日本のマスコミは「未熟」「自己流」と言って反省の意を表す人に弱い。

理由は、記者たちの中でも、大学でジャーナリズム論などを専門に学んできた人はごく一部で、自分たち自身が「自己流」で、いわゆるOJTで見よう見まねで取材や記事の書き方を学んできたからだと思う。今回のSTAP細胞騒動を取材する現場の記者には、小保方晴子さんと同世代の20代30代の記者も多かったのだろう。「未熟、自己流、でも、ねつ造ではない」という記者会見でのストーリーは、日本の一般的なメディアにおいては一定の説得力を持った。取材する同世代の記者たちも、小保方リーダーとは、組織と個人という関係においては遠からずの立場にある。

もっとも、そろそろ、200回分の研究ノートが、ここぞとばかりに世に出てきて、これまで謎だった実験の「コツ(!?)」が明らかになり、同時に第三者の研究者によってSTAP細胞の再現が報告されるなどという、ウルトラC的な展開を、私は密かに期待している。そして一連の騒動が第三幕に入るという一発逆転の 展開を期待している。ここまで騒ぎにするくらいなら、そこまで仕込んでおけと、理研と弁護士さんにも期待する。それが一番「国益」にもかなう。

今後は大きな組織と一個人との関係性に、変化が訪れる?

極論を言えば…

「再生細胞の研究」という国家的なプロジェクト予算が、お役所的な発想のもと、iPS細胞など他の研究との間で「ゼロサム」(パイの奪い合い)状況になってしまった。山中教授らの活躍によって、完全に遅れをとってしまっていたSTAP細胞チームが形勢逆転を狙い功を急いだ結果、こういう結果になった。広報塔的な役割も果たしていた(割烹着など着てメディア露出した)はずの彼女が、組織的な理論で責任の多くを負わされそうな流れになった。旧来の研究員(男性中心社会における)であれば、将来的なことも考えて、ここは泥をかぶったかもしれない。しかし弁護士を呼んで小保方リーダーは会見を開いた。

という私の認識で、これまでのところは大まかにはあっているのだろうか? あまりに単純化しすぎだろうか?

もちろん、研究者(プロ)として「未熟」「自己流」というのは、あるまじきことだ。一方で、個人的には、一連の流れは、どうにもこうにも「トカゲの尻尾きり」にしか見えない。

仮にだが、私が小保方リーダーの上司であれば、会見の内容はどうであれ彼女の会見には間違いなく同席したことだろう。これは組織の中の中間管理職であれば、当然のことだと思う。

日本を代表する研究所の正式発表と全く異なる内容(ほぼ全面否定する)の記者会見を、実際にSTAP細胞の研究員をリードしてきたとされる小保方リーダーが開かざるを得ないという状況を作ってしまった。

私は、小保方リーダーの一連の対応に、大きな組織(企業等)と、社員(研究員等)という一個人との間に、今後も生じるであろう大きな時代の変化を感じた。

※写真は本文とは関係ありません


<著者プロフィール>
片岡英彦
1970年9月6日 東京生まれ神奈川育ち。京都大学卒業後、日本テレビ入社。報道記者、宣伝プロデューサーを経て、2001年アップルコンピュータ株式会社のコミュニケーションマネージャーに。後に、MTVジャパン広報部長、日本マクドナルドマーケティングPR部長、株式会社ミクシィのエグゼクティブプロデューサーを経て、2011年「片岡英彦事務所」を設立。企業のマーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加。