「お父さんがクラウンに乗り、お母さんはスターレットで買い物に行き、就職した息子はスプリンターで通勤する」、日本にはかつてそんな時代があった。それが日本の正しい家庭……などというつもりはまったくないが、クラウンはたしかに日本の理想的な家庭、日本の尊敬すべきお父さんを象徴する車だったといっていいだろう。

ピンククラウンはトヨタの「ReBORN」を象徴する車だという

トヨタのラインナップの頂点に君臨したクラウン

クラウンの歴史は古く、1955(昭和30)年に誕生したが、全盛期はやはり、伝説的なキャッチコピー「いつかはクラウン」とともに登場した7代目(1983年~)から、バブル期の終焉に重なる9代目あたりだろう。バブルとともにセルシオや日産シーマといった「超」高級車も登場するが、それでもクラウンは日本の高級車の中心であり続けた。

思い起こすと、あの頃のクラウンはセダンとハードトップが併売されており、クルマに疎い人にはその違いがよくわからない、というのが定番の「クルマあるあるネタ」だった。お父さんがハードトップを買おうとすると、お母さんがセダンとどう違うのかと聞き、お父さんは「セダンはタクシー用だ」なんて答える、ということがよくあった……いや、本当にあったか調べたわけではないが。当時の国産車はセダン(ハードトップも含めた4ドアの3ボックス)が全盛、というより、それこそが「自動車」であって、ワゴンだのハッチバックだの1ボックスだのというのは「ちょっと変わった自動車」でしかなかった(3ドアハッチバックだけは、女性・若者向けとして認知されていた)。

トヨタにしても、そのラインナップはクラウンを頂点に、マーク2、コロナ、カローラ、ターセルなどがあり、大きさがちょっとずつ違うだけの、同じような形の車がピラミッドを形成していた。やや蛇足になるが、バッジだけが違う姉妹車が全盛だったのもこの頃だろう。マーク2、チェイサー、クレスタや、カローラとスプリンター、それにターセル、コルサ、カローラII。なんとも懐かしい。

現在では自動車は多様化し、ミニバンやSUVという新しいジャンルも誕生。ワゴンや5ドアハッチバックも市民権を得た。クルマを選ぶなら、セダンかミニバンかはたまたオープンカーか、というように、クルマのタイプから考えるのが当たり前の時代だ。しかし当時は、よほど特別な用途に車を使う人以外、セダンを選ぶのは最初から決定済みの前提。その枠の中で、クラウンかマーク2か、ハードトップかセダンかと迷っていた。

いま思えば随分と選択肢の少ない時代だったんだなあと思うが、反面、古き良き時代だったという気もする。当時の日本メーカーは、大きさがちょっとずつ違うセダンをずらりとそろえ、その中でユーザーに車選びをさせるという、いわば王道の商売ができていたのだ。

ピンクのボディで「クラウンに興味なかったユーザー」を振り向かせた

いまとなっては、天下のトヨタでさえ、そういったスタイルの売り方は難しい。そういう時代だから仕方がないといわれそうだが、メルセデス・ベンツやBMWはいまでもそれができていることを忘れてはいけない。

クラウン アスリートG "ReBORN PINK"(オプション装着車)

そんなことを考えていた矢先、登場したのが新しいクラウン。レクサスブランドが立ち上がって影が薄くなった印象だが、「ReBORN」を掲げて復活した。

ただしクルマ自体は、「生まれ変わった」というほど方向性を変えたわけではなく、プラットフォームは先代と共通。エクステリアデザインも、特徴的なグリル以外はまったくのキープコンセプトと言っていい。

どうやら新しいクラウンは、車そのものはこれ以上ないほど真面目かつしっかりとつくり込んだ上で、売り方にインパクトを持たせることで、「これまで通り良いもの」に対して、「改めて良い」と気づかせる販売戦略のようだ。ややトリッキーな売り方であっても、とにかく乗ってもらえば満足させられる、という自信があるのだろう。

そのトリッキーな売り方のひとつがピンククラウンだったといえる。今年9月の限定受注で、約650台を売ったそうだ。たかがボディカラー、されどボディカラー。トヨタのセダンといえば、一時期はとにかく呆れるほどに真っ白だっただけに、余計にインパクトがある。注文したユーザーの内訳を見ると、女性が35%もいて、これは通常のクラウンの5倍にもなるという。この点だけでも、クラウンに興味のなかったユーザー層を振り向かせることに成功した、と言っていいのかもしれない。