第3世代の自然写真家には、現代の自然写真の巨匠と呼ばれる岩合光昭、星野道夫、今森光彦がいる。とくに今年は今森光彦の活躍が目立ち、東京都写真美術館、大丸ミュージアム、エプサイトで展覧会を開催した。自然写真の4回目は、今森光彦を中心に第3世代の作家の特長を解説しよう。 (※文中敬称略)

東京都写真美術館で2008年8月に開催された「今森光彦写真展 昆虫 4億年の旅 進化の森へようこそ」」より
今森光彦 「オオアカエリトリバネアゲハを持つパラワン島の少年」 1982年

自然写真の第3世代 1950年以降に生まれた写真家達

1980~90年代に登場する自然写真の第3世代は、1950年代以降に生まれた写真家で、代表的な写真家として岩合光昭、星野道夫、今森光彦が挙げられるね。この3人は本当に自然写真界のスター的存在だよ。自然写真という枠組みだけでなく、写真という大きなフィールドの中で評価された仕事をたくさんしている。活動範囲も日本だけでなく世界各地に大きく広がっている。この3人の大きな特長は、第2世代のメカニズムを重視した撮影のやり方を受け継ぎつつ、昆虫写真や水中写真など個々の専門分野のジャンルを解体し、より大きな視点で環境全体を生態系というまとまりとして捉えていることだね。

作品の幅が広い動物写真 岩合光昭

岩合光昭は、父である岩合徳光の助手として写真を撮りはじめる。彼は動物写真家として語られることが多いけど、最初の写真集『海からの手紙』(1981年/朝日新聞社)では、海という大きな自然環境をテーマにして色々な生き物を撮影している。魚類や鳥類、アザラシなどの哺乳類、そして時には人間も出てくる。生態環境という大きなくくりの視点は今までになかったものだね。その後、岩合はアフリカ・タンザニアのセレンゲティに行ってアフリカの動物を撮るけど、その基本になっている考え方は「食物連鎖」だった。小さな動物が大きな動物に食べられて、大きな動物が死ぬと分解されて土に戻るという連鎖の視点から自然を見直してた。

彼の作品はすごく幅が広く、可愛い猫から恐ろしいホッキョクグマまでカバーしている。それらを視覚的なエンターテイメントとしてまとめ上げていく力が抜群で、画面構成力が高い。いい自然写真家は、自然観察を粘り強く続けられるだけでなく、スナップショットを撮る動体視力や画面構成力も優れているんだ。岩合はテレビ番組にも積極的に出演し、ネイチャーフォトを視覚的なエンターテインメントとして親しみやすく、手の届きやすいものにすることに大きな役割を果たしたね。

岩合光昭 『海からの手紙』 朝日新聞社 1981年

アラスカをフィールドに世界的に活躍 星野道夫

星野道夫は、日本の自然写真を国際的なものにした功績がある。基本的に星野の活動の舞台はアラスカを拠点にしている。それまで海外で撮影する人がいなかった訳じゃないけど、海外に出かけてもせいぜい数ケ月から1、2年だった。だけど星野は高校からアラスカに通い始め、大学はアラスカの大学に留学して、そこに住みついてしまう。英語でのコミュニケーション力も抜群だった。

彼の代表作はたくさんあるけど、熊の写真はとてもいいと思う。熊という神話的な生き物に対する畏敬の念があって、人間の存在を超えたアニミズム(精霊信仰)的な宗教観を持ち続けながら撮影していたと。ナチュラリスト的なものの見方をしつつ、詩人だったり童話作家だったりする一面も持っていた。日本語で文章を綴る才能もただ事ではなかった。写真家にならなくてもエッセイストやコラムニストとして活躍しただろうね。だから、不慮の事故で亡くなってしまったのは、とても悔やまれるね。彼が今も仕事を続けていたら、もっと世界的な写真家として認められたと思うね。

星野道夫 『GRIZZLY』より 平凡社 1985年

身近な里山をテーマに撮影 今森光彦

今の日本の自然写真を考えると今森光彦の影響力はとても大きいよ。今年の夏に東京都写真美術館で開催された今森光彦写真展「昆虫 4億年の旅 進化の森へようこそ」は、とても素晴らしかった。彼は昆虫写真家として活躍しているけど、僕は彼の仕事の中でとくに「里山」を注目しているんだ。

里山という言葉は、今森が言い始める以前は、ごく一部の生態学者が使っていたらしいけど一般的にほとんど知られていなかった。だけど今森が出版した『里山物語』(1995年/新潮社)で、はじめて「里山」という概念に具体的なイメージを与えられたね。里山は、人間が自然を手入れすることでできあがる雑木林や棚田などの身近な環境のこと。今森は、その里山に色々な生物が多用な形で共存をしていることを見事に写し取った。それまで自然写真家は遠くに行って、未知の世界を切り開いていく仕事をしていた。しかし今森は対極的に、誰でも知っている近く雑木林や棚田に広がっている生命の営みを表現した。人間の手が入っている環境だから、ある意味現代社会の断面図、一種のドキュメンタリーでもある。里山の後に琵琶湖という大きな生態系をテーマにした『湖辺 みずべ』(2004年/世界文化社)を出版して、琵琶湖という水を中心とした生態系の広がりを発表している。これもとても素晴らしい仕事だと思う。

今森の世界を発展させるような新しい表現をする人も出てくるかな? と期待しているんだけど、残念なことにいまだ出てきていない。それだけ彼の里山の仕事は画期的で、日本の自然写真のなかでエポックメイキング的な仕事だと思う。田淵行男の登場に匹敵するものじゃないかな。自然写真の新しい枠組みをはっきりと提示したと言っていい。しかも、誰でも共感できる、非常に親しみやすい映像なんだ。もちろん視覚的なエンターテインメントとしても優れている。この夏には東京都写真美術館だけでなく、大丸ミュージアム、エプサイトでも写真展が開催されて、全ての展覧会が大盛況だった。今年(2008年)は今森光彦の年になったと思う。

今森光彦 「ムネトゲボウバッタのオス(右)とメス(左)」 1992年
体長は、20センチをこえる巨大さ。表情は、一度見たら忘れられない。

今森光彦 「ため池のショウジョウトンボ」 1999年
田んぼの中のため池に縄張りを持つショウジョウトンボのオス。オスがやってくると追いかける

今森光彦 『里山物語』より 新潮社 1995年

被写体への知的好奇心の追究

自然写真を撮る人は、自然や被写体についてよく知っているということが第一条件だろうね。だから植物や動物の名前を知っているかどうかは大きいよ。例えば花を撮るとするよね。名前を知らないで撮っていると、被写体の花はただの風景の一構成要素にすぎないんだ。自然写真の基本は自然観察だから、それを科学的に分析していく眼があって、そしてその被写体が自然という大きなシステムのどこに位置づけられているか、それをきちんと把握しているかどうかは、ものの見方が違ってくるのでとても大きいと思う。

自然写真は被写体を知りたいという知的欲求や好奇心が原動力なんだ。だから被写体の形や色だけでなくて、生態の特徴や生き方をちゃんと調べることが大切で、それを象徴するのが生き物の名前だと思う。東京都写真美術館に展示してあった今森光彦の昆虫メモは、昆虫学者の研究ノート並にすごい。そのような基礎知識があって、なおかつ優れた画面構成力があるから今森の世界が成立しているんだ。里山や琵琶湖の写真だって、単に風景として撮るのなら誰でもできる。今森みたいにそれをしっかりとした自然写真に再構成していくには、里山や琵琶湖の生態環境としての成り立ちとか仕組みを知らないことにはどうしようもない。だから被写体への知的好奇心はとても大事なことなんだ。

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.) ls