漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
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今回のテーマは「レンタル」だ。

私は、現在ではあまり物は借りないようにしている。

勘の良いガキじゃなくても気づいていると思うが、もちろん借りたら返さなくてはいけないからだ。

返すのが嫌だ、俺のものにしたい、と思っているわけではなく「返す」という動作が面倒なのである。

子どもの頃、図書館から本を借りれば督促リストの常連、友達からビデオを借りれば、なかなか返さず、それどころか「まだ見てない」と言ってブチ切れられたり、ついに「見てなくていいからとりあえず返せ」と言われたりと、私の人として欠落している部分を余す所なく他人に見せつけてしまうため、今は「最初から借りない」ことにしている。

また、物の扱いが雑なので、破いたり、汚したりするリスクがある。自分の物なら「最初からこの黄土色でした」というぐらい汚してもかまわないが、他人の物だと「二度と貸さない」となるか最悪それが原因で縁が切れる恐れもある。

よって、借りないほうが身のためであり、周りのためにもなるのだ。

しかし「借りる」というシステム自体は便利かつ画期的なものである。

特に、学生時代は使える金が限られている。今もある意味では学生時代より限られているが、大人になると魔法のカードや「リボルビング」という「バルス」に匹敵する滅びの呪文で「今ない金を使える」という異能力に目覚めるため、使おうと思えば使えてしまう。

よって学生時代は、読みたい漫画を全部読むなど、よほど実家が太くなければ不可能であった。

ちなみに私の学生時代というのはちょうど大化の改新が起こったころなので、当然「漫画喫茶」などというものはない。

よって、クラス内で漫画の貸し借りというのは頻繁に起こっていた。これが何を意味するかというと「友達が多い奴ほどいろんな漫画を読める」ということだ。

高校時代、クラスの女子の間では名作と言われる『BANANA FISH』が回し読みされていた。私は当然のごとくその輪の中に入っていないので、未だ『BANANA FISH』がどんな話か知らないのである。

貸し借りができるような友達がいないと、当然、自費で見られるものしか見られなくなる。つまり「友達の有無」により、触れられる文化の幅が格段に狭くなってしまうのである。

この格差に関しては、漫画喫茶やネットの普及で大分埋まって来たが、それでも友人に借りるほうがコスパが良いのは確かなのである。

しかし、この「コスパ」に関しては、学生時代と大人になってからとでは、真逆と言って良いほど状況が変わる

学生時代というのは、友人には学校に行けば会えたのだ、もちろん学校もタダではないが、学費を払うのは多くの場合親なので本人的には「実質タダ」である。

しかし大人になると友達というのは「会おうと思わなければ会わないもの」になってくる。このシステムにより疎遠になった学生時代の友人というのは1人や2人ではない。

つまり、大人になると「友達維持費」がかかってしまうのだ。この維持費は金だけではなく、時間も含む。

それに大人になると働いている、と言いたいが、自分が無職なので、100%ではないが働いている可能性が高くなる。

よって「欲しいものは大体自費でなんとかする」のが普通になってきて「友達に借りる」という発想自体があまりなくなってくるのだ。

このように、学生時代は友達がいたほうが得、というかいないと困ったことのほうが多かったが、大人になると困る回数は減るので、逆にコスパだけで言うなら友人がいないほうが良くなるのである。

もちろん友人はいるに越したことはないが、いらぬ人間関係に金と時間を使うのはやはり無駄である、だったらその分は漫画でも買ったほうが良い。

友達に借りずとも金を出せば借りられる「レンタル」というシステムもあるが、もちろん「返すのが面倒くさい」以前に「借りに行くのが面倒くさい」という壁が立ちはだかっているので、これも数えるほどしか利用したことがない。

しかし最近では、ついに外に出ずに、ネット上だけで、映画などがレンタルできるようになった。

これはもう革命と言っていい。借りに行く手間がないのはもちろん、返しに行く手間がなく、なんと言っても、レンタル期限が切れたら自動的に見られなくなるだけなので「借りたまま」になることがない。

私の人間性を疑われる部分をここまでカバーしてくれるシステムは他にない。

目が悪い人にとってのメガネのように、技術の発達は、さまざまな人間の欠点をカバーしてくれる。

それは本人が助かるのはもちろん、周りにいる人間も迷惑をかけられずに済むということである。

つまり「便利は敵」といって最新ツールを使うことを「ズル」だと苦言を呈する人は、そういうツールがないと物もろくに返せないダメなボンクラ野郎に迷惑をかけられても良いと言っているようなものだ。

本人が楽をするためでもあるが、周りが楽になるためにも使えるものは使ったほうが良いだろう。

筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。