連載『老後サバイバル』では、フィデリティ投信株式会社 フィデリティ退職・投資教育研究所所長の野尻哲史氏が、同社が勤労者3万人を対象に実施したアンケート結果などをもとに、退職後にいかに備えるかについて考察します。


所得代替率50%は可能か

前回は年金の仕組みと「老後難民」懸念でしたが、今回は、今年行なわれた5年に1度の年金財政検証に触れます。この話題は、メディアにも取り上げられましたが、内容が難しいのでほとんど理解されないままだったと思います。その議論のすべてを知る必要はありませんが、「所得代替率」という言葉の意味とそこに隠されている課題は是非とも理解して欲しいと思います。

年金財政検証とは、少なくとも5年毎に、国民年金・厚生年金の財政の健全性を検証する目的で行われ、所得代替率=「現役世代の平均手取り収入に対する年金受取額の比率」が50%を下回る場合には、「所用の措置を講ずる」ものとされています。今回の財政検証では経済、物価、賃金などの前提条件を変えて8つのケースに分けた分析を行っており、その主要な前提での分析結果では、2040年代に50%強で底打ちする、すなわち50%を下回らないことが示されました。

その一覧をみたのがグラフ1です。2014年の所得代替率は62.7%で、これが徐々に下がっていくというのが前提です。物価上昇率、賃金上昇率、運用利回り(公的年金は余剰部分を運用しています)、経済成長率そして労働市場への参加状況の5つの条件で8つのケースに分けて分析しています。ケースAからケースEまでの5つの場合には、2040年代に50%強で底打ちするというシナリオで、ケースF、ケースG、ケースHの3つは2050年代には所得代替率が40%台に下がるとしています。前者は労働市場への参加が進むケースとしていることから、これが大きなカギを握っていると考えています。女性や高齢者が今よりももっと働くことができるように環境を整えれば、所得代替率50%維持も可能だと言っているわけです。

グラフ1 2014年の年金財政検証

(注) 所得代替率が50%を下回る場合は、そこで給付水準調整を終了し、給付及び負担の在り方について検討を行うこととされているが、仮に財政のバランスが取れるまで機械的に給付水準調整を進めた場合の数値と年度。なお、50%に到達する年度は*が2040年度、**が2035年度、***が2036年度。なお、所得代替率は厚生年金と共済年金が一元化(2015年10月予定)したものとして算出。(出所 : 2014年6月3日、厚生労働省「国民年金及び厚生年金に係る財政の現況見通しー平成26年財政検証結果」をもとにフィデリティ退職・投資教育研究所作成)

所得代替率とは

(注)ケースAの所得代替率は厚生年金と共済年金が一元化(2015年10月予定)したものとして算出。(出所 : 2014年6月3日、厚生労働省「国民年金及び厚生年金に係る財政の現況見通しー平成26年財政検証結果」をもとにフィデリティ退職・投資教育研究所作成)

所得代替率50%の裏にある3つの課題

所得代替率50%を確保できるかどうか正直なところあまり信頼できる状況ではないと思いますが、実は問題は「所得代替率50%」が持っている意味の方だと思います。もし政府が、所得代替率=「現役世代の平均手取り収入に対する年金受取額の比率」50%を維持することができれば、"現役時代の半分くらいの年金収入があるんだ"と少し安心するかもしれませんね。でもこの所得代替率50%に隠されている3つの課題、「現役世代の」「平均」「手取り」をみるとあまり楽観していられないことがわかってきます。

第1の課題は、「現役世代の」とまとめられていることです。グラフ1にあるように現役男子の手取り収入を分母にしているわけですが、受け取る年金額は夫婦になっています。この計算では、夫が働き妻が専業主婦を前提にしており、分母が1人分で、分子が2人分で所得代替率が計算されているのです。所得代替率50%という数字の持つ意味は夫婦二人の生活者と1人の現役世代の所得と比較しており、それほど高いとみるわけにはいかないのです。

第2の課題は、「平均」です。現役世代の平均ということは厚生年金、共済年金の加入者である20歳から59歳までの収入全体の平均です。実は正確には公表されていませんが、30代後半くらいではないかと推測されます。そのため、加入者の全平均が分母に置かれていて、その50%が年金で受け取れると聞かされても、実際には「20代半ばくらいの年収かな」といった水準だろうと思われます。

米国、英国ではこうした退職後の生活費の水準を議論するときには退職直前の年収を分母にしてその何%が必要かといった議論をします。人は良い生活を期待して高い水準の年収を求めますが、そのゴールが退職直前だとすると、そこから20代前半の水準、しかも自分の年収ではなく全体の平均の年収となると、現状の生活からみるとかなり大きな落差がみえます。実際、アンケートの結果から年収の高い人ほど退職後に必要とする資産額は大きくなっており、日本でも退職後の直前年収との比較が本来あるべき議論だと思います。

第3の課題は「手取り」です。分母の現役世代の平均年収は手取りで計算されます。社会保障や税金などを差し引いた後の金額ですから、いわゆる年収よりはかなり小さくなります。その水準の50%ということですから、実際にはより小さい金額になりかねません。しかも、受け取る年金額は金額によっては税金や社会保障費を支払う可能性もあります。

こうした「所得代替率50%維持」の持つ3つの"誤解をもたらしかねない背景"を理解することで読者の皆さんも自助努力の大切さをより痛感して欲しいところです。

執筆者プロフィール : 野尻 哲史

一橋大学卒業後、内外の証券会社調査部を経て、2006年からフィデリティ投信株式会社 フィデリティ退職・投資教育研究所所長。大規模なアンケート調査をもとに投資家への提言をするなど、投資教育に従事。「退職金は何もしないと消えていく」(2008年) 、「老後難民 50代夫婦の生き残り策」(2010年)、「40代のサイフ」(宝島社、2012年)、「50歳から始めるお金の話し」(2013年2月、小学館文庫)など著書も多数。現在、日本アナリスト協会検定会員、日本FP協会、日本証券経済学会、行動経済学会などの会員。