相対的な貧困は、人々の健康や人間関係にも影響

日本の相対的貧困率は16%。

全国民の6人に1人が貧困です。

しかし、これは「相対的貧困率」。途上国の難民や、戦後の日本において、食べ物や住むところにもこと欠く状況は「絶対的貧困」。「絶対的貧困」は、現代日本には限られたケースしかありません。

「相対的貧困」とは、その時代の社会において、一般市民が「当たり前」とおもっているような生活をおくれないことを指します。でも、この定義で見ると、この豊かな日本においての「相対的貧困」って、そんなに厳しい状態ではないと思うかも知れません。「そりゃあ、比較の問題で、ほかより多少収入が低かったって、たいしたことないだろう」と思われる人も多いかも知れません。

しかし、相対的な貧困は、人々の健康や人間関係にも影響してきます。成人のうつの状態は、低所得層ほど悪くなっています。糖尿病や脳血管疾患(脳梗塞など)の死亡率も社会経済階層が低いほど高くなります。また、「2週間に1度以下しか人と話さない」などの極端に孤立している人の割合も、低所得層の人ほど高くなっています。高齢者においても、低所得層ほど健康状態が悪く、また、孤立しがちです。なんと、誰にでも等しく起こり得ると思われがちな転倒についてまでも低所得層ほど、その頻度が高いことがわかっています。

相対的貧困の影響は、子ども期から表れる

相対的貧困の影響は、子ども期からすでに表れます。小学6年生の、学力テストの点数は親の収入ときれいに比例しています。子どもの学力は、義務教育の時点で、すでに格差があるのです。学力だけではありません。貧困は、子どもの心にも大きな影を落とします。「自分が価値がある人間と思わない」「将来には夢がない」と考える子どもの割合は、相対的貧困の子どもに特に高くなっています。

相対的貧困が恐ろしいのは、このように、経済的に低い位置にあることが、その人の健康や精神状態、能力、人間関係、そして、最後には自分自身をどう評価するかという自己肯定感まで低めてしまうことです。

誰にとっても、生きにくい社会

よく、「報酬は、会社や社会からの評価の現れ」と言われますが、これは、ひっくり返せば、報酬が低い人は社会からの「評価」が低いとみられても致し方がないということです。悲しいことに、今の日本の競争社会においては、所得が低いことや、失敗することが、「負け組」とされて、「負けた」人が悪いんだという自己責任論がはびこっています。そして、子どもにおいても「負け組」は「自分は価値がない」というように、自己責任論を内面化していきます。

このような社会は、誰にとっても、生きにくい社会です。近年わかってきたのは、格差が大きく、「負け組」が貧困に陥ってしまうような社会においては、「勝ち組」の人たちの状況も悪くなるということです。「勝ち組」であっても、「負け組」になっては大変と、大きなプレッシャーを感じ続け、自分の地位を守るために常に躍起になっていなければなりません。

「この頃、生きるのがしんどいな」

そう感じているあなたも格差社会の犠牲者かもしれません。

(※写真画像は本文とは関係ありません)

<著者プロフィール>

阿部 彩(あべ あや)

首都大学東京 都市教養学部 教授。MIT卒業。タフツ大学フレッチャー法律外交大学院修士号・博士号取得。国際連合、海外経済協力基金を経て、1999年より国立社会保障・人口問題研究所にて勤務。2015年4月より現職。厚生労働省、内閣官房国家戦略室、内閣府等の委員歴任。『生活保護の経済分析』(共著、東京大学出版会、2008年)にて第51回日経・経済図書文化賞を受賞。研究テーマは、貧困、社会的排除、生活保護制度。著書に、『子どもの貧困』『子どもの貧困II』(岩波書店)、『弱者の居場所がない社会』(講談社)など多数。