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ドラマにありがちなシチュエーション、バラエティで一瞬だけ静まる瞬間、
わずかに取り乱すニュースキャスター……テレビが繰り広げるワンシーン。
敢えて人名も番組名も出さず、ある一瞬だけにフォーカスする異色のテレビ論。
その視点からは、仕事でも人生の様々なシーンでも役立つ(かもしれない)
「ものの見方」が見えてくる。
ライター・武田砂鉄さんが
執拗にワンシーンを追い求める連載です。
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みんな「普段はおとなしい人」ではないのか

殺人犯について同じマンションに住む隣人に語らせれば、そのコメントはおおよそ決まっている。「普段はおとなしい人」だ。「ろくに目を合わせないですし、なんだか暗い人だなぁと思っていました」という答えもあるが、こちらは日々、マンションで人とすれ違う時にはろくに目を合わさず軽い挨拶で済ませている。我が家の隣室には外国人夫妻が住んでおり、連日連夜大げんかしているのだが、夫婦の間でもしものことがあっても、押し寄せる取材に「普段はおとなしい人でした」と答えてしまうかもしれない。勝手な設定で湧いた勝手な心情を勝手に分析するならば、無難な回答で済ませたい一心が僕をそうさせたに違いないのだ。

つまり、隣人が放つ「普段はおとなしい人」というコメントは、本当に普段おとなしいかどうかに関係がない。そこにあるのは、「こんなコメントでサラッと済ませておこう」という力学が含まれている。だからこそ、どこかで見たニュース映像を反復する。しかし、その模様が放送される時には、前後の構成と合わさり、「おとなしい人」という意見ではなく、「何を考えているか分からない人」の継ぎ足しに使われることになる。知人ではなくあくまでも隣人である以上、「普段から賑やかな人」「基本的にいっつも上機嫌です」という印象のほうが特殊であるはずだが、「おとなしい人」はたちまち異常性の起源としても語られることになる。

「無反応」ではなく「無言の対応」として映し出される巧妙さ

田舎町の田畑で農作業をしている老人のコメントなどは、報道が予定調和的に済ませようとする構成のなかで、異彩を放つ。カメラに顔を向けることすらせず、手ぬぐいで汗を拭きながら、「すれ違うたびに、ニコニコ挨拶してくれる、優しそうな子だったけどなぁ。まっさかなぁ」と漏らしつつ、何がしかを収穫している。その穏やかさを覆うように、ナレーションで「この静かな田舎町で起きた残忍な事件、その真相とは――」と深刻気味に走らせる。農家の老人の牧歌的なコメントから、わざわざ恐怖心を取り戻すのだ。

起きた事件については深刻に問うべきだが、安っぽく恐怖を煽るべきでもない。たとえば、犯人の親族の家に押しかけて、出ないと分かっているにもかかわらずインターフォンにマイクを突きつける風習。答えるはずがない。インターフォンに反応していないので無言ですらないはずなのだが、テロップには「……」と、「無反応」ではなく「無言の対応」として映し出される。犯人の素顔を知る隣人も、結構いろいろ話したい人よりも、「あまり積極的に話したくないけれど……」程度のスタンスの人のほうが、ワイドショー的な恐怖に重宝される人材になる。

ドアを開ける角度は20度から30度

リラックスしすぎた部屋着で「いや、もう、ほとんど話したことないんで……」。続くのは「何かトラブルのようなものはありませんでしたか」。振り絞るかのように「結構夜遅く帰ってきている印象でしたけど……」と一言。ナレーションはこうだ。「同じマンションに住む住民はこのように語った。近隣住民に話を聞くも、○○容疑者の印象は薄い。希薄な人間関係、何が彼を凶行に走らせたのか……」。冷静に確認をすると、希薄な人間関係の論拠は「話したことない」「夜遅い」程度だ。深刻な声色のナレーションと重々しいBGMのかけあわせで凶行の理由を探し当てたかのようなテンションを作り上げるのだが、実は何一つ突き止めていない。

宅配便を受け取る時には、たとえ小さな荷物であっても、ドアをおおよそ60度くらいは開けて荷物を受け取る。選挙で特定の政党に入れて欲しいと嘆願する訪問には、おおよそ45度。セールス方面はインターフォンで済ませる。旧知の地域住民なら75度くらいは開ける。こうして知らず知らず最適な角度を調整しているのだ。殺人犯の普段を知る隣人の角度は、こちらがいくつかの映像で確認する限りは20度から30度。チェーンをかけたまま突撃訪問を断ることはあるが、チェーンを開けつつドアを20度だけ開けるという行為はなかなか珍しい。何度も隣人が殺人犯になった経験を持つ人はいないだろうから、その咄嗟の対応は、おそらくテレビで観たシーンに基づいている。潜在的に引っ張り出される20度から30度という意識。取材に応じる人の多くは、「難なく済ます」を一義にするから、前例を踏襲する。この証明で何がどうなるわけでもないが、殺人犯の普段を知る隣人のドアは20度から30度だけ開くのだ。

<著者プロフィール>
武田砂鉄
ライター/編集。1982年生まれ。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!ニュース個人」「beatleg」「TRASH-UP!!」「LITERA」で連載を持ち、雑誌「AERA」「SPA!」「週刊金曜日」「beatleg」「STRANGE DAYS」等で執筆中。近著に『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)がある。

イラスト: 川崎タカオ