この前、「おお、お前は『話を聞かない男』ってやつだな?」という人に会った。相手はテニスコーチだったんだけど、こちらがいくつか質問していることに、まったく答えないのだ。何度も、手を変え品を変え同じ質問をしたのだが、「~と思います」とかなんとか返ってくる返事が、こちらの聞きたい内容ではない。「さっきから私の質問にまったく答えていただいていないのですが」と言ってみたが、「どういう返事をすればよいのでしょうか」とかなんとか、こちらが聞きたいことを確かめようという言葉は出てこなかった。どうやら、こちらの話を聞く前に「この女はこういうことを聞きたいに違いない」と頭の中で物語ができあがっているようなのであった。

『花盛りの庭』に、まーいるいるこういう男! というのが出てくる。春佳は、浅倉くんから告白され、「友達からお願い」と請われて付き合い始めた。「振り向いてくれるまで待つよ」とかなんとか、一見、浅倉くんはいい人である。優しい感じでもある。初エッチの後は、「身体、大丈夫か?」とか言っていたわってくれる。

だけどこいつが、とんでもなくくだらない野郎なのだ。ドキドキの初エッチが始まる、というときに、「避妊して」とお願いすると、「余計な心配しなくていい」と言う。だって今、ナマでしようとしたじゃないと思って引かずにいると、「仕方ないな」的にゴムを用意する。そしてエッチが終わった後、「ホントに初めてだったんだな」と言いやがるのである。そしてホテルから出てきたときに、ゲイのカップルを見かけると、「どうして男に走るのかな、気持ち悪い!」などと非難を始める。

セックスするときに「心配するな」と言うなら、ゴムをつけるくらいは常識だよ。もしも妊娠したときに痛みを背負うのは女のほうで、男の比ではないのだ。男がケアしないなら女が自分で身を守るしかない。それを「余計な心配」とは何事だ。そして、女が男と付き合うとき「初めてなの」と言うのは、社交辞令だと思いこんでいる男は結構多い。まあ実際、嘘を言う女もいるんだろうが、実際に初めてだったとき、信じてもらえていなかった女の失望感は、激しく大きい。なんのために、人は言葉を使って会話をするのだと思っているんだ。いくら後から言葉で身体をいたわってくれようが、納得いくわけがない。

そして、春佳の父親はバイセクシャルで、現在男と同居している。2人の男を「両親」として育った春佳は、自分の親を認めてくれる男じゃないと、と思っていた。浅倉くんにその話をしたとき、彼は理解を示していたはずだった。ホテルから出てきたゲイを非難した浅倉くんを問い詰めると、「お前の話がホントだとは思わなかった」とのたまうのである。

つまり浅倉くんは、口では「こう言えば心地がいいだろう」「こうすればこの場は収まるだろう」と思われる行動を取っているだけで、実際にそこになんの心も入っていないのだ。勝手に頭で作り上げた「いい人像」に沿って行動し、相手の言葉や行動には、なんの関心もない。だからゴムもつけないクセに「余計な心配するな」とか言えるのだし、「女は誰でも初めてって言うもの」だから「ホントに初めてだったんだな」とか驚き、「自分の親はゲイだ」という思い切ったカミングアウトも、「ホントだと思わなかった」などとスルーできたのである。

作者はとてもいい人らしく、このくだりで主人公は反省とかしちゃったりして、完全に男を悪者にはしていないのだけれど、読んでいると激烈に腹が立つ。なんでかって、こういう「人の話を聞かない男」を、ごまんと知っているからである。

「お前は人の話を聞かない」と言われて、「俺は聞くよ」と返事をする男はものすごく多そうだ。だけど「話を聞く」というのは、音としてその言葉を耳に入れるという意味ではなく、「相手の言わんとすることを理解しようと努力する」ことが「話を聞く」ということなのである。それは、結構な能力を必要とする作業で、決して簡単に「できる」と言えるようなもんじゃないんですよ。
<『花盛りの庭』編 FIN>