棋界に現れた超新星・藤井聡太。歴代5人目の中学生棋士、そして最年少棋士として話題となった藤井は、デビュー後負けなしの29連勝をはじめ数々の記録を打ち立て、国民的スターへと昇りつめた。では、藤井をのぞく4人、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明の修行時代、デビュー後の活躍はどんなものだったのだろう。数々の資料をもとに検証し、藤井聡太のそれと比較していく。

A級2期目、20歳名人挑戦の快挙

加藤一二三

18歳でA級八段になった加藤について、大棋士・升田幸三はこう予言しました。

「二十歳で名人になるか、二十五、六歳でなるか。とにかく二十歳台で名人になるだろう。」

実際はどうだったのでしょうか。その後の戦いを振り返ってみましょう。

……と、その前に、A級順位戦がどういう戦いなのかを簡単に説明させていただきます。

A級順位戦は、C級2組、C級1組、B級2組、B級1組、A級と5クラスに分かれている順位戦の最高クラス。A級で戦うためには4回昇級しなければならず、在籍するだけでも大きな名誉となる、すべての棋士が憧れるクラスです。

原則10人(※)の棋士が1年を掛けて総当たり戦を行い、優勝者が時の名人への挑戦権を獲得、「名人戦」のひのき舞台に立ちますが、逆に成績の悪かった2人は翌期B級1組に逆戻りさせられてしまいます。

(※注:休場者が出た場合は9人になったり、翌期に休場した棋士が復帰すれば11人になったりすることもあり、その場合は降級者の数が変わります。)

「名人」を獲得するには、4回の昇級、A級優勝→名人挑戦のプロセスを経なければならず、初参加から最低5年が掛かるのです!

今をときめく藤井聡太七段は初参加の前期76期、C級2組を全勝で昇級、現在C級1組に在籍していますが、「名人」を獲得するには順調に昇級を重ねたとしても最低でも3年以上掛かることになります。

さて加藤の初A級順位戦、第13期の成績は4勝5敗に終わりました。順位は10人中8位で辛うじて残留を果たしましたが、もうひとつ順位が低ければ降級の憂き目に遭うところでした。

しかしこの結果、加藤は戦前に予想していたのです。 開幕前のインタビューに、こう答えていました。

Q「世間では、すぐ挑戦者という呼び声(というより期待)が高いようですが」

A「うまく行けばね。しかし、私は今年は指し分けぐらいなら上出来と思っています」

(『将棋世界』1958年5月号 「加藤ひふみ君に訊く」より)

もちろん棋士が将棋を指す以上、優勝を狙うのは当たり前ですが、18歳の加藤は百戦錬磨の猛者が集まるA級の厳しさ、怖さを知っていたのです。「指し分け」とは勝ちと負けが半々の状態のこと。結果としては、自身の思惑通りの成績で1期目を終えた形となりました。

そして、A級の水に慣れた翌第14期、快挙を達成します。

  • 加藤一二三、20歳で名人に挑戦の快挙! 『将棋世界』1960年5月号より

  • 第14期A級順位戦星取表 同号より

加藤一二三20歳、A級優勝! 周囲の期待に応え、棋界史上最年少での名人戦出場を実現させたのです。

次回は『絶対王者大山の高き壁』をお送りします。