フォントを語る䞊で避けおは通れない「写研」ず「モリサワ」。䞡瀟の共同開発により、写研曞䜓のOpenTypeフォント化が進められおいたす。リリヌス開始の2024幎が、邊文写怍機発明100呚幎にあたるこずを背景ずしお、写研の創業者・石井茂吉ずモリサワの創業者・森柀信倫が歩んできた歎史を、フォントやデザむンに造詣の深い雪朱里さんが玐解いおいきたす。線集郚


蒙疆ぞの出荷

1938幎 (昭和13) 4月1日、囜家総動員法が公垃され、同5月5日に斜行された。これによっお、政府は戊争遂行のために、囜の経枈や囜民生掻をすべお統制できる暩限をもった。物資や資源、劎働力は軍需生産にあおられ、賃金や䟡栌、蚀論や出版など、囜民生掻のあらゆる面を政府が軍事目的で統制するこずが可胜ずなっお、日本は軍囜䞻矩的な経枈䜓制ぞず䞀気に突入した。

写真怍字機の泚文は぀づいおいた。写研の蚘録を芋るず、この1938幎 (昭和13) には䞭安補版印刷、鎌倉印刷、现谷真矎通、陞軍燃料廠、内閣印刷局に各1台ず぀出荷しおいる。そしおもう1台、蒙疆 (もうきょう) 新聞瀟にも出荷した。[泚1]

  • 蒙疆新聞瀟の広告。北支那経枈通信瀟 線『北支・蒙疆幎鑑』昭和16幎版、北支那経枈通信瀟、1940 より 囜立囜䌚図曞通デゞタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1874842 (参照 2025-05-24)

1937幎 (昭和12) 7月7日の盧溝橋事件に端を発した日䞭戊争のさなか、日本の占領䞋で内モンゎル自治区䞭郚の察南・晋北・蒙叀連盟の䞉自治政暩による蒙疆連合委員䌚 (蒙疆政暩) が蚭立された。蒙疆連合委員䌚は、1938幎 (昭和13) 5月、䞀般民衆の教化、報道などを目的ずしお蒙疆新聞瀟法を制定し、資本金40䞇円の株匏䌚瀟蒙疆新聞瀟を蚭立。日本語、䞭囜語、モンゎル語の各皮新聞および蒙疆新聞の発行ず、印刷事業の経営をおこなった。

蒙疆新聞瀟は、匵家口 (ちょうかこう) で発行されおいた蒙疆新報、綏遠 (すいえん) で発行されおいた蒙疆日報䞡瀟の財産を珟物出資ずしお蚭立された。創業時の初代理事長は束本斌菟男。圌が1939幎 (昭和14) に事情により退任するず、同幎2月からは现野繁勝が理事長ずなった。[泚2]

  • 1940幎頃の匵家口の颚景。高朚翔之助 著『蒙疆』、北支那経枈通信瀟、1938 口絵より 囜立囜䌚図曞通デゞタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1876911 (参照 2025-05-28)

この蒙疆新聞瀟から、写真怍字機の泚文が入ったのである。1938幎 (昭和13) の幎も抌し詰たった12月、茂吉は写真怍字機研究所員の䞊朚幞䞉ず笠井匘康ずずもに、機械を出荷するため珟地に向かった。茂吉が日本を発ったのは12月17日だったが、その前日、圌は印刷雑誌瀟の線集局にひょっこり顔を出した。『印刷雑誌』は、茂吉ず信倫が邊文写真怍字機に取り組み始めたころからその研究開発を远っおきた雑誌だ。茂吉は線集局にいた郡山幞男らに、きたじめな顔でこう蚀った。

「石井、䜕をやっおるかずだいぶ心配をかけたしたが、長くやっおいるうちには光が芋えおきたす」 ここのずころ぀づいおいる写真怍字機の泚文、そしお新たに蒙疆新聞瀟ぞの出荷をひかえ、圌の研究をずっず芋おきおくれた線集局に報告をしたくなったのだろう。[泚3]

立ち寄った満州で

日本を発぀ず、茂吉はたず満州に寄った。奉倩の興亜印刷には、1934幎 (昭和9) に玍めた写真怍字機が3台あった。圓初は写真怍字機研究所から掟遣された印字郚の所員が2、3人いたが、圌らはみな退瀟したり、城兵されたりしおいなくなり、1937幎 (昭和12) に興亜印刷局に入瀟した䜐藀行雄が責任者ずしお、珟地の瀟員を逊成しながら孀軍奮闘しおいた。茂吉は䞊朚ず笠井を連れお蒙疆新聞瀟に行く道䞭、奉倩で䞋車した぀いでに、䜐藀の様子を芋に行った。

やっおきた茂吉に、䜐藀は「写真怍字機に調子の悪い個所がありたす」ず指摘した。するず茂吉は「それは簡単になおるから」ず蚀っお、みずから修理にずりかかった。しかし修理に䜿う工具のやすりが1本しかなく、しかもそれは叀びおいおはんだ (はんだ付けに䜿う合金) が目に詰たっおおり、おもうように削れない。そこで茂吉は釘を䜿っお、やすりの目に詰たったはんだをひず目ひず目おいねいに取り去る䜜業をはじめた。小さなやすりの目をひず぀ひず぀きれいにするには、たいぞんな根気ず時間がかかる。ようやく4分の1ぐらいの目立おができたころには、すでに出発しなくおはならない時間だった。時間切れだ。

茂吉はみずからの手で写真怍字機を盎せないこずを残念そうにしながら、その修理方法を䜐藀に䌝え、去っおいった。

「なんずいう几垳面な方なのだろう!」 あずに残された䜐藀は、ただただ感心するばかりだった。[泚4]

珟地での指導

茂吉䞀行は、ようやく蒙疆新聞瀟に着いた。すぐさた圌らは、写真怍字機の䜿い方の指導にあたった。

䞊朚はこのずきのこずを、こう曞き残しおいる。 〈この新聞瀟 (凞版系) は、掻字が1本もなく、写怍機で新聞党面を組むほか、400ペヌゞにわたる倧同案内蚘も぀くった〉[泚5]

調べおみたずころ、『倧同案内蚘』 (日本囜際芳光局倧同案内所 発行、1939幎)[泚6] は掻版印刷で、党41ペヌゞ。どうも、䞊朚が曞いおいるものずは異なるようだ。同じ1939幎9月に蒙疆新聞瀟から発行された岩厎繌生の『蒙叀案内蚘』[泚7] を芋るず、本文に写真怍字が甚いられおいるようである。時期ずしおも、蒙疆新聞瀟が写真怍字機を導入した埌だ。ただしこの曞籍も43ペヌゞであり、400ペヌゞにもおよぶ曞籍ではない。

たた〈掻字が1本もなく〉の蚘述に぀いおも、1939幎 (昭和14) の状況をたずめたずいう『新聞総芧 昭和15幎』(日本電報通信瀟、1940) には、蒙疆新聞瀟の䞻芁蚭備ずしお写真怍字機1台のほかに、䜿甚掻字 6.65ポむント、字母蚭備 敎備、掻字鋳造機11台、凞版補版䞀匏、倖囜補四六半裁掻版印刷機4台ずいった掻版印刷の蚭備が蚘茉されおいる。[泚8] 䞊朚は実際に蒙疆新聞瀟を蚪れおいるので、たったくのたちがいであるずはおもえず、茂吉たちが蚪れたあず、理事長が束本斌菟男から1939幎 (昭和14) 2月に现野繁勝に亀代し、工堎の拡充をはかった際に導入されたものなのか、あるいは、日本語に関しおは新たに甚意する必芁があったために、䞀からそろえるのが困難な掻字をもちいず、写真怍字機のみで印字されたずいうこずなのかもしれない。

(぀づく)

※しばらく、毎月第2火曜日の曎新ずなりたす。
次は9月9日曎新予定です。

[泚1] 「文字に生きる」線纂委員䌚 線『文字に生きる〈写研五〇幎の歩み〉』写研、1975 p.48

[泚2] タむムス出版瀟囜際パンフレット通信郚 [ç·š]『囜際パンフレット通信』(䞖界政治倖亀日誌第109茯/䞖界経濟日誌第45茯)(1112)、タむムス出版瀟、1938-06. p.46囜立囜䌚図曞通デゞタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1895779 (参照 2025-05-28)
猪瀬五郎「蒙疆政暩の機構ず経枈事情」『東京の貿易』1(4)、東京垂、1938-10. p.35-41 囜立囜䌚図曞通デゞタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1549402 (参照 2025-05-28)
高朚翔之助 著『蒙疆』、北支那経枈通信瀟、1938.pp.108-111囜立囜䌚図曞通デゞタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1876911 (参照 2025-05-28)
日本電報通信瀟䌁画郚 線『最近の満掲囜ず北支蒙疆』、日本電報通信瀟、昭和13. 囜立囜䌚図曞通デゞタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1094003 (参照 2025-05-28)
日本電報通信瀟 線『新聞総芧』昭和15幎、日本電報通信瀟、1940.pp446-447 囜立囜䌚図曞通デゞタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1113417 (参照 2025-05-28)

[泚3] 「蒙疆政府印刷郚が写真怍字機を蚭備」『印刷雑誌』21(12) 1938幎12月号、印刷雑誌瀟、1938 p.59

[泚4] 䜐藀行雄「わたしの芋た石井先生の暪顔」『远想 石井茂吉』写真怍字機研究所 石井茂吉远想録線集委員䌚、1965 pp.75-76、䜐藀行雄「青春の血を燃やした」印刷時報瀟 [ç·š]『月刊印刷時報』2月号 (476)、印刷時報瀟、1984-02. p.21 囜立囜䌚図曞通デゞタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11434939 (参照 2025-05-25)

[泚5] 䞊朚幞䞉「『機械』ず『文字盀』を仲介」印刷時報瀟 [ç·š]『月刊印刷時報』2月号 (476)、印刷時報瀟、1984-02. p.26 囜立囜䌚図曞通デゞタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11434939 (参照 2025-05-25)

[泚6] 『倧同案内蚘』、日本囜際芳光局倧同案内所、昭和14. 囜立囜䌚図曞通デゞタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1122495 (参照 2025-05-29)

[泚7] 岩厎繌生 著『蒙叀案内蚘 : 附倧同石䜛案内蚘』、蒙疆新聞瀟、倧阪屋號曞店 、1939.9. 囜立囜䌚図曞通デゞタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1885718 (参照 2025-05-29)

[泚8] 日本電報通信瀟 線『新聞総芧』昭和15幎、日本電報通信瀟、1940.pp446-447 囜立囜䌚図曞通デゞタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1113417 (参照 2025-05-28)

【おもな参考文献】
『石井茂吉ず写真怍字機』写真怍字機研究所 石井茂吉䌝蚘線纂委員䌚、1969
『远想 石井茂吉』写真怍字機研究所 石井茂吉远想録線集委員䌚、1965
「文字に生きる」線集委員䌚 線『文字に生きる〈写研五〇念の歩み〉』(写研、1975)
タむムス出版瀟囜際パンフレット通信郚 [ç·š]『囜際パンフレット通信』(䞖界政治倖亀日誌第109茯/䞖界経濟日誌第45茯)(1112)、タむムス出版瀟、1938-06
猪瀬五郎「蒙疆政暩の機構ず経枈事情」『東京の貿易』1(4)、東京垂、1938-10
高朚翔之助 著『蒙疆』、北支那経枈通信瀟、1938.
日本電報通信瀟䌁画郚 線『最近の満掲囜ず北支蒙疆』、日本電報通信瀟、1938
日本電報通信瀟 線『新聞総芧』昭和15幎、日本電報通信瀟、1940
「蒙疆政府印刷郚が写真怍字機を蚭備」『印刷雑誌』21(12) 1938幎12月号、印刷雑誌瀟、1938
印刷時報瀟 [ç·š]『月刊印刷時報』2月号 (476)、印刷時報瀟、1984-02

【資料協力】株匏䌚瀟写研、株匏䌚瀟モリサワ
※特蚘のない写真は筆者撮圱