女の幸せな一生ってなんだろう。適度に美人に生まれて、ちやほやされつつ青春を過ごし、2人目か3人目くらいの男と結婚して、そしたら男が絶好調に出世してくれ、自分は自分で趣味が高じて優雅な仕事をしたりして、優秀な子どもたちに囲まれて老後を過ごす、とかだろうか。この人生なら汎用性がありそうだ。

上記を解説すると、男は1人目でいい。何度も失恋したりするのはイヤ(振るのはいいけど)だからだ。1人しか知らないと「もっといいのが選べたんじゃないか」とか、「ほかの男がどうセックスするのか知りたいかも」みたいな好奇心や欲求が満たされない可能性がある。だから一生を添うのは1~3人目でいい。男が立身出世して金持ちになってくれれば生活の心配をすることもない。だけど自分の存在価値を実感したいから、適度に優雅で儲かる仕事はしたい(フラワーアレンジメントとかワインソムリエとか)。子どもたちは勉強やスポーツができて自慢のタネで、決してネットにハマって家から出なくなったりしない。文句があるとすればワイドショーの事件とかダイエットの効果があまりない程度の話で、人生を過ごすことだ。

『星の夜 月の朝』は、そういう話である。主人公・りおは、初恋の遼太郎くんと運命の再会をした後は、なんやかんや全然ヤキモキしない事件……いろんなトラブルが降りかかったりする。ところが、である。よーく読んでみると、りおは、実は何の苦労もしていないのだ。せいぜい、先輩から好かれてどうしようとか、良太郎君がアメリカに行っちゃいそうでどうしようとか、その程度。

だけど元気でがんばる子のりおは、一生懸命バスケをして、いろんな男から目をつけられ、ドラマに出たりPVに出たりさせてもらう。そんなに出たがりならいっそ身体を売って芸能界に入ったらどうだろう。でも、本格的にその世界で苦労するのはイヤなのだ。「かわいいね」「実力があるね」とか言われて、ちょっぴりその世界に足を踏み入れて、すぐ引っ込めて男に走るくらいが、一番面倒が少なくて幸せなのである。

なにかに真摯に取り組んだとしたら、そこに言葉に尽くしがたい苦労はつきものだ。真剣だからこそ許せないこと、障害になることが起こるのだ。だけど、りお自身はバスケで身を立てるというわけではないから、人生を揺るがすような悩み事(例えば『テレプシコーラ』の六花みたいな)、壁には突き当たらない。でも「バスケで鍛えてます」とかは言ってみる。素人の癖にドラマの制作に偉そうな意見を吐いたりする。たいした努力もしないで、人を動かす影響力を持ちたいのである(これは男女ともにある欲求だと思うけど)。

話の中で苦労するのは、遼太郎くんだ。クラスメートが死んでドラマに出させられたり、母親が死んじゃったり、大怪我してバスケの選手生命がうっすら危うくなったり、こまこまと大変そうだ。彼は、たいした苦労をさせられないりおの代わりに、逆境を背負い込んでいるのである。だけどまあ2人は付き合っているので、遼太郎が大変だと、りおもいっちょまえに大変そうな顔をするので、読者も結構その気になれるのだ。

中盤、りおの乗った飛行機が墜落するという事件が起こる。主人公が死ぬわけないから、助かるに違いないと思って劇的なシーンでも読者は鼻歌交じりだ。これが遼太郎くんでも同じ。絶対死なない。でも麻衣ちゃんとか森村先輩だったら、死んじゃう展開もありだ。縞くんとか小鹿さん(釣り目の女)だったら、鉄板でまんまと墜落していたはずなのだ。トラブルの不幸度が高ければ高いほど、少女漫画において登場頻度が低くなり、巻き込まれるのは縁の遠い人間となる。

自分は安穏としているのに、周りが苦労して主人公と読者が涙するという構成は、少女漫画で結構好かれるシステムである。主人公自体がヘヴィなトラブルに巻き込まれると、一定の読者からは「暗い」「面白くない」といった批判が出ちゃうからだ(『キス&ネバークライ』とかそうだったみたい)。

それにしてもさー、遼太郎くんってインポなのかな。スポーツで発散してるから溜まらないのかな。りおといちゃいちゃキスしたり、「結婚しよう」とかかなり積極的なのにもかかわらず、「やらしてくれよ」は一言もない。思春期の男女が現実では避けては通れない面倒が一切描かれていないところも、この漫画が幸せそうなところのひとつである。
<『月の夜 星の朝』編 FIN>