iPad Proが発売されてまもなく1カ月。多くの人が様々な視点でレビューを書いているが、プロにとってはどんなところが魅力なのだろうか。ペン1本で緻密な都市の絵を描くアーティスト ヴァスコ・ムラオ氏は、「iPad Proが持っている可能性そのものがエキサイティング」だと語る。

ヴァスコ・ムラオ氏(Vasco Mourao)
ポルトガル生まれ。スペイン・バルセロナ在住。現在は千葉県松戸市の「パラダイス・エア」プロジェクトのレジデントアーティストとして日本に3カ月間滞在中

アップルストア表参道でライブドローイングを交えたイベント『iPad Proで描くイラストレーション:Mister Mourao』が開催された

ムラオ氏は、紙と細いペンを用いてモノクロの世界でリアルとイマジネーションを織り交ぜた街を描き出す。この表現スタイルはもともと建築家であることがベースになっているとムラオ氏は語る。それだけに、線には並々ならぬこだわりがある。

ムラオ氏が使用している画材。日本の文具、評価高いです

「これが普段使用しているツールです。紙と鉛筆と、ペンとペンとペンとペン……(笑)。一番心地よく描けるものを見つけるまで、約2年も様々なものを試し続けました」(ムラオ氏)

アーティストとして表現するためのツールにこだわるムラオ氏は、iPad ProとApple Pencilをどう評価しているのだろうか。イベント終了後にお話を伺った。

iPad Pro・Apple Pencilとの出会い

ムラオ氏が初めてiPad ProとApple Pencilに触れたのはとあるワークショップでのこと。製品に触れると、全員が口々に「すごい」と言っていたそうだ。

「予定の時間が終わって再び全員が集まった時に、もうちょっと書けないかと(主催者に)訊ねたら、みんなが笑った。みんな同じことを思っていたんだ」(ムラオ氏)

拡大して一気に細部を進める、時々縮小して歩調を緩める。自分のペースで画面と向き合うことができるという

イベントで行われたライブドローイングでは、ペインティングアプリ『Procreate』を使用して、制作中の作品に線を書き加えていった。

これまで作品をスキャンして多少のレタッチを行う程度で、デジタル機器はあまり活用していなかったというムラオ氏。ペンタブレットなどを試したこともあったが、「作品と自分の意思との間に壁を感じて、自分には適していない」と思っていたそうだ。それが今回は最初から自然に入り込め、ディテールまで思った通りに描くことができた。「今までにこういう体験がなかったので、衝撃的でした」と語る。

描きやすいペン探しに2年もかけるほど"描き心地"にこだわる彼が言うのだから説得力がある。しかし、iPad ProとApple Pencilで最も大きく変わったのは「創作の可能性が広がったこと」だと語る。

ツールが変わることで広がった表現の可能性

デモで描いた作品では、部分的にグレーを用いた彩色が施された。これは紙に描いていた時にはしなかった表現だ。描いて終わりにするのではなく、思い付いたらトライし続けられる。それによって新たに得られる表現があるのだ。画面そのものも好きなように広げられる。正方形のキャンバスに毎週1枚ずつ描き、横につなげていけば無限のキャンバスができる、と楽しそうに話した。デジタルならイマジネーションが物理的限界に制約されることはない。

わずかに影が入るだけで奥行きのある世界が見えた。ムラオ氏の概念だったものが実体を持って現れたかのよう

ムラオ氏のブログは横スクロール。時間や空間を横つながりに捉えているのかも

精神的・肉体的な面でも制作がこれまでとは変わったという。細いペンで紙に向かう時は集中して呼吸も整えなくては線を引くことができなかったが、Apple Pencilならもっと肩の力を抜き、直感的に描くことができる。考え方が全く違うのだと語る。

ラフスケッチから細部の書き込みまで、全てをiPad ProとApple Pencilで

仕上がった絵に、Adobe Illustrator Drawで描いた文字を重ねる。ベクターなので拡大縮小や配置が自由にできる

また、制作に様々な道を広げてくれるツールだとも言う。Procreateで制作したファイルはProcreate同士でレイヤーなどの設定を保ったまま他のユーザーとやり取りができる。Adobe Illustrator Drawで描画すればベクターでIllustratorなどのソフトへ渡せる。クライアントワークでも、途中段階のチェックがメールだけで済むようになる。さらに、現在はサウンド作りにも挑戦中だという。

「描いている時、音をビジュアライズしているんです。木がきしんだり、階段を上ったり降りたりするような音。これまで私のドローイングはサイレントだったけど、音が加わるとライブな感じが伝わると思います」(ムラオ氏)

ドローイングをムービーにして、そこにサウンドも加えたいと、GarageBandやiMovieにもトライしている。「この作品のサウンドトラックも作ってみたい」と、インスピレーションは尽きない。彼の今までになかったスタイルの作品を目にする日も近いかもしれない。

「作品作りが完全に違うチャプターへと移行しました。ミュージシャン、フォトグラファー、デザイナーと、iPad Proにはそれぞれの使い方があるけど、誰もがそれぞれに今までとは"違う場所"へ到達すると思います」(ムラオ氏)

制作を完全にデジタルへ移行したわけではなく、紙とペンも並行して使っているというムラオ氏。物理的なモノの魅力もあるし、長年使っているツールへの愛着もあるだろう。しかし、ムラオ氏は最後に「使い始めてまだ2週間だけど、iPadProが自分をどこへ運んでくれるかが楽しみ。自分がこんなことを言うとは思わなかったけど、ペンと紙で書いているよりいい感じです」と笑った。

イベント終了後にサッと描いて頂いた。Apple Pencilの追従性の高さがよく分かると思う