ボーイング747-100。70年代にはまだビジネスクラスはなく、ファーストとエコノミーの2クラスだった

日本航空の747-100こと、ジャンボジェット機の1番機は1970年7月1日、羽田発ホノルル線に就航する。午後9時40分、320人の乗客を乗せて出発。その後39年に渡る在来ジャンボ機の活躍の幕開けだった。それはすなわち日本における大量輸送時代の幕開けだった。

6代目の制服は1977年に誕生し1987年まで採用された。ミニスカートから一転、ロングスカートに。デザイナーは5代目に続き森英恵氏

同年8月からは大ヒットしたテレビドラマ「アテンションプリーズ」の放送も始まった。ドラマのタイトルはそのまま流行語ともなり、海外旅行をより身近に感じられるようになっていく。

絵画やラウンジなど、優雅な空間が機内に登場

また、ジャンボの出現により座席数が一気に増え、より多くの乗客を収容できるようになったため、航空会社間の顧客の獲得競争も激しくなっていく。そこで必要となったのがサービスの充実だ。今も続くサービス競争の始まりと言ってもいいだろう。

日本航空のジャンボでは、2階席にファーストクラス専用ラウンジを設置。プライベートジェットの機内を彷彿とさせるゆったりした空間にいくつものソファが並んだ。ファーストクラスのキャビン前方には日本画家・加山又造氏の絵画が描かれ、1978年には2階席にファーストクラス旅客用のベッドも設置された。枕や毛布、ガウンなどのアメニティも完備され、現代最高のぜいたくとされるフルフラットシートを、同社はこの時代に既に導入していたのである。



整備状態の良さにNASAから感謝状

当時のファーストクラスサービスの一例

昨今の上級クラスの機内食には目を見張るものがあるが、当時のメニューも豪華なものだった。一例を挙げると、前菜の後、スープはコンソメとクリームスープからのチョイス。メインディッシュには和食もあり、洋食にはビーフステーキやローストビーフ、蒸し鶏など豪華なメニューをそろえ、アソートチーズも提供した。

デザートにはやフルーツや各種アイスクリーム、ケーキなどをそろえ、ワインやリキュール類も充実させるなど、日本航空が早くから機内食に力を入れていたことが分かる。

インテリアも工夫された。画一的なデザインでは機内が閑散としてしまう、との理由で導入されたのが「ガーデンジェット」。客室の壁紙は、ファーストクラスは「藤」を、エコノミークラスは「橘」、「松」、「紅葉」をモチーフにするなど、日本航空らしさを前面に打ち出した。

なお、1973年に就航し1988年に退役した日本航空のジャンボ機、機体番号JA8117機は退役後、NASA(アメリカ航空宇宙局)に売却され、NASAのスペースシャトル輸送機に改修されて活躍したが、同機は顕著な故障もなく順調に飛行を続けた。そのため、NASAが日本航空の卓越した整備技術と優れた品質管理に対して感謝状を贈った、というエピソードが残されている。