『乙嫁語り』(森薫/ビームコミックス)

森薫による大人気コミック『乙嫁語り』の最新刊が発売されました!19世紀の中央アジアを舞台に、様々な「乙嫁=若く美しいお嫁さん」が登場するこの物語は、歴史モノであり恋愛モノでもあります。さらに、中央アジアの人々のおいしそうな食べものや、うっとりするほど繊細な衣服を見る楽しみもあるし、民族間で繰り広げられる戦闘シーンにドキドキしたりもできる……つまり、いくつもの楽しみ方があるのです。

そんな『乙嫁』ワールドにも、愛すべき仕事人間がおります。その名は「アゼル」。第1巻に登場する乙嫁「アミル」の兄にあたります。黒髪ワイルド系の放牧系民族で口数は少ないけれど、シンプルかつ的確な発言は、地頭の良さを感じさせるものです。

今回は、アゼルと彼の父親の関係に着目して、会社の利益を優先する社長(父)と会社の理念を重要視する二代目(息子)、というテーマについて考えてみましょう。

仕事で大切なのは採算より理念?

アゼルは、最新刊(6巻)で馬の放牧係を任されています。放牧民にとって「所有する馬の数は遊牧民の誇り」であるため、馬の放牧は将来を嘱望された人間にしか任せられません。溺れた子馬を助けるために川へ飛び込んだり、弓の腕が落ちないよう狩りに出かけたりする様子からも、アゼルが放牧という仕事に重責を感じていることが見て取れます。とくに狩りは、獲物がさほど高く売れなくてもやるという、アゼルにとって大切な仕事。それは、放牧民の族長となる者がやるべき仕事であり、放牧民としてのたしなみでもある。採算は関係ナシ。「放牧民らしさ」こそがアゼルにとっては大切なのです。

アゼルたち放牧民にとって、家畜の命を支える牧草は何よりも大切なもの。そのため、深刻な牧草不足に陥ったアゼルたちは、牧草地を手に入れるための戦闘に突入します。しかし、アゼルの父が狙いを定めたのは、あろうことか自分の娘の嫁ぎ先。実の父親、実の兄が、家族を殺してしまうかもしれないという異常事態が発生します。

二代目は「己れの力」を大切に

娘の嫁ぎ先だろうが、牧草がありそうならば容赦なく襲う。そんな父の意見にアゼルはひとり異を唱えます。闘うこと自体は仕方ないとしても、なぜ自分たちの一族だけで攻め込まないのか、なぜ父は一族以外の者に助けを求めようとするのか、アゼルにはどうしても納得いきません。しかし父は、確実に勝つため、他家と組むことを押し進めます。

「必要であれば奪う それはいい 皆そうして生きてる 我々が勝てば多く得て 負ければ奪われるだけの話だ だがそれは己れの力のみでやればいい」

父と違い「遊牧民らしく生きること」を何よりも大切にしているアゼル。父は牧草を手に入れるためなら手段は問わないという利益優先型の考えですが、アゼルは他家と組んだりせず、独力で闘うべきだと感じているのです。父とアゼルの対立は、会社の利益を何より優先する社長と、会社の理念を重要視する二代目の構図そのもの。

こうして、意見の不一致を抱えたまま、アゼルたちはアミルの暮らす土地へ侵攻を開始することに。しかし、ここで大きな番狂わせが起こります。同盟を結んだ他家の人々が、アゼルたちを裏切ったのです。こうして、父の考えが間違っていたことが、はっきりと分かってしまいます。

組織を内側から解体する、新時代のリーダー

ここから先のアゼルの行動は、まさしく「孤軍奮闘」。放牧民としての直感と、日々の鍛錬によって獲得した戦闘能力とをフル活用して、この争いを鎮め、妹を守ろうとします。それは父の考えとは全く異なるものですが、もはやアゼルは意に介していません。自分の意志で動き始めたアゼルは、父親からの精神的自立を果たしたのです。妹を守るため、そして、放牧民としての誇りを守るために闘うアゼル。己の理念に従って行動する姿は、カッコイイの一言に尽きます。

「一族ったって一枚岩じゃねえよ 人数いりゃ意見も割れる あんたらだってそうだろ」 戦闘を鎮めた後、アゼルはつっけんどんにこう言い放ちますが、血を分けた父親との対立は、想像以上に辛いことだったハズです。その辛さをかみしめつつ、きっぱり父と決別したアゼルは、もう今までのアゼルではありません。利益に目がくらんだ父親にNOを突きつけ、放牧民らしく戦い生きることを選んだ息子……「己れの力」をちゃんと持っている男は、この先もきっと多くの者を惹きつけるに違いありません。利益ばかりを優先し、不用意に他人を信用した父親は、結果的に裏切られ、もうちょっとで一族全員を殺されるかもしれないところまできていましたが、それを救ったのは、アゼルの孤軍奮闘。アゼルは、ワガママでひとりよがりな男ではなく、旧弊な組織を内側から解体する、新時代のリーダーなのです。


<著者プロフィール>
トミヤマユキコ
パンケーキは肉だと信じて疑わないライター&研究者。早稲田大学非常勤講師。少女マンガ研究やZINE作成など、サブカルチャー関連の講義を担当しています。リトルモアから『パンケーキ・ノート』発売中。「週刊朝日」「すばる」の書評欄や「図書新聞」の連載「サブカル 女子図鑑」などで執筆中。