自分は一体、誰のため、何のために働いているのだろう? 働いたことがある人ならば、一度は考えるこの問い。家族のため? お金のため? あるいは、誰かの役に立ちたいとか、自分の能力を試してみたいとか……理由や動機は人それぞれですし、いろんな思いが複雑に入り組んでいる場合もありますよね。だからこそ「●●のため!」とハッキリ言える仕事人間は、眩しく見えるもの。

好きな女性のために、仕事を決める

『失恋ショコラティエ』(C)水城せとな/小学館フラワーコミックスα

水城せとな『失恋ショコラティエ』の主人公「小動爽太(こゆるぎそうた)」は、まさにそんな人物。好きな女のために働く男です。高校入学直後に一目惚れした先輩の「サエコさん」ことが好き過ぎて、彼女の好物であるチョコレートの道を究める猪突猛進タイプです。

「サエコさんはチョコレートが何より好きだ/だから 俺はサエコさんを幸せにできるようなチョコレートを作る」

爽太の実家がケーキ屋さんということもあり、もともとお菓子作りの素養はあるのですが、ケーキじゃなくてあくまでチョコのプロになるのが彼の目標。日本の製菓学校を出たあとは「パスポートとイキオイとガッツ」だけで渡仏。パリの有名チョコレート店で修行を終えて帰国する頃には、立派なショコラティエに(ついでにあか抜けてカッコよく)なっています。やがて実家を本格的なチョコレート店としてリニューアル。やるからには徹底して、というのが爽太のやり方です。

恋の痛みさえも力に変える

「イケメンチョコレート王子」としてメディアにも取り上げられ、ショコラティエとしてのキャリアは非常に順調! これで恋愛の方もうまく行けば、ハッピーエンドまで一直線なのですが、このサエコ先輩というのが、非常に厄介な女で、爽太をその気にさせておいて二股をかけたり、爽太をフッておきながら自分の結婚式のスイーツを作ってほしいと言い出したり……爽太の恋心をブンブン振り回す女として君臨しつづけます。

しかし、二股をかけられようが、人妻になろうが、そんなことは爽太には関係ないのです。誰かを全力で好きになる、ということに付随するあらゆるつらいことさえも力にして彼は前進し続けます。例えば、クリスマスケーキの予約をしていたサエコさんが来店を断念し、友人にケーキの引き取りを頼んだと知った爽太は、好きな人をひと目みることすらできずクリスマスを過ごすという切なすぎる事実をこんなふうに受け止めます。

「俺はいっつも勝手な思い込みで期待したり夢見たり気合い入れたりしてるけど/サエコさんは俺のことなんか眼中にもなく毎日 無関係に暮らしてる/どっかカンチガイして浮かれてた俺に/「これが現実だよ」って教えてくれたのが神様からのプレゼントなら/俺は黙って ありがたく受け取らなくちゃ/メリークリスマス/明日も淡々と 働こう」

こんな悲しいクリスマス、飲んだくれてふて寝してもいいのに、爽太は淡々と働くことを選ぶのです。好きな人のために頑張る、というのは少女マンガのド定番なワケですが、人妻になった女のためにここまで頑張れるというのは、もはや健気を通り越して、超人的なタフネスだと言うほかありません。恋愛のせいで仕事が手につかない、仕事のせいで恋愛が頑張れない……そんなふうに思っている人たちに爽太が教えてくれるのは「どんな恋愛も仕事をするための力になる」という考え方だってあるのだということ。

クリエイティブな仕事に大切なのは心の運動

更に爽太は、本当にサエコさんのことが好きだから「この恋を完成させなきゃ」と言い出します。高1から続く片想いを「ちゃんとフラれて終わりにする」という爽太の発言に、同僚たちはモチベーションを失って店を辞めると言い出したらどうしようと心配しているのですが、爽太に関して言えば、それは杞憂(きゆう)に過ぎません。

「誰がいてもいなくなっても/俺はショコラティエ」であり、切ない気持ちによって「クリエイティブな細胞が動き出す」のが「心地いい」と爽太は(決して強がりではなく)感じています。好きな人のために働くと決めたばかりの爽太は言ってみれば単純な男の子だったけれど、いまや複雑な感情をコントロールし、きちんと仕事につなげられる大人の男になっています。ビターとスイート、様々なフレーバーがあればこそ味わいを増すチョコレートのように、爽太の仕事もまた、恋する喜びと苦しみの両方があってこそ、さらなる高みへと昇っていけるのでしょう。

ちなみにわたしは、「チョコレートの貴公子」と呼ばれつつ、実はおネエ系のショコラティエ「六道誠之助」が大好き。自分のチョコレートを「こんなの欲しくない人とかこれが嫌いな人がいてもそれは別にいいの/あたしとは縁がなかっただけだもん」と言い、「縁あった人を愛しまくって」あげることだけを考え、たくさんの人に好かれようとすることで「自分自身のビジョンが消えてしまうことの方が怖い」と言うのです。大人気店のショコラティエでありながら、大勢の人々に嫌われることを恐れず、自分の世界観を大切に生きる。彼には、爽太とはまた違ったタフネスがあるように思います。

愛し愛される甘やかな感情ばかりではなく、フラれたり、嫌われたりというネガティブな感情さえも、クリエイティブな仕事に関わる人間にとっては、一種の筋トレとなるのです。なお、この作品は間もなく嵐の松本潤さん主演でドラマ化されるとか。そちらも非常に楽しみです。