ミステリーの中に登場する団地のミステリー

『白と黒』という横溝正史の推理小説をご存じだろうか。金田一耕助シリーズのひとつである。いきなりなんでこんな話をはじめたのかというと『八つ墓村』や『犬神家の一族』などの代表作がいずれも地方の山間を舞台にしているのと対照的に、この作品の舞台はなんと団地だからなのだ。連載が開始されたのも物語の中の年も1960年。団地ががんがん建てられていた時代である。おそらく横溝正史も社会的に存在感を増していた団地を舞台に書いてみたかったのだろうと思う。それにしても金田一耕助と団地って不思議な組み合わせだよね。

この作品の登場人物はほとんど団地住民。事件が起こるのも団地の中。死体はダストシュートで発見される。さていったいこの団地はどこをモデルにしているのだろうか? というのが今回のミステリーである。

作中、この団地の名前は「日の出団地」となっている。全国にはこの名前の団地はけっこうあるのだが、団地趣味の人間にとって「日の出団地」といえば東京は北千住のものだろう。あれはすごくかっこいい団地だ。ただ、これは正確には「日の出町団地」で完成したのは1968年。「白と黒」より8年も後で、ここが舞台ということはあり得ない。

作品の冒頭に舞台を特定する手がかりになる描写がある。「S・Y先生」という詩人が遠くからその団地の完成を目の当たりにして驚く、という場面だ。引用してみよう。

『それは1960年度の(略)その3ヶ月のあいだに現代の奇跡が、忽然として東の空に出現していたのである』(横溝正史『白と黒』より。以下同様)

このように手がかりのひとつ目は1960年度に建設された、というもの。

『いまS・Y先生の立っているK台地と、その団地がそびえている中間に帝都映画のスタジオがある』

ふたつめは近くに映画のスタジオがあるという点。

『S・Y先生の宅は小田急沿線のK台地にある』

そしてみっつめ。小田急線沿線だ。さて小田急線沿線の映画スタジオといえば、東宝の砧撮影所だ。そして地図を見てみると、まさにその近くに団地がある!

小田急沿線から見た場合、その団地とのあいだに撮影所があるという、まさに描写そのままの場所がある(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT20092・コース番号:C73/写真番号:27/撮影年月日2009/04/28(平21)に加筆)

これは大蔵住宅という団地です(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT20092・コース番号:C73/写真番号:27/撮影年月日2009/04/28(平21)に加筆)

これは大蔵住宅というすてきな団地なのだ。この団地はひとつ目の手がかりにも合致している。東京都が発行している「都住供20100518建設通信」を見ると『大蔵住宅は敷地面積約8.8haに、RC造5階建ての住宅棟30棟 計1267戸がある。1959-63年に建設された。』とある。まさに1960年度は建設まっただなか。かつての航空写真を見てもその様子がよく分かる。

1957年には畑と田んぼが広がっていて影も形もない(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・コース番号:M1010R1/写真番号:156/撮影年月日:1957/10/10(昭32)に加筆)

1961年の様子。まさに建設も佳境! (国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・KT611YZ・コース番号:1/写真番号:141/撮影年月日:1961/03/24(昭36)に加筆)

『白と黒』の舞台はこの大蔵住宅でまず間違いないだろう。この団地を選ぶとは、横溝先生さすがである。いいのよー、この団地。

こういうかわいらしい棟が30棟ちかく建ち並ぶすてき団地だ。

入り口にはかなりいい体(鍛えられているという意味で)をしている裸婦像がある。

給水塔もかわいいです。

ダイナミック! 大蔵住宅

このように随所に見どころのある団地なのだが、最大の魅力は敷地にある。かなりダイナミックな地形の上に建てられているのだ。

メインの敷地入り口付近に建っている棟の横に、下っていく道がある。

この道がまたやんわりとカーブしていて、いい雰囲気なのだ。「下に行くぞ!」って感じで。

降りた先にも棟が広がる。すぐそばに流れるのは仙川。

地形図で見ると、こんな。敷地の中心を崖線が走っている(国土地理院「基盤地図情報数値標高モデル5mメッシュ」をSimpleDEMViewerで表示したものをキャプチャ・加筆加工)

仙川が削った崖をまたぐようにして団地が建ち並んでいるのだ。航空写真で見るとちょうど崖の部分が森になっていて、上の棟群と下とを分けている。ここで育った子どもたちの間ではきっと「上 vs. 下」の対立があったのではないか。出身者にきいてみたい。

崖斜面は公園になっていて、せっかくだから登ってみたのだが、ヤブ蚊の大群に襲われほうほうのていで退散。

崖から水が湧いていて、森の際にはきれいな池がある。

「日の出団地」のモデルであることのもうひとつの証拠は、崖に湧いている水を集めた池だ。実は『白と黒』では団地内にある池が重要な舞台になっているのだ。団地敷地内に池があるケースはそう多くはない。きっと横溝先生はここ大蔵住宅に取材に来ている。そう思って調べてみたら、横溝正史は成城に住んでいたとのこと。ここの近所だ。つまり冒頭の「S・Y先生」の頭文字は横溝正史自身のことなのだね。

『現代の蜃気楼』

さらにだめ押しがこの描写。

『いまS・Y先生が立っている、K台地のその一画は、以前御料林だったそうである』

Wikipediaの「成城 #歴史」の項によれば『成城一丁目(東京都市大付属中・高校、区立砧中、科学技術学園高等学校、などの所在地)はかつての御料林であり』とのこと。終戦直後のアメリカ軍製作の地図を見るとこの通り!

大蔵住宅と仙川を挟んで向かいの高台に"Kitami Imperial Estate"の文字が(Courtesy of the University of Texas Libraries, The University of Texas at Austin.)

もうこれは間違いない。日の出団地は大蔵住宅。金田一耕助が訪れた記念すべき団地はここなのである。

それにしてもS・Y先生である横溝正史の、この団地に対する慨嘆は興味深い。曰く『世にもおどろくべきもの』『現代の蜃気楼』『あらゆる装飾や媚態を拒否するような』『一種厳粛で荘厳なものにさえ見えた』などなど。当時の人々にとって団地がいかに驚異的なものであったかがうかがえる。

なお、S・Y先生はこの団地の建設途中の光景を見て「映画のオープンセットだとばかりかんちがいをしていた」という。なぜこれをセットだと思ったのか。実は大蔵住宅が建てられる前、実際ここで日本を代表する名画の撮影が行われたからだ。次回はその話をしよう。

<著者プロフィール>
大山顕
1972年生まれ。フォトグラファー・ライター。主な著書に『団地の見究』『工場萌え』『ジャンクション』。一般的に「悪い景観」とされるものが好物。デイリーポータルZで隔週金曜日に連載中。へんなイベント主催多数。Twitter: @sohsai

イラスト: 安海