前に住んでいた私の実家の前にも、今の家の前にも公園があり、どちらも子どもの遊び場になっている。
しかし、少なくとも40年以上は前に作られた実家の公園には、ブランコ、滑り台など標準的遊具があるのに対し、今住んでいる新興住宅地にある公園には、遊具は一切ない。ただの広場である。
どういう意図で遊具がないのかは不明だが「遊具による事故対策」である可能性は十分にある。実際、過去には公園の遊具による子どもの事故もあった。よって最近は、最初から事故の元は一切置かないという公園も多いだろう。
もしくは不用意に置くと、私のような行き詰った中年が、夕暮れ時に虚空を見つめながら漕いでいるという事案が起こり、周囲に不安感を与えるからかもしれない。
全撤廃はやりすぎではないか、との声もあるだろうが、おそらく「ジャングルジム登らないと死ぬ病」の子どもはあまりいないだろう。それよりも「ジャングルジムで子どもが死ぬ可能性」の方があるとしたら、置かないのが賢明だ。
テレビが抗議や炎上を恐れ、クイズやバスを乗ったり下りたりする番組ばかりやるのと同じように、「危険のあることは最初からやらない」というのが、今の世の中全体の風潮と言える。
だがそんな世の中において「何故これが今も残っているのか」という不思議なものもまだある。
それが運動会での「組体操」だ。
このご時世、組体操だけがなぜ残る
組体操は正月のモチ同様、毎年結構な負傷者を出しており、少なくともリスクがあることは明らかなのに、何故か今もなくならないものの一つだ。
今年も、神戸市長が組体操に危険性を考慮し、市の教育委員会に運動会での組体操見合わせを要請したが、「一体感や達成感が得られる演目だ」と、組体操を継続したという。
結果からいうと、市立小中学校30校で、骨折などの重傷含め、51人の生徒が負傷したそうだ。合計とはいえ、数だけならバトル・ロワイヤルより生徒が負傷してしまっている。
中年になると何もないところですらコケて怪我をするのだ。全く危険のない競技など存在しない。しかし、その中でも組体操は事故が起こりやすい上に、後遺症が残るような重症を負ったり、最悪命に関わる危険性があったりする、という事実は否めない。
むしろ、何故そこまでして組体操やるのだろうか?
モチに関しては「貴様は正月のモチを諦めてまで100まで生きたいか?」と言われたら、「そう言われれば、そうデブな」と納得しかけないでもない。しかし、組体操に関しては「誰得」なのかイマイチ判然としない部分がある。
まず、子どもが積極的に組体操をやりたがっているかというと、そうでもない気がする。
私も小学校の時やったが、練習時間が長くだるかったのと、怪我しないまでも「小石が膝や手の平に刺さって痛てえ」という負の記憶しかない。
では、学校の意向かというと、このご時世、生徒の身に何かあれば糾弾は免れない。どちらかというと「生徒に危ない事はさせたくない」という教師の方が多数派なのではないだろうか。
ならば、保護者の希望だろうか。確かに、運動会は子どもの成長を見られる、親としてはたまらないイベントだろう。だが、それは組体操以外でも見られる。
むしろ、コンセントの穴にあらゆるものを突っ込もうとしたりと、子どもが危険行為に及ぶ様など、親は見飽きているはずである。やっとドラム型洗濯機に自ら入ろうとしない年まで育ってくれた子どもが、学校にわざわざ危険行為をさせられるというのは、逆に腑に落ちないのではないだろうか。
少なくとも、子どもに重篤な怪我をする危険性があることをしてほしいとは思ってないはずだ。
本当は誰も望んでいない説
このように組体操継続の是非に関しては、学校と保護者で「学校にやめるよう言ったがやめてくれない」「保護者がやってほしいと言っているから続けている」等、お互い幻覚を見ているとしか思えない、意見の食い違いが見られる。
ここで登場するのが、「組体操は地域受けが良いから続けられている」という説である。実際、神戸市の件も、組体操を継続させたのは、学校や保護者ではなく市の教育委員会だ。
「地域」とは何かというと、「来賓席」や「敬老席」に座っている方々のことだ。
組体操は、そういう子どもに直接関係ない方々が「子供たちが歯を食いしばって頑張っている、感動した」と思わせやすい、という理由で続けられているのではないか、ということである。
これだとジジババの感動のために子供が犠牲になっているということになってしまうが、本当に組体操を「地域の人」が求めているのだろうか。
娯楽がなかった時代、運動会というのは子ども含め、地域の貴重な楽しみであった。しかし今は他にいろいろある。後期高齢者になるうちの父も「最近注目しているのは米津玄師さん」と言っていた。
それを「地域のお年寄りは、他人の子供の組体操だけを楽しみに生きているんですよ」と思い込んで続けさせるのも、逆に高齢者を舐めている気もする。
改めて調査してみれば「別に誰も望んでなかった」ということになるんじゃないだろうか。
どうしても、子どもたちに一体感と達成感を感じさせ、ジジイとババアを泣かせなければいけないというなら、せめて低リスクでダイナミズムを感じさせる種目を新しく考えるべきだろう。
一番大事なのは、子どもの身の安全である。ハイリスクハイリターン行為をさせるぐらいなら、ノーリスクノーリターンの完全なる「無」をやらせた方がまだマシである。