15.6kgm、最高速度150km/hを達成していました。リアに高性能なド・ディオンアクスル式サスペンションを採用した足回りと150mm低い全高が相まって、良好なロードホールディングを発揮したそうです。
インテリアはレザーの4シーター仕様。4速コラムシフトにイタリア・ナルディ社製の3本スポークステアリングを組み合わせ、スポーツモデルらしい仕上がりになっています。
1961年の市販に合わせて、プリンス自動車工業では「スポーツ車課」を設立しました。イタリアから職人を招聘し、ハンマーで叩き出して優雅なボディラインを製作するという完全手作業による仕事は、1台を作り上げるために膨大な時間がかかったといいます。そのため、市販価格はクーペが185万円、コンバーチブルが195万円と高価(当時の大学初任給は1.2万円)で、現代なら「R35GT-R」のNISMOバージョンに匹敵するかもしれませんね。