漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

→これまでのお話はこちら


今回のテーマは「好きな果物」である。

好きな果物はと聞かれたら「林檎」である。

漢字で書くと、何故か高校時代あたりの彩度低めな思い出が甦るし、無意味ニ漢字ト片カナヲ混ぜた文章を打ちたくなるのでリンゴと書くが、リンゴについては母が毎週金曜日来ていた男と暮らすために消えた15歳以前、言わば皺皺の祖母の手を離れる前から好きである。

何を言っているのか1ミリもわからない若人と明るい青春を送った人のために一応説明しておくが、これは比喩であり、母は今も長州の実家にいるし、ババアも生きている。別に林檎は38になった時ババアが死んだとは歌っていないが、とりあえず生きている。

このように、我々(巨大主語にしないと恥ずかしくて立っていられない)は林檎のことになると早口が止まらないのだが、リンゴについて語れと言われると途端に「果物の中では好きだ」としか言えなくなるので不思議である。

ただ子どもの時からリンゴ好きとして疑問だったのは「リンゴが好き」と言うと、高確率で「俺は梨が好きだな」と言われる点である。

まず、他人の話に己の話をかぶせてくる時点で、キングオブクソリプであるし、リンゴと梨はただシルエットが似ているというだけで全くの別物である。

つまり「フランスに行ってきたんですよ」という話に「僕は群馬出身なんですよ」と返すような物である。

確かにこのまま放っといたらフランス帰りのしゃらトークが始まってしまうので、初手で「群馬封じ」をしたくなる気持ちはわかるが、他人の話を聞く姿勢としてはマイナス5億点だろう。

さらにリンゴトークを「俺は梨が好き」で封じられた上に援軍による「俺も梨派」という追撃を食らう時さえある。

そして、梨の良さを語るならまだしも、梨派一同による「リンゴディス」が始まることさえあるのだ。

林檎は何も悪くない、俺たちが勝手に林檎に狂って、人生に消えぬ墨を落としただけである。

今、怪文が一行混ざった気もするが、自分の嗜好を正当化するために他の嗜好を貶めるというのは下策中の下策であり「梨推しは行儀が悪い」というイメージになってしまうだけだと思うのだが、悲しいことにこの手法は今でも使われているし、こと食べ物関係ではよく使われる。

何せ、代表的食べ物戦争である、きのこVSたけのこが、それが公式ルールであろうかのようにディスをしあうし、最近戦争としての知名度を高めてきた芋煮戦争も同じノリである。

だがあれは、お互いをバラバラ死体にしあったり、命を芋のようにやりとりしたりするという「文化」なのである。たとえどれだけ非人道的でもその地に根差した文化を否定するのは難しいのだ。

だがその文化をよそで適用されても困る。「リンゴが好きなんですよ」と言った相手が、目の前で無言のままリンゴを握りつぶしだしたら怖すぎるだろう。

この文化被害を一番受けているのは「あんこ」な気がする。

こしあんVSつぶあんというのは食べ物戦争の中ではメジャーであり、つぶあん派もこしあん派もそれなりに戦い慣れしているのだが、その戦いに巻き込まれて命を落とす「あんこ食べられない派」がいるのだ。

あんこ戦争にあんこ食べられない派が混ざると、何故か「話はこのあんこ食べられない奴を始末してからだ」となりがちだし「こ、こしあんなら辛うじて食べられます」と助命を嘆願すると、つぶあん派に射殺される、というデッドオアデッド状態になってしまう。

それと同じように、リンゴが好きという話をすると、何故か梨派に囲まれ集中攻撃を食らうという現象が子どものころからよくあったのである。

他人が好きなものの話をしだしたら、返す刀で自分の好きなものの話をしていいとは思わない方が良い。中には「私も好きなんですよ」という同調にさえ、お前の好みは聞いていないとおかんむりになられる方もいらっしゃる。

まずは「すごーい君はリンゴが好きなフレンドなんだね!」とサーバル仕草をし、相手の語りが終わってから自分の話をした方がいい。

ただし「私は林檎が好きでねえ」と言い出したら語りが終わらない可能性があるので「私はバナナが好きなフレンドです」で早めに打ち切るという手もあり、これは「正当防衛」として法律で認められている。

ただし自分の好きな物がどれだけ優れているかを語るのは良いが「coccoに比べたら林檎なんて…」とアゲのためのサゲはご法度である。

好きな物について語る時は基本全てアゲアゲ、たとえ好みは違っても、お互いの健闘を祈りエールを送り合う運動会ムーブを忘れないようにしない。

どうしても相手の嗜好をディスりたい時は、全部ラップにしてから言うべきだ。

ラップにすればそれはもはや「ラップバトル」でありディスはルールで認められた戦術となる。

逆に言えばラップにも出来ないようなディスは口にするべきではない、ということである。