小津安二郎監督といえば、戦前戦後を通じて活躍し、昭和の名監督として世界的に知られている。その小津作品の代表作が『東京物語』だ。戦後、変わりつつあった新しい家族関係を、尾道から上京する老夫婦と、2人を迎える子供たちの視点で静かに描いている。意外にも「移動」の場面が少ないが、貴重な鉄道風景が登場する。

『東京物語』に登場する蒸気機関車も印象深い(写真はイメージ)

家族の再会と別れを通じて、核家族時代を予見する

広島県の尾道で末娘と暮らす老夫婦(笠智衆・東山千栄子)が、「たぶんこれが最後」と思い立ち、東京へと旅立つ。東京には開業医の長男(山村聡)と美容院を経営する長女(杉村春子)が家族と暮らしていた。そして戦死した次男の妻(原節子)も。現在と違い、尾道から東京まで蒸気機関車牽引の急行で16時間半の旅である。

初日は長男の家で温かく迎えられた夫婦。しかし長男長女は忙しい身で、東京見物に連れて行こうにも、長男は急患対応で忙しく、長女も店を開けられない。そこで会社勤めの次男の妻が、2人の東京見物に付き添う。文化住宅の狭い部屋で、精一杯のもてなしを受けた老夫婦は感謝する。一方の長男長女は相変わらずで、老夫婦を熱海の旅館に追いやってしまう。

なんとなく居心地の悪さを察して、老夫婦は尾道へ帰る。しかし2人は子供たちのあしらいに文句ひとつ言わない。帰路で妻が体調を崩しても、「途中下車した結果、大阪に住む三男に会えて良かった」と前向きに考えていた。息子たちへ届いた手紙にも感謝の言葉しかない。しかしその手紙と時を同じくして、子供たちに「ハハキトク」の電報が届く。

自立し、がむしゃらに働く子どもたち。両親への対応も、「いつまでも元気だ」と安心しているからだろう。その一方で、精一杯の思いやりを見せた次男の妻の優しさにほっとする。だが彼女もまた、心に秘めた思いがあった……。

戦後から8年が過ぎた東京で、家族の形が変わりつつある。小津安二郎監督が描いた「家族」は、戦後の復興がもたらした新しい家族観だ。現代の核家族時代や高齢化社会を予見していたともいえる。すき間が大きくなる家族の姿に深く考えさせられ、優しさと思いやりの大切さを再認識させられる映画だ。

山陽本線の大型蒸気機関車で、尾道と東京の「距離」を表現

鉄道ファンにとって、古い映画を観る際の楽しみとなるのが、そこに描かれた昔の鉄道風景だ。『東京物語』でも、冒頭に山陽本線を走る貨物列車が登場する。残念ながら機関車の機種は不明。映像が不鮮明な理由は、モノクロフィルムで撮影され、しかもマスターフィルムが失われたため、映写から復元された作品だからだ。

当時、尾道駅付近の山陽本線は糸崎機関区が担当していた。造船所を抱えた呉線なども担当するため、大型蒸気機関車専門だったようだ。この貨物列車はD51形またはD52形の牽引と思われる。貨車は2軸のワム(有蓋車)とボギータンク車が21両もつながっていた。

ところがこの場面以降、ほとんど鉄道が出てこない。尾道から東京への場面切替えは「おばけ煙突」(千住火力発電所)と堀切駅のカットで済ませてしまう。東京から熱海への移動も、いきなり海を見せて終わり。尾道へ帰るときも東京駅の待合所しか登場しない。もっとも、この東京駅ロケの風景もいまとなっては資料的価値が高い。

現代なら必ず列車の走行シーンや車内を入れるはず。ローアングルで知られる小津安二郎監督は、もしかしたら移動シーンを好まなかったのかもしれない。説明的なカットを入れるくらいなら役者の表情を撮りたいと考えていたのかも。東京の情景を描写するため、背景に都電が登場し、東京観光のバスからは銀座の地下鉄入口も見える。荒川の鉄橋を渡る電車も映る。それでも、ビルや鉄骨は映像に入ってくるのに、鉄道は非常に少ない。

では、小津監督は鉄道情景を無視したのかというと、決してそうではないようだ。

終盤、原節子演じる次男の妻が帰京する際、列車を俯瞰(ふかん)で見せている。しかも線路際から蒸気機関車の動輪を大迫力で描く。この動輪やロッドがピカピカで、国鉄の協力ぶりがうかがえる。車内の描写もある。それにしても、なぜここだけ、しっかり「移動」を描いたのだろうか? 小津監督は、次男の妻がもう訪れないであろう尾道と東京との「距離」を、この移動シーンで強く印象づけたかったのかもしれない。

なお、現在、この『東京物語』のオマージュ作品として、今年1月より山田洋次監督作品『東京家族』が公開されている。主題は同じだが、老夫婦の住まいは尾道ではなく瀬戸内海の島になっている。かつて急行列車で16時間半も要した尾道~東京間は、いまや新幹線を使って4時間半程度。心の距離と物理的な距離をリンクさせるために、あえて航路を挟んだのだろうか? 両方の映画を交通機関の違いで見比べても面白そうだ。

映画『東京物語』に登場する鉄道風景

貨物列車 冒頭で登場。D形蒸気機関車と黒い有蓋車、銀色のタンク車など
時刻表冊子 老父が出発前に列車を確認している。セリフによると、尾道を昼すぎに出る列車は大阪に18時に到着、東京着は翌朝だという
東京都電6000形 金太郎塗りの電車。前照灯ひとつの「一球さん」と呼ばれた車両が、長女の美容院の近くを走る
荒川鉄橋を渡る電車 4両編成、京成電鉄か
東京駅 現在の銀の鈴広場付近。発車案内表示は「急行安芸 21:00発 呉線経由」。セリフから、「岐阜か名古屋あたりで夜が明けて、尾道着は13時35分」とのこと。待合所の小さな椅子、他の列車の案内表示、待合室の光景など貴重な風景が見られる
大阪駅 大阪鉄道管理局事務室。国鉄職員となった老夫婦の三男が登場
客車列車 尾道から東京へ。蒸気機関車C59形またはC62形が客車9両(うち2等車2両)・荷物車1両を牽引