アップルが同社製品をフィーチャーし、「新しい何かを始めよう。」と題したキャンペーンをスタートさせた。現在、キャンペーンサイトが公開されているが、Apple Store実店舗でも今回ピックアップされたアーティストの作品が展示される模様だ。
キャンペーンには日本の作家も選ばれている。グラフィックアーティストの牧かほりさんだ。紹介された"VISIONEO16"という作品は、iPad ProとApple Pencilを使って描かれ、息を呑むほどの美しさと繊細さを讃えている。
***
――牧さんは92年日本大学芸術学部卒業後に渡米。ニューヨークでファインアートを学び94年帰国後フリーランスのイラストレーターとしてキャリアをスタートさせた。COMME des GARÇONSの2005 A/Wでペインティングを提供したほか、JUJUやHIATUSのアルバムジャケットなどを手がけ、2008年には文化庁メディア芸術祭でアート部門審査委員会推薦作品を受賞している。まずは"VISIONEO16"の制作の過程について伺ってみた。
牧 実はいわゆるペンタブレットのようなデバイスを使ったことがなかったんです。これまでの作品はAdobe Photoshopを利用しているのでデジタル仕上げにはなっているのですが。鉛筆や水彩で描いたものをスキャンして、Photoshopで合成していくというのが制作のプロセスで、最初から最後までデジタルデバイスで描きあげるというのは今回が初めてでした。最初はこれで全部仕上げるのは無理かもしれないなあと正直に申し上げたのですが、まず、『Procreate』で写真が取り込めたのがラッキーだなと思って(笑)。花の写真をiPhone 6sで撮って、それを素材にしたのですけど、これが先ほどのスキャンしてって作業と感覚的に似ていたので。その後で画面をApple Pencilで叩いていくような作業に入ることになったのですが、ここが一番戸惑いましたね。やっぱり今までの画材と違いますから。ただ、これさえ持っていれば、鉛筆など画材が一切要らないし、持って出かければ写真も撮れて、すぐにそれを素材にできてっていうのが素晴らしいと思いました。これ一台でOK、世界中旅して、いろんなことがここでできるって。単純に画材に置き換えたとき、凄い物量になるわけですよ、自分で持てる量でなくなることもあるくらい(笑)。水も、それを拭くものも必要なわけですし。使うにしても、まだまだ自分が気づいていない利用法が眠っているんだろうなと感じます。
今回のキャンペーンに採用された牧さんの作品。以下、牧さんのコメント。 |
――牧さんは作ったものを「共有」することに期待を寄せているようである。AirDropで近くの人と、iCloudを使えば、それこそ世界中の人ともシェアするのは簡単にできるのだが。
牧 "共有"できるっていう感覚が昔と全然違うなって感じます。自分の作ったものをすぐに見せたり、交換できたりっていうことが、漠然と育ってしまった心の壁を取り払ってくれるのではないでしょうか。一方通行でなく、多面性を分かち合え、あちこちから自分を照らされても自然でいられるような気がします。
――筆者もこの「共有」という考えには興味を惹かれた。なぜなら、作品をシェアすることで別な派生作品が生まれる可能性があるからだ。一人のアーティストが最初から最後まで仕上げるのが当たり前だったジャンルに於いて、形式の変化を齎すかもしれない。
牧 描かれた絵に他の人が手を加えるということは今までだったらなかったですけど、他者の手で作品が新たな展開を見せるという指摘は面白いですね。人の感覚や思考が変化するというのは大いにありうると思います。加筆されて質が落ちちゃったらええっ!?とは思うでしょうけど(笑)。ただ、その連鎖がいい方向に向けば、世界も良くなっていくのではないでしょうか。冗談でなく、本当にそう思いますね。人の考えが重なっていって、それが心地よいものであるならば、人間自身が成長していけるはずです。
――牧さんは単なる画材の代わりとしてだけでなく、さまざまな局面で人が成長していくのを支援してくれるツールとしてiPad Proに期待を寄せている。「教育の現場でもきっと役に立つ」ともコメントしてくれた。その一方で警戒とまではいかなくても気をつけようと感じていることもあるという。
牧 作風が似通ったものになってしまうのではないかという危惧はありますよね。あ、これ、あのアプリ使ったなっていうのが分かってしまったりということもあると思います。iPad Proを使うことによって、自分の作風が変わるというよりも、どちらかというと方法論が変わることを期待しています。もっとも自分の精神性を高めるってことも必要になってくるのでしょうけど。そこで大きくジャンプしたいなという気持ちはあります。
――とはいえ、牧さんはすでに一度Photoshopを使って制作するという挑戦をし、見事に道具として取り込んだという経歴がある。引き続きiPad Proを使うにしても、難なくこなすようになるのではないだろうか。変わることを躊躇せず、むしろそれを面白がる、それが彼女の作家性でもあるように思えるのだ。
牧 デジタルの世界は有限だと思い込んでたところがあったのですが、iPad Proを使ってみたら水彩画の二度と再現できないニュアンスと近い描写が可能なんじゃないかと思えるようになりました。普通のペンが滲むようにApple Pencilも滲む表現ができるところとか、開発者が無限を目指しているんだなと感じ取れますね。この小さなデバイスの中に潜む大きな可能性をもっともっと発見していきたいです。言ってみたら新しい次元を広げてくれる"窓"のようなものではないのでしょうか。私自身、最近、"イラストレーター"って肩書きが重いと感じているんですが、先ほどの共有とか、あるいは発信するということでの"軽やかさ"をも体現していますよね。私達の世代に対しては、そんな風に"もっと身軽でいいんだよ"ってメッセージが届いてる気がします。
――さらに、変化することで成長できるはずと、力強い言葉を残してくれた。続けてクリエイターとクリエイターでない人の差が少なくなるだろうとも指摘する。
牧 先ほどの作風が似通ってしまうかもという危惧とは矛盾せず、万人がクリエイティブでいられる可能性も提示してくれているとも思います。クリエイターと非クリエイターの垣根を取り払ってくれるような。それはよりはっきりとした形で表れていると感じます。これは大きいですよね。今まで尻込みしてた人でもすぐに始めらるし、コラボレーションもできる、研鑽もできる。これで発掘される才能もあるだろうし、今、プロフェッショナルな世界で活動されている方はより高いところを目指せるのではないでしょうか。
――最後にインタビューから10日ほど経って、牧さんから届いたメールを一部紹介しよう。
牧 デジタルのよさは、デジタル側が生み出す偶然に、ちょっと意思を加えてさらに偶然を重ねられること。このサンドイッチを好きなだけ繰り返して、(いわば上質な他力本願が!)思っても見なかった表情を生み出します。
iPad proの場合は、さらにApple Pencilを握って、実際の絵/タブレットの表面に触れながら制作するので、人とデジタルの境界線ががうっすらとする瞬間が多くあるんです。きっとこの瞬間に人の創造力が、何かに導かれてきらめきのクリエイションを生み出すんですね。
たのしいツールがまた一つ増えました。
***
年明け9日、牧さんは「新しい何かを始めよう。」と題されたApple Storeのイベントに登壇する予定だ。当日はイラストレーターとしての仕事を振り返り、iPad ProとApple Pencilに出会ったことで創作活動に新たに発見したことを紹介しつつ、今後のデジタルクリエイションに込めた想いなども話していくという。ライブデモを楽しみながら、2016年最初のイラスト作品にチャレンジして、新しい自分を見つけてみるというのはいかがだろう。会場はApple Store, Omotesandで16時開始を予定している。詳細についてはApple StoreのWebサイト、またはiOS用に提供されている「Apple Store」アプリでチェックして頂きたい。