先週末(米国時間20日)からNBAのプレイオフが始まっている。この連載で以前に触れたブルックリン・ネッツメンフィス・グリズリーズもそれぞれプレイオフに進出して「まずは合格点」といったところ。ただしネッツは、1回戦の対戦相手が実力でほぼ拮抗するシカゴ・ブルズ(記事執筆時点では一勝一敗のタイ)で、このファーストラウンドをうまく勝ち抜けたとしても、その後にはレブロン・ジェームズ率いるマイアミ・ヒートーーシーズン半ばから後半にかけて歴代2位の27連勝を記録するなど、今年は文字通り「向かうところ敵なし」的な優勝候補の筆頭ーーとの対戦が待っているとあって、なかなか楽観視できない先行きであることは間違いない。

このネッツ、そしてニューヨーク・ニックスの両チームが揃ってプレイオフ進出ということで、ニューヨークのバスケットボールファンは大いに盛り上がっているようだ。Wall Street Journalあたりにさえ「ついに夢が実現。プレイオフを1日に2試合も続けて観られる、しかもマジソンスクウェアガーデン(MSG、ニックスの本拠地)からバークレイズ・センター(ネッツの本拠地)までは地下鉄でわずか10分くらいしかかからない」などというかなり浮かれた調子の記事が載っていたりもする。

そんなブルックリンのバークレイズ・センターで20日に行われたネッツ対ブルズの第1戦ではちょっと珍しい出来事があった。試合前の国歌斉唱をネッツのベテラン選手、ジェリー・スタックハウスが務めた、というのである。ビヨンセやマーク・アンソニーといった超一流の歌い手とは当然比べるべくもないが、素人としてはなかなかの歌いっぷりで、そもそも18,000人もの観客の前で自分の歌を披露するというだけでも大した度胸だと思えてしまう。



このスタックハウスという選手、実は前にも一度観客の前で国歌を斉唱していたことがあった。その時に比べると今回はわずかにたどたどしい感じもするが、あるいはこの晴れの場に立つ重責を意識して、ふだん以上に緊張していたのかもしれない……そう思えるのは、このスタックハウスがブルックリンで「背番号42」をつけた選手だからである。

『42』のポスター

「ブルックリンのプロスポーツチームがプレイオフの試合で勝利を収めたのは、1956年にMLBのブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)がヤンキースを破って以来のこと」。上記のWSJの記事にもそんな一文がみられるが、往年のドジャースで背番号「42」をつけていたのが、黒人で初めてメジャーリーガーとなり、大活躍して後に野球殿堂入りも果たしたジャッキー・ロビンソンという名選手。

このロビンソンがドジャース入りしたのはまだ人種差別がごく普通に存在していた1947年のこと。1960年代にピークを迎えた公民権運動が活発化する十数年も前のことだから、大きな社会的論争が巻き起こり、当事者や関係者の間では相当な軋轢も生じていたらしい。後の人種差別撤廃にいたる大きな流れのなかで、ロビンソンのドジャース加入は重要なマイルストーンのひとつとされている。

4月に入って米国で劇場公開された映画『42』はそんなジャッキー・ロビンソンの活躍や、社会との戦いをテーマにした作品だが、公開から1週間の興行収入も2730万ドルを記録、となかなか好調な滑り出しらしい。また今月はじめにはホワイトハウスでこれにちなんだ中高校生向けのワークショップ(「公民」の授業)も行われ、映画に出演したハリソン・フォードなども顔を見せていた。


[Film Workshop for Students: 42]
(今年90歳になるというロビンソン夫人ーー紫がかったピンクの洋服姿の御婦人の凛とした話しぶりが印象的)


冒頭に挙げた「42」のトレイラーのなかに、ブルックリンで生まれ育ったジェイ・Zの曲("Brooklyn we go hard")が使われている背景にはそんな事情がある。

追記:あの選手の場外乱闘もやっと収束

ブルックリン・ネッツのクリス・ハンフリーといえば、いまではバスケットボールのコートよりも、もうひとつのコート(court、裁判所法廷)での話題のほうが有名になってしまった選手だが、そのハンフリーとキム・カーダシアンとの長らく世間を騒がせていた離婚話がようやくまとまったようだ。カーダシアンとしては、これでようやく出産に集中できる、といったところかもしれない。