当連載第2回にて、国鉄南武線浜川崎支線(尻手~浜川崎間)の電車を待つ女子高生を"ナンパ"してまで撮った、「旧型国電を待つ女子高生」の写真を紹介したことがあります。

このとき被写体となった女子高生……ではなく、戦前に製造された17m旧型国電は、1980(昭和55)年11月にひっそりと引退し、101系に置き換えられました。さよなら電車の運転もありませんでした。

その旧型国電とは、浜川崎支線に奇跡的に残っていた、昭和ヒトケタ生まれのクモハ11とクハ16です。当時の国鉄で、鶴見線大川支線のクモハ12とともに、17m車として最後の営業運転を行っていました。

浜川崎支線は、南武線本線の尻手駅を出て東海道本線をまたぎ、八丁畷駅(京急線と接続)と川崎新町駅を経て、鶴見線と接続する浜川崎駅へ至る路線です。

その距離わずか4.1km。京浜工業地帯への通勤路線にもかかわらず、電車はわずか2連で運行されています。

当時は月~土曜日の朝ラッシュ時に2編成使用される以外、終日1編成のみで運行という、典型的な「都会のローカル線」でした。

1978年7月、南武線本線から旧型国電73形が引退し、101系に置き換えられましたが、その後も約2年間、浜川崎支線では17m旧型国電が活躍を続けました。

そんな浜川崎支線の旧型国電も、いよいよ終焉のときを迎えます。置換え用となる101系が、中原電車区にて2連に組成され、1980年11月10日に入線試験が行われることになりました。

101系は20m車で、旧型国電2連と比べて全長が6mも長くなります。入線試験では尻手~浜川崎間を2往復しながら、停車位置やドア位置の確認など入念に作業が進められていました。

置換え2日前の11月15日。朝ラッシュの時間帯に、旧型国電が2編成で運行されるのはこの日が最後でした。尻手駅ホームでの貴重な"2本並び"も、これで見納めとなりました。

そして11月17日。イエローの101系2連が運転を開始する一方、朝ラッシュ時のみ使用されるもう1編成が旧型国電だったことから、新旧電車による最初で最後の"2本並び"が出現。これが置換えの瞬間となったのです。翌日から、朝ラッシュ時の運用も101系に置き換えられました。

17m旧型国電を置き換えた101系も、それから約20年後に世代交代の時期を迎えました。2003年11月までに全車両が205系改造車に置き換えられ、姿を消しています。

今回紹介した「鉄道懐古写真」

撮影時期 写真の説明
写真1 1980年11月1日 八丁畷駅に進入する2連の尻手行。先頭車両はクモハ11。
初冬の朝、女子高生を"ナンパ"して撮ったカット
写真2 1980年10月23日 のんびりと高架線上を行く2両編成の旧型国電。
手前の複線は東海道貨物線。遠方に東芝の工場群が見える
写真3 1980年11月12日 尻手~八丁畷間の単線の築堤を行くクモハ11 244とクハ16 215の2両編成。
まるでローカル線のよう
写真4 1978年1月 発車を待つクハ16 211。1926(昭和元)年製造の半鋼製電車モハ30を
電装解除した車両
写真5 1980年11月6日 中原電車区に停泊中のクハ16 007。その出自は、1930(昭和5)年製造のクハ38。
ゴツゴツしたリベットが昭和ヒトケタ生まれの証
写真6 1980年11月6日 初めて姿を現した101系2連。浜川崎支線用に組成された第1号の編成。
手前からクモハ100-172、クモハ101-130
写真7 1980年11月10日 入線試験当日の101系2連。尻手駅南武線上り線から、初めて浜川崎支線へ
入線する寸前の様子。乗務員室にも緊張感が漂っていた
写真8 1980年11月10日 浜川崎支線を試運転する101系2連。各駅に停車しながら入念な確認が行われた
写真9 1980年11月15日 朝ラッシュが終了し、尻手駅から矢向駅へ回送となる電車が南武線下りホーム
に到着。旧型国電"2本並び"の見納めとなった貴重なシーン
写真10 1980年11月17日 置換え当日、約2分間だけ出現した新旧国電の置換えの瞬間
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った