前回の最後で東急東横線の高島町駅跡の階段を見つけた私は、旧東急東横線の高架沿いの路地を入っていった。すると、高島町駅があったところにたどり着いた。工事中の覆いに覆われているものの、覆いの上から、高島町駅の特長であった丸いアーチ構造のコンコースが見えてきた。

2004年1月30日、横浜 - 高島町 - 桜木町間の東横線は廃止になった。横浜駅と桜木町駅の間にある高島町駅は、京浜東横線の高架と隣り合わせで、こじんまりとしていてあまり目立たない駅だった。しかし、昭和のはじめまで東横線の終点はこの駅だったし(名称: 高島駅→本横浜駅→高島町駅)、2代目横浜駅がこの高島町駅の近くにあったなど、それなりに歴史がある駅でもあるのだ。

写真左は東急東横線高島町駅跡。1階の通路の丸いアーチがまだ残っている(2008年10月中旬)。昼間見てみると、U字のアーチが二つ続いていたことがわかる(写真右・2008年9月中旬)

廃止直前の2日である2004年1月28日の夜、私は高島町駅に行ってみた。入場券の硬券も買えたし満足だったのだが、周辺には鉄道ファンはほとんどおらず、わびしさを感じたものだった。「廃止当日もこのまま盛り上がらずに終わってしまうのだろうか」とふと思ったのを覚えている。

写真左は在りし日の高島町駅(2004年1月28日)。廃止日が翌々日なのに、見に来る人は少ない。上は2008年9月の高島駅廃駅の模様。敷石、柱はそのまま。駅事務室、駅そば店があったところはきれいになくなっている

駅のボードに貼られた横浜 - 高島町 - 桜木町間廃止のお知らせ(高島町駅にて・2004年1月28日)

廃止当日の高島町駅

東横線横浜・桜木町間廃止当日の渋谷駅の電光掲示板

2004年1月30日、私は東横線渋谷駅のホームにいた。電光掲示版には「永らくのご愛顧ありがとうございます」というメッセージが流れていたが、渋谷駅の雰囲気は普段とさほどかわらず、20時15分の通勤特急桜木町駅行きに乗り込んだ。横浜駅でいったん降り、各駅列車を待つ。このホームも2月からは地下ホームになる。それを惜しみ、若い女性が携帯電話やデジカメで駅の様子を撮っていた。

横浜駅高架ホーム(2004年1月30日)

横浜駅で後続の各駅列車に乗り換え、高島町駅へ。この駅は京浜東北線の線路に面しているせいか、ホームが狭い。そこでも20代くらいの女性と女子高校生がまたもや携帯電話で駅名表示をパシャリ。

ホームから階段を降り、1階の改札口方面に行くと長蛇の列。硬券の入場券を買おうとする人々だ。改札口を出て、薄暗い通路から通りに出てみると、その列は左に曲がった歩道橋まで続いている。歩道橋を上がると、高島町駅のホームを見ようとする人でいっぱいだった。ちなみに今は、歩道橋に上がっても、高島町駅のプラットホームがあったところは工事中のビルにさえぎられて見ることができない。

高島町駅では多くの人が携帯電話で駅名表示の写真を撮っていた(2004年1月30日)

うってかわったように、最終日は高島町駅でも硬券の入場券を買う長蛇の列ができ、列の最後尾は入口脇の飲食店をすぎて、歩道橋の上まで伸びていた。そんな中、東横線の電車が過ぎ去った。コカ・コーラの看板が目印だった飲食店は、今はない(2004年1月30日)

歩道橋からは東横線のホームが見えたが、今は建築中の建物に視界をさえぎられている(2008年9月中旬)

高島町 - 桜木町の万里の長城はいまだ健在

高島町 - 桜木町の旧東横線高架下は暗い歩道になっており、今もなお、大体の場所を通ることができる。高架の壁はグラフィティで有名。夜ここを歩くと、都会の恐怖を感じてしまう。以前は、地域を分断するものとして万里の長城のように見られていたこの高架だが、現在では周辺地域をつなぐ道として活用するように方針が決められている。近い将来、この高架の上を自転車や歩行者が通るようになるそうだ。高架の下はアートスペースや飲食店が入り、活性化する計画になっているようで、廃墟感を楽しむならば今しかないのかもしれない。

ところで、高島町 - 桜木町間には、高島線10番三菱ドック踏切がある。ここでぼんやりと行き交う人を見ていると心が休まる。1年後、2年後にはここも再開発されて様子が変わっているかもしれないけど……。

今もなお暗い旧東横線の高架下の歩道

高島線10番三菱ドック踏切。この踏切での出来事については、また書いていきたい