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ドラマにありがちなシチュエーション、バラエティで一瞬だけ静まる瞬間、
わずかに取り乱すニュースキャスター……テレビが繰り広げるワンシーン。
敢えて人名も番組名も出さず、ある一瞬だけにフォーカスする異色のテレビ論。
その視点からは、仕事でも人生の様々なシーンでも役立つ(かもしれない)
「ものの見方」が見えてくる。
ライター・武田砂鉄さんが
執拗にワンシーンを追い求める連載です。
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下ごしらえも開店時間も早める和菓子屋

現在の住まいや出身地など土地勘のある場所がテレビ番組で取りあげられるのは嬉しい。当然、新しい発見など期待できないのだが、あの人があそこを歩いたんだと確認する作業だけでもその時間を番組に捧げる意味がある……と思ったのも束の間、細かい査定が重なることになる。その和菓子屋がオープンするのは10時のはずだが、芸能人ご一行が店先で「へぇー、こんなところにこんな名物まんじゅうが」と前置きして入店した和菓子屋の時計は9時を指している。レギュラー出演者であるアナウンサーが夕方から帯番組を持っているのでそこまでに全行程を終わらせるタイムスケジュールが組まれているのだろう。大きな宣伝効果が見込める和菓子屋は当然、文句一つ言わず、下ごしらえも開店時間も早めるのだ。

「これってもはや隣町だろう」クラスの移動

知っている場所の街歩き番組で生じる、テレビの中と外のやり取りの定番は、「さぁ、続いては○○へやってきました」と発する人たちに対して、「えっ、もうここまで来たの!」と突っ込むこと。つまり、土地勘があればあるほど、「これってもはや隣町だろう」クラスの移動に気付いてしまう。ある駅の南側から隣の駅の北側までロケバスで移動してきたわけだが、あくまでもぶらぶら歩いて辿り着いたという設定が崩れない。「隣町の商店街と一緒くたにされるのだけは不快。ここでもう50年も商売やっているけど、こんなに不愉快なことはない」と商店街の会長が憤ろうとも、これがテレビのお約束だと受け止めなければいけない。

12時を過ぎたわけでもないのに「自宅内シンデレラ」

特定されてしまうので具体的内容は避けるが、ある社会問題について、知人の母親が自宅取材を受けた。彼女はその問題にすっかり参ってはいたものの、取材自体には舞い上がっていたから、新調したワンピースを着込み、バッチリメイクで取材陣を待っていた。自宅へやって来たプロデューサーが開口一番、「もうちょっとやつれた感じでお願いできませんでしょうか」。メイクを落とし、普段着に着替えた彼女、12時を過ぎたわけでもないのに「自宅内シンデレラ」。作り手のイメージに、わざわざ素人が合わせなければいけないのは理不尽ではあるけれど、作り手にとっては、いかにして素人を色めき立たせないかは円滑な取材のポイントになるはず。

真っ赤な口紅がまぶしすぎる総菜屋のオバちゃん

街歩き番組は当然ながら事前にスタッフが取材申し込みを済ませておき、おおよその取材時間を伝えておくわけだが、番組進行上はあくまでも「偶然やってきた」を保たなくてはいけない。タレント側は慣れたものだが、商店街側はそうはいかない。恰好は普段通りなのに、ココ一番のときに使う真っ赤な口紅がまぶしすぎる総菜屋のオバちゃん。直立不動で入口付近に立ったまま不自然に出迎えてしまった肉屋の主人。混み合うお昼時に、奥の半個室だけが不自然に空いているのが見えているのに「何人ですか?」と尋ねる蕎麦屋。1日500個も売れるというコロッケを作る厨房に連れて行くための「もし良かったら見ていきます?」「いいんですか!」のぎこちない会話。

酒焼けした声でナポリタンを出してくるママは動じない

出演者と商店街が一致団結して「偶然立ち寄った」をキープする。自分の役割を熟知しすぎた金物屋の主人が「あれ、どこかで見たことあんなー。テレビ出てるお笑いの人と違うか?」と渋い演技。スナックと純喫茶を足して5で割ったような朽ちた食堂で、酒焼けした声でナポリタンを出してくるママの動じない振る舞い。元も子もないことを言えば、ぶらぶら街を歩くなんて、テレビでは不可能なのである。なぜって街歩きのぶらぶら性を真っ先に壊すのは、時折、お店のガラス窓などにうつり込んでしまう大勢のスタッフ達なのだから。カメラマン、カメラアシスタント、音声、AD、マネージャー、プロデューサーの大所帯が、ぶらぶら感を壊していく。

街歩きの偶然性は商店街側が築き上げてきた

偶然性をどこまで維持するべきなのかは難しい。偶然性の質を見定めながら街歩き番組を見ている人は少ないだろう。でも、商店街の皆々は要請に応えるように偶然性を維持しようとする。赤い口紅等で突出した存在が生まれることもあるが、突然の訪問に驚く体制が敷かれている。街歩き取材の経験値が高い武蔵小山商店街、戸越銀座、根津・千駄木辺りは、偶然性の嗜み方が熟練の域。グルメレポートを始めたいタレントはこの辺りで体を慣らしたほうがいいだろう。街歩きの偶然性は、テレビ局側ではなく、商店街側が築き上げてきたのである。

<著者プロフィール>
武田砂鉄
ライター/編集。1982年生まれ。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!ニュース個人」「beatleg」「TRASH-UP!!」「LITERA」で連載を持ち、雑誌「AERA」「SPA!」「週刊金曜日」「beatleg」「STRANGE DAYS」等で執筆中。近著に『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)がある。

イラスト: 川崎タカオ