新しく始まる本コラムは、写真展、写真集、写真コンテスト、写真家など、写真の旬なテーマについて写真評論家・飯沢耕太郎氏にお話を聞き、それを紹介していきたいと思う。写真は奥が深く、楽しく、時には驚くほどのパワーをもっている。しかし初心者にとってはとっつきにくいことも確か。このコラムが少しでも写真を楽しむきっかけになれば幸いである。第1回は『工場萌え』を取り上げる。(※文中敬称略)

気になる写真集『工場萌え』

2007年に一番売れた写真集がこの『工場萌え』(著:大山顕/写真:石井哲)なんだよね。これは2007年3月に出た写真集で、「工場好きによる工場好きのための……」というマニアックなキャッチなんだけど、この種の写真集としては異例の3万部以上が発行されたんだ。

『工場萌え』だけじゃなくて、ダムや高速道路のような巨大建造物の写真集がいくつも出ていたり、実際に見に行ったりと、ある意味でブームになっているけども、このブームの兆候は3~4年前からあったと思う。僕は毎年2月3月になると、職業柄いろんな写真専門学校や大学の卒業制作の講評会に呼ばれて、生徒たちの作品を多く見るんだけど、"このところ妙に工場の写真が多いなぁ"って感じていたんだ。

そういった作品には共通する特長があって、「ディテールをすごく重視している」「工場全体をキレイに撮る」「夜の工場も多い」ということ。だけどディテールを出すためなのかすごくフラットな写真が多くて、始めのころは「ゆるい」「面白みに欠ける」って感想だった。何を狙っているのかもよくわからなくて、それほど高い評価はしていなかったんだ。だけど去年の『工場萌え』の大ヒットをきっかけに、僕としてはいろいろ理解できるようになってきた。

『工場萌え』 大山顕(著)/石井哲(写真) 出版:東京書籍 発行:2007年3月

『ダム』 萩原雅紀 出版:メディアファクトリー 発行:2007年2月

『恋する水門』 佐藤淳一 出版:BNN 発行:2007年8月

『ジャンクション』 大山顕 出版:メディアファクトリー 発行:2007年12月

テクノスケープに萌える現代人

『工場萌え』のヒットに引っ張られたわけじゃないだろうけど、現在では水門(佐藤淳一『恋する水門』)やダム(萩原雅紀『ダム』『ダム2』)、インターチェンジ(大山顕『ジャンクション』)、鉄塔(サルマル ヒデキ『東京鉄塔』自由国民社)など、巨大建造物の写真集がどんどん増えている。

『テクノスケープ 同化と異化の景観論』 岡田昌彰(著)/中村良夫+篠原修(監修) 出版:鹿島出版会 発行:2003年10月

なぜ、このような巨大人工物の写真集が増えているのかを考えていくと、従来の写真に反応する読者とは違った新しい購入層が生まれているんじゃないかと思う。このことについて考えているときに、岡田昌彰の『テクノスケープ 同化と異化の景観論』(鹿島出版会)を読んでみて、納得することがたくさんあったんだ。この本は『工場萌え』の巻末にある「工場を知るための入門書」のトップにも紹介されている。

『テクノスケープ』は、これまで議論されてきた自然の景観ではなく、工場などの「土木景観」について書かれている。岡田は工場の風景が、なぜ絵画や写真などのアートの世界で取り上げられてきたのかを研究していって、工場のような人工システムによって人間が構築した建造物を「テクノスケープ」と位置づけた。工場やダム、高速道路などが作り出す景観は今まで当たり前だった自然景観とはぜんぜん違うことが面白いと書いている。そしてテクノスケープ的な風景も景観論の中に取り入れていかなければならないという主張をした。

岡田は同著で、テクノスケープの変化を「同化」「異化」「排除」「埋没」と種類に分類して論じている。「同化」とは、テクノスケープが存在する景観が、その場所にしっくり馴染んでいる状態。見ている人はテクノスケープを親近感のようなプラスの感情で受け入れてること。「異化」とは、その場所にあることが異質であると認識されているにも関わらず、プラスに受け入れられている状態。演劇などで「異化効果」という言葉があるけど、あれと同じものだね。たとえば日常的な場面の中に突然仮面を被った人物が現われると、その仮面の人物は浮いちゃうけど、観客はすごいインパクトを受ける。工場は大正から昭和の初めにできたころは異質なものだったから、新鮮でダイナミックな「異化効果を狙う」テーマとして絵画や写真に取り上げられたり、歌謡曲で歌われたりと、盛んに取り上げられることで社会に同化していった。同時に工場地帯にも海水浴場ができたりして、居住空間に同化しようという試みも行なわれてきた。しかし、1960年代くらいから水俣病や汚染などの公害問題が取り上げられ、工場は非難されるマイナスイメージの象徴になってしまう。そうすると社会風景から「排除」されていくんだね。それから東京タワーなどは、建設当時は周りの風景から浮いていたけど、周囲に高層ビルが建ち並ぶことで目立たなく「埋没」してしまう。60年代以降は「排除」と「埋没」の時代だったと位置づけているわけ。

ところが90年代以降、工場のようなテクノスケープのマイナスイメージが一回ひっくり返って、プラスのイメージとして受け入れられてきている。これは僕の意見だけど、工場に萌える人たちの年齢は、だいたい20代後半から40代までで、中心は30代だと思う。ちょうど怪獣映画で育って、「ガンダム」に夢中になり、「アキラ」にショックを受けた世代。『工場萌え』の著者たちにとって、鉄とコンクリートの眺めは少年時代から目に馴染み、記憶に「同化」した原風景なんじゃないかな。だからこそテクノスケープは、「きゅんとする(萌える)」被写体になる。10代の若い人たちもテクノスケープに反応するけども、これは実体験よりもメディアを通しての経験だと思う。70年代以降、映画や漫画、ゲームなどのメディアイメージで工場のようなテクノスケープがさかんに取り上げられるようになる。そのようなメディアイメージで育った世代にはテクノスケープは、身に付いちゃった風景なんだ。ゲームやアニメを身近な存在と認識しているから、直接見ていなくても「懐かしい」と感じる原風景になってしまう。実体験、間接体験とそれぞれあるにしても、そのように感じる人たちが写真集の購買層となり、『工場萌え』がヒットしたのだろう。

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。